ブックマーク / tamarunoboru.cocolog-nifty.com (8)

  • 森本レオさんと森田正光さんが東京の「将棋サロン荻窪」で久しぶりの実戦: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    私は将棋愛好家である俳優の森レオさん、お天気キャスターの森田正光さんを誘って、4月に東京の「将棋サロン荻窪」に顔を出しました。 写真・上は、森田さん(中)の将棋を観戦する森さん(左)。森田さんの対戦相手の女性は、二段の棋力があるAさん(右)。 写真・中は、芸能界きっての強豪である森さん。四段の人と対戦して勝利を収め、満足そうに微笑みました。ドラマの役柄そのままに、ほのぼのとした雰囲気があります。 Aさんの四間飛車に対して、森田さんが居飛車穴熊に組んだ将棋は、見応えのある大熱戦となりました。終盤でAさんが即詰みで勝つ順が2回ありましたが、惜しくも逃して森田さんが勝利を収めました。 将棋の盤上と天気図はともに縦横に線が通って似た形をしていますが、森田さんは天気予報のような具合に将棋の手をなかなか読めないようです。 写真・下は、左から森さん、森田さん、Aさん。勝っても負けても、全力で戦っ

  • 今年1月に起きた女流棋士の対局放棄による不戦敗問題の背景: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    「石橋幸緒女流四段の対局放棄(1月30日のマイナビ女子オープン準決勝・里見香奈女流四冠戦で対局場に現れず不戦敗)によって、日将棋連盟とLPSA(日女子プロ将棋協会)の関係が再び注目を集めていますが、LPSA設立までの経緯はお互いの説明にい違いがあって、将棋ファンとしてはわかりにくいところです」という内容のコメント(3月2日)は《香落ち》さん。 LPSA代表理事の石橋女流四段が里見女流四冠との対局で、前日に対局放棄を発表して不戦敗した問題は、連盟とLPSAとの関係が悪くなるだけでなく、棋戦主催者も巻き込んで複雑な事態となっています。その後、当事者と関係者とで何度か話し合いがされましたが、まだ決着していません。連盟は2月22日に記者会見を開き、これまでの経過を説明するとともに、LPSAと所属する女流棋士たちへの処遇を発表しました(具体的な事項は連盟のホームページに載っています)。 私を含

  • 公式戦の記録係が不足する問題へのコメントとその後の状況について: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    昨年7月のブログ(7月16日・23日・29日)で、公式戦の記録係が不足する現状について書いたところ、多くの方から提言や感想などが寄せられ、私は関心の高さに驚いたものです。まだ紹介していないコメントを元に、その後の状況についてお伝えします。 「記録係不足の主な原因として、記録係の待遇が現代の社会が許容しないものであると思います」というコメント(7月30日)で、労働基準法の観点から記録料の改善を求めたのは《Bitty》さん。 タイトル戦以外で持ち時間が最も長い順位戦(各6時間)の対局の場合、記録料は段位者が10000円、級位者が9000円です。通常のアルバイト日給なら決して安くありませんが、終局が深夜になると労働時間は15時間(休憩時間を含む)に達し、確かに労働基準法に抵触しそうです。そこで夜の12時を過ぎたら割増料金を払うことも一策です。ただ記録係不足の根的な問題は、記録料の問題ではないと

    amazedkoumei
    amazedkoumei 2013/02/07
    『自動的に棋譜と持ち時間を入力できます。それらをサーバーで管理すれば、順位戦の一斉対局で全局をリアルタイムで観戦でき、連盟が行っている棋譜データベースの入力作業も効率化できます。』
  • 米長邦雄永世棋聖の葬儀に将棋関係者や各界の人たちなど約2000人が参列: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    米長邦雄永世棋聖(前・将棋連盟会長)が12月18日に69歳で死去し、23日・24日に東京都目黒区碑文谷の円融寺で葬儀が営まれました。 写真・上は、白菊であしらわれた祭壇。米長が青色を好きだったので、遺影の周囲には青のデルフィニウムの花が囲みました。 祭壇の遺影は、米長が7回目の挑戦をした1993年(平成5年)の名人戦第4局での終局後の光景のようです。米長はその対局で中原誠名人に4連勝し、49歳11ヶ月という最年長記録で念願の名人位を獲得しました。写真はまさに日一の笑顔となりました。 写真・下は、告別式での光景。右端は、参列者を迎える連盟の専務理事(現・会長)で葬儀委員長を務めた谷川浩司九段。その隣は、米長の弟弟子の丸山忠久九段。 葬儀には、羽生善治三冠、森内俊之名人、渡辺明竜王、佐藤康光王将をはじめ棋士や将棋関係者、生前の幅広い交際を象徴するように政治・経済・メディア・芸能など各界の人た

  • 69歳で死去した米長邦雄永世棋聖のご冥福をお祈りします: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    米長邦雄永世棋聖が12月18日に前立腺ガンによって69歳で死去しました。同じ佐瀬(勇次名誉九段)一門の弟弟子である私としては、あまりにも早い死に言葉がありません。今はただ故人のご冥福をお祈りするばかりです。 写真は、2002年の秋に将棋会館で行われた表彰式での光景。右から、「勤続40年」の表彰を受けた米長永世棋聖、私こと田丸昇八段、西村一義九段。 佐瀬一門の棋士の中では1番弟子の米長、2番弟子の西村、3番弟子の田丸が並んだ記念写真です。撮影した人(『将棋世界』編集部員)が「歴史的3ショット!?」という文言を入れましたが、米長、西村、田丸の3人の兄弟弟子が収まった写真はこれ以外にありません。まさに最初で最後の歴史的ショットとなりました。 米長は当時59歳でした。現役棋士として活躍しながら、東京都教育委員を務めるなど、盤上盤外で幅広く活動していました。2003年の春には将棋連盟の理事に就任しま

  • 公式戦の記録係の要員が不足している状況で提案された今後の対策: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    今年6月の将棋連盟・通常総会で、奨励会幹事の真田圭一七段が「公式戦の記録係を確保することがぎりぎりの状況です」と訴え、棋士たちに今後の対策について相談しました。 公式戦の年間対局数は約2500局(女流棋戦も含む)。この数字は棋士の増加にともなって年々、少しずつ増えています。すべての対局には記録係がつきます。それらの棋譜はデータペースに整理・保存され、研究資料として役立っています。 公式戦の記録係は主に奨励会員が務め、女流棋士や研修会員も務めます。近年、その記録係の要員が不足しているそうです。奨励会員の人数は東西を合わせて約140人。そのうち10代は約70人で、半数が記録係を免除される義務教育中の中学生です。残りの半数は高校・大学に通学していて、試験や単位獲得のために平日を休めないことがあります。 つまり約140人の奨励会員の中で、実際に記録係を務められるのは約50人と決して多くありません。

  • 「順位戦」制度の問題点へのコメントについて: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    前回のブログで、5人もの全勝者が出た今期「順位戦」をテーマにしたところ、制度の問題点を指摘したコメントが多く寄せられました。 とくにC級2組では、菅井竜也五段が上位の順位で9勝1敗の好成績を挙げながら、3人の全勝者が出たために昇級できない結果となりました。 「菅井五段が哀れです。今後は、B級2組~C級1組で全勝者が2人、C級2組で全勝者が3人出た場合に限り、1敗の最上位者も昇級できる制度はいかがでしょうか」という内容のコメント(3月23日)は《S.H》さん。「昇級者を増やす、次点・2回で昇級できる、などの制度変更が必要な時期と思います」という内容のコメント(3月21日)は《masa》さん。 菅井五段が9勝1敗で昇級できなかったことについて、読売新聞の将棋欄で「順位戦の制度に問題がある」と論評されたそうです。もし《S.H》さんの案のような特例規定があれば、菅井は昇級できました。《masa》さ

  • 田丸の新刊書『実録 名人戦秘話』が発売されました: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    田丸が著した『実録 名人戦秘話』〜棋士生活40年 田丸昇の将棋界見聞記〜(マイナビ刊)という新刊書が12月中旬に発売されました。写真は、その表紙(下側の青い部分は帯紙)。※定価は1470円(税込み)。 私は今年で棋士生活40年目を迎え、11月には将棋連盟から勤続表彰を受けました。その記念も兼ねて刊行されたのが書です。40年間の棋士人生で経験した様々な勝負やエピソードを綴りました。書は5章で構成されています。 第1章は「名人戦契約交渉が決裂」(1965年〜1976年)。第2章は「幻の名人戦移籍案」(1976年〜2003年)。第3章は「初の名人戦共催」(2003年〜)。 2005年に同じ版元から『将棋界の事件簿』という私の著書が刊行されました。その中では、1970年代に連盟と大新聞社の間で繰り広げられた名人戦契約を巡る葛藤を、実名や数字を上げて詳しく記述しました。読者から届いた感想は「将棋

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