母の実家である大阪府三島郡吹田町(現:吹田市)の仙洞御料屋敷西尾邸に生まれる。父方の祖父は代々式部卿を務め、後にメリヤス業で成功した裕福な大商家である貴志彌右衛門(松花堂弁当の考案者)という環境で育つ。小学校5年生の時に、芦屋市に転居[4]。14歳より、神戸市の深江文化村でミハイル・ヴェクスラーに直接ヴァイオリンを師事。音楽理論と作曲法を当時、宝塚交響楽団の指揮を務めていたヨーゼフ・ラスカより学ぶ[5]。16歳の時に、大阪で、ヴァイオリニストとしてデビュー[6]。留学直前の1926年秋にエフゲン・クレインからヴァイオリンの指導を受けた[7]。旧制甲南高等学校を2年生の12月に中退[8]。 1926年、17歳で渡欧、1927年、ジュネーヴ音楽院入学、ヴァイオリン科のフェルナン・クロセ(wikidata)の教室で学び優秀な成績で修了[9][3]。1928年、19歳よりベルリンに移住、ベルリン高