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メディアに関するamenotorifuneのブックマーク (4)

  • ネット時代の共生の作法 - 内田樹の研究室

    ある学会誌からインタビューの申し込みがありました。携帯の廃棄物としての重要性を論じるという切り口だったのですけれど、いつのまにあぜんぜん違う話になってしまいました・・・ 学会誌なので、一般読者の目に触れる機会がないと思いますので、ここに採録しておきます。 現在、人口比一人1.3台所持しているといわれる携帯電話。その一方で、出荷数2,610万台のうち、その70%の1,780万台が廃棄されています。これだけ消費されている携帯電話ですが、ケータイやネットによるいじめや犯罪など、現代の社会問題としてもクローズアップされてきています。この膨大な廃棄物となる携帯電話は、何のために利用され、わたしたちのくらしとどう折り合いをつけていくのか。人間の社会活動に造詣の深く日和らない、武道家であり思想家である内田樹氏に、ネット社会のありようやこれからの社会の行方を伺いました。みなさんとともに考えていきたいと思い

  • テクノロジーと常識について - 内田樹の研究室

    MBSの「辺境ラジオ」で名越康文先生、西靖アナウンサー、それと吉新喜劇の宇都宮まきさんと2時間おしゃべり。 今年の重大ニュースということで、ひとつだけトピックを選んでくださいというので、ウィキリークス事件を取り上げた。 ウィキリークス事件については、「すばらしい達成である」と声高に評価する威勢の良い人たちと、ぼそぼそと説得力のあまりない反論をする人たちに二分されてしまった。 インターネット・テクノロジーがらみの議論では、だいたいいつもインターネット賛美者たちが理路整然、博覧強記、縦横無尽の論陣を張って、「そういうのは、ちょっとどうかね・・・」という陰気な反論を鮮やかに蹴散らしている。 私はこういう言説状況をあまり健全なものだと思わない。 議論というのは同じくらい威勢の良い人たちが、同じくらい説得力のある論拠を示し合う拮抗関係においてもっとも生産的になるというのが私の経験的確信だからである

  • Just like a barbarian - 内田樹の研究室

    の現在のメディアの「語り口」の定型性について、ずっと書いているうちに、それを書いている自分の語り口の定型性にうんざりしてきた。 ありがちなことだ。 ある対象を批判しているうちに、批判している当の対象とだんだん「面つき」が似てくるのである。 「重箱の隅」をつついているうちに、「重箱の隅」が視野の全面を覆ってしまうということはままある。 気分転換に、ぜんぜん違う時代の、違う論件について語ったものを読みたくなって、棚を見ると小林秀雄全集が眼に入ったので、中の一巻を抜き出し、適当にぱらりと拡げる。 棚というのは、こういうときに便利である。 ぱらり。 小林秀雄と三木清が対談している。1940年。 小林秀雄がこんなことを言っている。 「僕も前に福沢諭吉の事を書いたことがあるけれども、福沢諭吉は『文明論之概略』の序文でこういう事を言っている。現代の日文明というものは、一人にして両身あるごとき文

  • クールなメディア - 内田樹の研究室

    カウンターを見るともうすぐ899万である。 今日明日中には900万に到達するであろう。 となると、次は1000万である。 だいたい一日1万アクセスであるから、100日後、6月くらいには大台に乗る計算になる。 1000万アクセスという累計もびっくりだが、一日1万という数にもよくよく考えるとびっくりである。 一日1万ということは一月30万。 月刊誌で30万部売れているものはごくわずかしかない。 文芸誌なんて月刊5000部くらいである。 すごいね。 ただ、この30万は同一読者が繰り返しアクセスしているので、実数はずっと少ない。 それでも、同一読者が継続的に個人ブログに書かれているコメントを読み続けることは、読者の情報判断や使用語彙に微妙な影響を与えずにはおかないであろう。 学術雑誌については「インパクト・ファクター」というものが掲載された論文の被引用回数に基づいて算定される。 個人ブログでも世論

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