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ブックマーク / kenmogi.cocolog-nifty.com (10)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 多様性のことである

    「雑草ガーデニング」と言っても、 意識的にやっているわけではない。 鉢植えを買ってきてベランダに置いて あったら、自然に雑草が生えてきて それを放置しているだけ のことである。 しかし、それが心地よい。 どうしてこいつらはここに 来たのか、これからどのように 発展して行くのかと眺めているのが 楽しい。 イギリスにいるとき、家の庭の芝生を きちんとしなければならなかった。 そうしないと、隣近所に 怒られた。 仕方がないから、時折、 紐のようなものが高速で回転して 草を刈るマシーンを使ったが、 当はそのままにしてどんな草が 生えてくるか見たかった。 日曜日。仕事に出る。 合間、代々木公園でしばらく 雑草を見た。 寝転がると、実にいろいろな 草がある。名前がわからないものや、 お馴染みのもの。 小さなカマキリがいる。 これくらいの時はアブラムシ などをべているらしい。 秋に向けて、べた量だ

  • 茂木健一郎 クオリア日記: ヴィトゲンシュタインの猫

    「シュレディンガーの」をご存じか。 量子力学の不思議さを説明するための 思考実験で、 箱の中にと毒薬と放射性元素がある。 放射性元素が崩壊すると、毒薬が こぼれてが死ぬ。 しかし、量子力学によると、 放射性元素が「崩壊」した世界と、 「崩壊していない」世界は 重ね合わされていて、 「観測」するまでわからない。 だから、箱を開けて観測するまでは、 毒薬のせいで「死んだ」 と「生きている」が重ね合わされて 存在していることになる。 実に不思議なことである。 一体どういうことか、 コペンハーゲン解釈、 多世界解釈、 量子重力理論などの諸説紛々、 まだ決着はついていない。 しかし、量子力学の不思議さを 説明するためとはいえ、 「死ぬ」と「生きる」が重ね合わさる のではあんまりがかわいそうだ というので、 しばらく前に「ヴィトゲンシュタインの」 というものを考えた。 が、ヴィトゲンシ

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 『走れメロス』じゃあるまいし

    合宿の間、 手元に仕事を持っていったが、 学生たちの前で開く気になれなかった。 出て行くものたちもいれば、入って くるものたちもいる。 あとからふりかえればきっとかけがえの ない時間だから、手ぶらで「魂ぶらり」が ふさわしい。 三ツ石海岸で星野英一を待っていると、 崖の道をだーっと降りてきて、 満ち潮の海をためらわずに三ツ石まで 走っていこうとした。 真鶴からタクシーで来いと言ったのに、 星野は駅から走ってきたらしい。 『走れメロス』じゃあるまいし、困ったやつだ。 移動の電車の中で、 関根崇泰と目が合った。 私は今まで知らなかったのだが、 関根の舌は耳や指とつながっている らしく、 関根が指で耳をつかんでくるくる 動かすと、舌も一緒に動いた。 どんな仕掛けになっているのだろう。 解明したいと思って、動画で記録した。 http://www.youtube.com/watch?v=9Gmuhm

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 聴くということの価値

    ぽかぽかと暖かい陽光の下、 家を出るのも何だか心愉しい。 ユング心理学会に出る前に、 筑波大学附属小学校の露木和男先生、 鷲見辰美先生にお目にかかって 理科教育についていろいろと お話する。 問いを立てることと、欲望を持つことは 同じことである。 なぜならば、どちらもその中を充足 すべき空白をつくる出すから。 問題は、空白をつくり、それを育むことが 大事であるということが、世間では あまり認識されていないことだ。 露木先生に、すばらしい方法を伺った。 授業の最後に、問いを立てて、 その答えを与えずに、次の授業の 時にその問いから始めるのだという。 空白を抱きながら時を過ごすことの 豊饒にもっと多くの人が気付けば。 ユング心理学会のプログラムには、 4時間とってあって後は何も書かれて いなかったが、 当に特にそれ以上のタイムテーブルは ないらしく、 そのゆるやかな アフリカ的時間感覚はすば

    amenotorifune
    amenotorifune 2007/03/06
    あまりコンテンポラリーなものに囚われすぎてはだめなのである。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 言葉を獲得したというそのプロセスも

    物理的な空間の整理をするのが 相変わらず苦手である。 以前、岩波アクティヴ新書『私の整理術』 の原稿を依頼された時、 周囲からは「お前に整理なんてできない じゃないか、そんな原稿書けないだろう」と 散々言われたが、蛮勇をふるって執筆した。 その時に書いた原稿がこれである。 小学校の時のアルバムが出てくれば、しばし整理している手元を止る。写真を眺め、はるか昔に思いを寄せる。昔の回想などという「ムダなこと」などせずに、さっさと整理を終えてしまうのは、モノの整理としてはいいのかもしれないが、脳の整理としてはどうだろうか。手の動きが止まっている間、物理的な荷物の整理は止まっているが、より重要な「情報の整理」が脳の中で進行しているのである。その結果、友達の名前でインターネットを検索するような、新しいつながりへのきっかけが生じるかもしれない。そのようなプロセスにたっぷり時間を与えてあげることの方が、物

  • 茂木健一郎 クオリア日記: キノコの時間

    とにかく、脳と手足の動きとしては、 「次はこれ、次はこれ」 と畳みかけるように様々なことを やり続けていた休日の一日。 階段を下りている時に、 ふと、「キノコの時間」という メタファーが脈絡なく浮かんだ。 「これだよ、これ!」 と至福感のようなものがじわーっと 広がっていった。 発想というものは当に不思議なもので、 瞬間的にどこからともなく現れ、 そしてその直後にはそれが良きものであるという 確信がすでに成立している。 もちろん、「どこからともなく」 と言っても、 実際には自然の中のものは全て連続しているから、 無意識の過程を含めれば必ず因果的な 連鎖の中にあるわけであるが、 その一部分しか表象しない意識から 見ると、あたかも不連続、あるいは 無から有が生まれたかごとくに 見える。 目が覚めた あともしばらく布団の中でぬくぬくと しているような時。 目の前にある綿毛をしげしげと 見て、

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「クオリア」の「クオ」のあたりが

    先日の日現象学会の会場で、 演壇のテーブルに張られている 「茂木健一郎」という文字を ぼんやり見ていたら、 ゲシュタルト崩壊が起こった。 文字が奇妙に思える だけでなく、 そもそも、なぜ、この文字列が 私という人間を指し示しているんだろうと 思った。 なんでもよかったはずじゃないか。 いつの間にか、自分という存在を この文字列を通して認識している。 その不思議さに心がふるえた。 松岡正剛さんと那須で対談して いた時、 松岡さんの前の卓上に 『クオリア入門』が置いてあった。 その「クオリア」の「クオ」のあたりが 解けていって、 この文字列がいつの間にか 私のライフワークを指し示している ことが不可思議に感じられて ならなかった。 美術解剖学の授業で、森村泰昌さんが 「私」の話をした。 「セルフ・ポートレート」 というテーマを追求してきた森村さん。 デュシャンの「レディ・メード」 がペインテ

  • 奇跡のリンゴ 茂木健一郎 クオリア日記

    『プロフェッショナル』のゲストにいらした 木村秋則さんの人生は、 ドラマティックで感動的な ものだった。 こんなことが当にあるのか、というくらい。 農薬散布でご自身や奥さんの皮膚が やられたことをきっかけに、 不可能と言われた無農薬によるりんご作り に挑戦して、8年間、りんごが出来ない どん底の時代を経験する。 その間、キャバレーの呼び込みの仕事をしたり、 東京に出稼ぎで出てきて、山谷でホームレスを したりする。 収入がないので、子どもたちにロクにものを 買ってやれない。一つの消しゴムを三人姉妹で 切って使うような生活。 もうこれまで、死を覚悟し、とロープを持って岩木山に 登っていく。 月がきれいだなあ、見下ろす夜景が美しいなあ と思う。 突然、リンゴの木が眼に入ってくる。 なぜこんなところにリンゴの木が、と 駆け寄ってみると、それは良く似たドングリの木だった。 それで気がついた。山の中

  • 茂木健一郎 クオリア日記 : 日本のクリエィティヴにダメ出し。クリエイター

    Creativity Now 2005に参加するため、 原宿のラフォーレ・ミュージアムに行く。 始まる前に、文藝春秋の山田憲和さんと 打ち合わせ。 『クオリア降臨』の件。 ゲラの最終チェックと、 表紙のデザインについて確認する。 表紙は、かなりキックの効いた感じに なっており、 発売が楽しみである。 番が始まり、 自分が司会をするセッション 3つが、宇川直宏さんが司会を するセッション1を挟んで進んで 行った。 最後のファッションのセッションで、 私はついに爆発してしまった。 徐々にたまっていったのである。 直接のきっかけは、ファッション雑誌を 巡る対話の中で「ざけるんじゃねえ」 となったことだが、 根的な原因はもっと一般的で深いところに あった。 過度の一般化をするつもりはないが、 当日の会場の雰囲気を一言で言えば、 日の「クリエーター」たちは、自分たち の世界を他者に対して語る言

  • 茂木健一郎 クオリア日記 まっいいか。

    収録の最中に、腹をかかえて笑い出しそうに なったのは、初めてだった。 『プロフェッショナル 仕事の流儀』 の第八回のゲスト、 左官の挟土秀平さん。 圧倒的に話がうまくて、 途中で壁土塗りを実演したり、 そのためにセットを組み直したり と面倒な手続きが必要だったのに、 とてもスムーズに収録が進んだ。 終わったあと、有吉伸人チーフプロデューサーが、 「さん、挟土タレントになれますよ。事務所 紹介しましょうか」 とつぶやいたほどだった。 挟土さんは自ら山に入り、土を 採取、それをそのままつかって壁を つくる。 壁土は温度や湿度などの環境因子 に影響される「生きもの」で、 どんなに熟練した職人でも、 失敗する確率を0にすることは できないという。 だからこそ、挟土さんは自分は とても「臆病」だというのだが、 その「臆病」をうまく使いこなせた からこそ今日の挟土さんがあるのだろう。 その「臆病」の内

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