秋葉原の事件を評してこれまでにも何度も繰り返されてきた通り魔犯罪である、とりたてて驚くまでもないのである、といった意見を散見する。犯罪そのものを眺めればそりゃそうだ、というしかない。人間の行動はそんなに変わらない。これは確かなことだ。弁慶だって京都の橋で夜な夜な通り魔を行っていた。かくなる人間の本質に対する悟性をもってすれば、秋葉原の通り魔にしたって驚くに値しない、というような意見は、しかしながらなぜわれわれが秋葉原の事件に感情の琴線をひかれてしまうのかということを説明しない。 決定的に異なっているのはログがウェブに公開されていた、という点である。ウェブをうろうろしている人間はそこにアクセス可能であった、知ることができた、しかしながら看過した、という点において当事者ポテンシャルの違いが決定的に生じている。ウェブにアクセスしている、という作動において、現場にいあわせた(かのような、ということ