大下 弘(おおした ひろし、1922年(大正11年)12月15日 - 1979年(昭和54年)5月23日[2])は、兵庫県神戸市三宮(現・中央区三宮)出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 愛称は、打球を簡単にポンポン飛ばすことから「ポンちゃん」。 青バットの大下として、赤バットの川上哲治、物干し竿の藤村富美男と共に終戦直後の日本球界を代表する存在であった。特に少年達からの人気は絶大であり、美空ひばりと並ぶ終戦直後の日本における国民的スターであった[3]。 経歴[ソースを編集] プロ入り前[ソースを編集] 父は3歳の時に亡くなり、小料理店を営む母に女手一つで育てられる。1930年に大下は神戸小学校に入学。家庭の事情から非進学クラスに入ったが、1年生の時から常に級長か副級長に選ばれていた[4]。4年生の時に体育教師の勧めで軟式野球を始めるが、グラブを買って欲しいと母親に
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