ろQでなしこ。 https://t.co/Lua9bXlHzs
ベトナム人技能実習生たちの駆け込み寺こと大恩寺@埼玉県への「はてなー」さんたちによる支援プロジェクト「Let's大恩寺!」に、コタツ記事ならぬコタツエントリーを書きリンクを貼って勝手に応援しているシリーズです。前回はこちら。 www.watto.nagoya あれからnoteには、次の記事が新規公開されました。 (追記:note の URL 変更に伴いリンク貼り換えています) note.com なんだかよくわからない新シリーズが始まっていました。 note.com note.com 今回弊ブログで言及したいのは、次の記事です。 note.com 在日ベトナム人には大恩寺さんがあるが、居場所を失くした日本人に「お寺に逃げ込むという発想」はあるのか? という問題提起をした記事でした。 とっさに次のようなブックマークコメントを投入しました。 「無財七施」(カネがなくてもできる七種の布施)の第七「
和田 邦坊(わだ くにぼう、1899年8月24日 - 1992年11月7日)は、日本の漫画家[1]・小説家[1]・デザイナー[1]・画家[1]。本名は和田 邦夫(わだ くにお)。 略歴[編集] 1899年(明治32年)、香川県琴平町に生まれる。 1926年(大正15年)に東京日日新聞社(現:毎日新聞)に入社し、記者や風刺漫画家として活動。新聞漫画家としては朝日新聞社の岡本一平と並ぶ絶大な人気を誇った。小説家としても活躍し、『うちの女房にゃ髭がある』(1936年)は同年に日活で映画化された。 1938年(昭和13年)に東京日日新聞社を退社し、それ以後は故郷の香川県で画家やデザイナーとして活動した。「灸まん」「名物かまど」「ひょうげ豆」など多数の香川県名物のパッケージデザインを手がけ、甥である山田潔が1979年(昭和54年)に「うどん本陣 山田家」を設立した時には、弟の山田正夫(山田家の創業者
アメリカ大統領選挙が来月に迫るなか、ツイッターは、選挙に関する誤った情報が拡散しないようにするため、投稿を転載する「リツイート」をする際、利用者自身のコメントを書き込む画面が表示されるようにし、よ... 243 人がブックマーク・87 件のコメント
当方、20代女性である。 先日ついうっかり足を捻挫してしまい、しばらく松葉杖生活となった。 その際に気付いたことがあるので書き留めておこうと思う。 「男性はぶつかってくる」 男性は駅や街の雑踏でぶつかってくる。それは女性を無意識に見下していて、避けないからだ。 これは女性なら多かれ少なかれ心のなかに共有された理解であると思う。私もそう思っていた。 もちろんわざわざぶつかってくる一種の変態もいる。彼らを置いておいて、男性一般に関しての話だ。 あくまでも個人ではなく集団としてである。 「日本人は酒が弱い」「日本人は清潔を好む」 これらは集団としては成立するが、これを個人個人に還元しようとするのはナンセンスだろう。あくまでもマクロな話であると念を押しておく。 私が気付いたのは、「女性はぶつかってくる」ということである。 私は定期の関係で新宿や秋葉原でよく下車するため、コロナ禍の中でも雑踏を通る機
月に1度、総集編として、先月人気だったライターへのインタビューと、人気記事のランキングをお送りしております。 この記事では、山田窓さんにインタビュー。 11月は「1975年頃の新宿喫茶店マップを作り、300店の「いま」を調べた」が大好評でした。 インタビュアーは編集部・石川です。 文化系っぽい名前=山田 石川: 11月はこの記事が大人気でした。ライターは、先日のデイリーポータルZ新人賞でおもしろがり大賞を受賞した、山田窓さんです。 山田窓: はじめまして、山田窓(やまだまど)と申します。初めての記事が沢山の方に読まれて浮足立った一か月でした。 石川: 山田さんは…窓さんの方がいいですかね?呼称は。なんで窓なんですか? 山田窓: これ、まったく意味はないんです。ペンネームを考えた時に、文化系っぽいことがやりたかったので文化系っぽい苗字なら山田だろうと決めつけまして。 石川: 「山田」の文化系
女性が拘置所で書いた手紙。幼いきょうだい4人の世話を母から押しつけられ、苦悩する様子がつづられている=2020年11月9日午後8時37分、服部陽撮影 「毎日手を合わせ、お供えをしたい。死ぬまで一生続ける」。9月、大阪地裁。3歳だった弟への傷害致死罪に問われた女性(25)は涙をこぼし、タオルをぎゅっと握りしめた。大好きだった弟をなぜ、死なせてしまったのか。拘置所で女性が書いた手紙には後悔とともに、幼いきょうだい4人の世話を母親から押しつけられた苦悩がつづられていた。「(私は)おかん(母)のロボットじゃないのに、おもちゃじゃないのに」――。事件の背景に何があったのか。女性の足跡をたどった。 大阪市の南東部にある平野区。住宅や町工場が混在する地域に、女性が暮らした3階建ての家はある。トラック運転手の父(47)と、中程度の知的障害がある母(43)の長女として生まれた。母に対する父のDV(家庭内暴力
!夏目漱石『こころ』のネタバレを含む。 最近、自己肯定感を高めるメソッドなどを読んで自分の中で意識改革があったのだけれど人間は「ダメでもいい」のだ。 「ダメでもいい」のだけれど「ダメでもいい」と思えるようになるのがわたしには難しかった。 そんな考え方になってしまったのは高校生のとき国語の教科書に載っていた、夏目漱石の『こころ』の登場人物Kの影響が大きい。 Kの生家は寺で、修行僧のようなストイックさを持ち勉学に励む青年だ。恋愛にうつつを抜かして真面目な話に取り合わない「私」に対して「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と一刀両断する。 わたしはこの「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」に非常に感銘を受けてしまった。 精神的に向上心を持たなければいけない。自分に至らぬところがあれば努力しなければならない。決して現状に満足してはいけない。そして努力の見られない他人を見下すようになってしまった。 (余
2020.12.05 あの時代のオタク状況 カテゴリ:カテゴリ未分類 宅八郎の件で、今、それこそマンガやアニメ、ゲームを楽しんでいることが「当たり前」になっている時代と、彼がメディアで取り上げられ、公然とオタク迫害が行われていた時代とのギャップをふと考えます。 当時私は中学から高校にあたる時代で、学校のいわゆる漫画研究会に所属し、マンガ絵を描いたり、同人誌を作ったり、とはいえ、当時の学校の方針で「体育会系の部に入らなければいけない」というよくわからない規則で軟式テニス部にも所属していた(後半幽霊部員でしたが)タイプ。自宅ではパソコンでゲームを自主製作したりと、そういうタイプで。コミケにも晴海会場時代に夏休みに長野から希望部員で遠征して、なんてこともありました。 で、そこで起きたのが例の宮崎事件。当時にも年に2回、東京でコミケで大勢のオタクが集まるイベントを開ける(当時は10万人ぐらいでしょ
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