10月4日未明に関東地方に出された緊急地震速報について、気象庁は同日、地震の規模を過大に予測したことによる誤報だったと発表した。
![東京などで未明に鳴った「緊急地震速報」は誤りだった。一体なぜ?](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/34096e62219d061824d07f111daad9c9db142e9e/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.huffingtonpost.com%2Fasset%2F5c63a6ef260000d202fda106.png%3Fops%3D1200_630)
今、火災になっている、アスクルのセンターで、働いていたのですが、着の身着のまま避難誘導され、私も含め、全員荷物を二階の更衣室の、ロッカーに預けてしまっています。 リュックには、通帳 今、火災になっている、アスクルのセンターで、働いていたのですが、着の身着のまま避難誘導され、私も含め、全員荷物を二階の更衣室の、ロッカーに預けてしまっています。 リュックには、通帳 とカード、印鑑、家の鍵。 上着には、自転車の鍵、Suicaのカード。 駐輪場には、自転車が置きっ放しです。 正午頃まで、外で待機していたのですが、煙の匂いが強くなり、トイレもないということで、 私は1時間掛けて徒歩で家に帰りました。 母がインフルエンザに罹って、家で寝込んでいるので、家には入れました。 会社の上の人達は、皆さんの荷物は大丈夫だと思います、などと言っていましたが、信じられません。ニュースでは、二階にも、燃え広がっている
ネパール中部で発生した大地震で、動画投稿サイト、ユーチューブには、ドイツ人の登山家が撮影したとするエベレスト周辺で雪崩が起きた瞬間の映像が投稿されています。 すると突然、登山家たちが大きな声を上げて走り出し、次の瞬間に、空を覆い尽くす白煙のような巨大な雪崩が迫ってきます。 ドイツ人の登山家は、近くのテントの陰に身を隠し、雪崩がすぎ去るのを待って1分半後に、ようやくその場から立ち上がります。 辺りには、テントや物資などが散乱し、それまで見えていた岩肌は、一瞬にして深い雪に覆われるなど雪崩のすさまじさが捉えられています。 投稿したドイツ人の登山家は、当時の状況について「地震で地面が揺れ始め、人々が走り始めたので、私たちも命を守ろうと走り出していた」と、記しています。
昨日、地震があったとは思えないほど長い二日間でした。地震発生時は4500M付近の崖が続くルートをトラバースしている最中で、しかも、吹雪で視界も限られている状況の中で、足元が流されていくなぁ~と。雪の状態がそうさせているのか、しかし、それからあの3・11を思い起こさせる激しい横揺れが始まりその時点でようやく「地震」と理解。その直後から周辺の山々から爆撃を受けたかのようなガラガラ、ドドド、グゥワォン、ドッカンなどといった爆発音が。 巨大な岩が崩落しその連鎖で土砂崩れが起きたのか、氷河の崩壊による破壊音なのか、なにしろ視界がきかない吹雪の中でその爆音を聞かされ、音もこだまするわけですから、どこからどこに向かって襲いかかってくるのか分からない。どこに逃げればいいのかさえもも分からないまま、ジッと岩陰に身を隠すしかない。真っ白闇の雲の中から突如、僕の頭部ほど大きなの石の塊がいくつも空気をピュー切りな
御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)の噴火で犠牲になった55人のうち、20人が頭部や首に噴石が当たって死亡したことが9日、検視に関わった医療関係者への取材で分かった。いずれも即死だったという。 【写真特集・御嶽山捜索】防毒マスクの機密性をチョックをする消防隊員 ◇撮影し逃げ遅れも この20人以外の死因は、34人が頭や胸など複数箇所に噴石が当たるなどした外傷性ショック死や多発外傷の疑いという。他の1人は気道熱傷だった。 複数の医師が毎日新聞の取材に応じた。 10人近くの検視を担当した医師によると、7〜8割の人が後頭部や背中に致命傷を負っており、噴石から遠ざかろうと逃げたり、地面に伏せたりしていたことをうかがわせる。小石が頭蓋骨(ずがいこつ)を貫通し、頭部に1円玉大の傷が残っていたケースもあった。医師は「たとえヘルメットをかぶっていても助からなかったと思う」と話す。 この医師が
警察によりますと、御嶽山の噴火で12人の死亡が確認され、これまでに全員の身元が確認されています。 亡くなった人を知る人たちは、次のように話しています。 伊藤琴美さん(18) 死亡が確認された伊藤琴美さん(18)は、愛知県立安城南高校の3年生で、17人のグループで御嶽山に登っていました。 グループのメンバーによりますと、27日正午ごろに頂上で昼食をとる予定になっていて、伊藤さんは早めに山頂に到着し、噴火が起きたあと行方が分からなくなっていたということです。 伊藤さんは高校では弓道部に所属していたということで、中学校の同級生の女子生徒は、「いつもみんなを笑わせてくれる明るい子でした。2週間ほど前に学校帰りに会って話したのが最後です。もう一度、話がしたかったです」と涙ながらに話していました。 安城南高校の神谷康夫校長は、「元気で明るく、前向きな生徒だったと担任からも聞いている。大切な生徒が亡くな
「晴れていたのに急にドーンと雷が落ちた。周りにいたみんながグラウンドに身を伏せた。顔を上げたら投手が倒れていた」 試合をしていた選手の一人は落雷の瞬間の様子をこう語った。 会見した誠信高校野球部の加藤方郁部長(51)によると、試合開始10~15分後には雨粒が大きくなり、試合を中断した。5分ほどすると小雨になり、晴れ間も見えたため2回表の誠信の攻撃から再開した。 2回裏、投手の安藤翔輝さん(17)がマウンドに立った。加藤部長によると、まず「ゴロッ」とした雷の音が鳴った。その約10秒後、「ドーン」という音とともに目の前がパッと光り、マウンドで安藤さんが動かなくなっていた。 加藤部長が対戦校の部長とともにバックネット裏にあったAED(自動体外式除細動器)を使って措置をした後、安藤さんは救急車で病院に運ばれた。■近くの柱に避雷針12本 誠信高校によると、当時、グラウンドには野球部員のほか、ハンドボ
南米チリの沖合約100キロで、マグニチュード8.2の巨大地震が発生した。震源地沿岸では、発生後まもなく約2メートルの津波が到達し、他の地域への影響も懸念されている。 現在のところ、この地震による大きな被害は出ていないようだ。だが、その発生の瞬間をとらえた映像を見ると、かなり長い時間激しい横揺れが続いていたことがうかがえる。 ・イキケの沖合100キロ NHKが報じるところによると、地震の発生時刻は日本時間の2014年4月2日午前8時46分頃。震源はチリ北部にタラパカ州の州都、イキケの沖合100キロ。震源の深さは20キロと推定されている。 ・1960年の巨大地震で4メートルの津波 イキケの沿岸では、地震発生後約20分で2メートル11センチの津波を観測。日本への影響について、気象庁は調査中としている。ちなみに気象庁が公開している、過去のデータを見ると、今回の震央に近い地域で発生した地震による津波
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く