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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/column (22)

  • 嫌イスラームの再燃を恐れるイスラーム世界

    シャルリー・エブド誌襲撃事件は、世界を震撼させている。欧米諸国を、というより、世界中のイスラーム教徒を、だ。 フランス版9-11事件ともいえるほどの衝撃を与えたこの事件に対して、イスラーム諸国は即刻、テロを糾弾し、フランスへの哀悼を示した。フランスと関係の深い北アフリカ諸国や、経済的なつながりの強い湾岸諸国はむろんのこと、ほとんどの中東の政府、要人が深々と弔意を示している。エジプトにあるスンナ派イスラームの最高学府たるアズハル学院も事件への非難声明を出したし、欧米諸国から「テロリスト」視されているレバノンの武装組織ヒズブッラーですら、惨殺されたフランスの漫画家との連帯を表明している。 意地悪な見方をすれば、この事件がイスラーム教徒の「踏絵」と化しているともいえる。ちょっとでも犯人側をかばうような発言をして、今後吹き荒れるのではと懸念される欧米での嫌イスラーム風潮に巻き込まれて、「テロリスト

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    antonian 2015/01/10
    良記事。
  • 中国の夢、それぞれの日々

    「息子がスマホにVPNを入れてくれたんですよ...」と友人がスマホを取り出しながら言った時、わたしは一瞬くらっときた。 そうか、中国ではもう高校生でもVPN(仮想プライベートネットワーク)を使うようになっているのか......。この友人は夫婦ともに仕事の関係で外国とお付き合いのある家庭で、この息子さんも大学はそのままアメリカ留学を目指すという。外国のロックを聴くような子だから中国でブロックされているYouTubeなどもきっとVPNで観ているのだろう。 その夜、知り合ってから20年になる文化コンテンツ製作会社社長に会った。彼は自分が副業で香港の老舗と提携して経営している火鍋屋で、わたしを2人の友人に引きあわせた。「昔、香港で広東語のわからないぼくと北京語の分からない香港人の間を、彼女が通訳してくれたんだ...」とわたしを指さしつつ、その2人を北京にある由緒あるスポーツ選手養成学校のコーチだと

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    antonian 2014/04/13
    マレーシア航空機事故の家族を誘導する謎の人物。中国当局の大衆誘導の手腕がなにやらすごい。中国人民が心配である。
  • 海に落ちた針

    これを書いている北京時間の3月13日午前現在、8日未明にクアラルンプールを北京に向けて出発した後消息を断ったマレーシア航空MH370便の「その後」に関する情報はまだまったくない。これまで伝えられていた「ベトナム領空入りした後に消息を断った」という情報に対して、11日夜遅くになって「同機はUターンしてマラッカ海峡に向かった」という情報がもたらされた。これが事実だとすると、北京に向けて東へ飛び立ったはずの同機は、西側に向かってマレーシアを飛び越えてインドネシアやタイとの境へと消えたことになる。ならばなぜ、マレーシア、インドネシア、タイのレーダーに記録されていないのか? ......などと素人のわたしが普通に抱く疑問などとっくに現場に詰めている各国の捜索チームが考えていることであり、ここではもちろんその答えが出せるわけがない。だが、この事件が長引くにつれていくつか明らかになってきたことがある。そ

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    antonian 2014/03/13
    マレーシア航空機事故をめぐる中国の政府やメディアの動きと、マレーシアェ、、、('A`)なお話。混乱してるなぁ。早く見つかりますように。
  • 「テロリスト」の向こうに潜むもの

    先週末、夜の昆明駅で起きた大量無差別殺傷事件は、中国で暮らす人たちに大きな衝撃をもたらした。公安当局の発表によると、わずか8人ほどが振り回した牛刀でなんと約30人が亡くなり、約150人近い人たちがけがを負った。事件の陰惨さとは別に、凶器が爆弾でないことを考えればこの犯人と犠牲者の人数比に驚かざるを得ないが、これが後に当局による「恐怖襲撃事件」(テロリズム)という判断の根拠にされた。 この「テロリズム」という判定がさまざまな論争を引き起こしている。 中国人が「テロ」という事態を意識するようになったのは、2001年の911事件からだ。中国が豊かになり始めた頃で、ちょうど同年夏には2008年の北京オリンピック開催が決まり、世界貿易機関(WTO)への正式加盟も秒読みに入っていた時で、「走出去」(外へ出て行く)とか「国際接軌」(国際化)とかいう言葉がもてはやされていた。世界に対する人々の興味が急速に

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    antonian 2014/03/07
    中国昆明事件についてふるまいさんの記事。「テロリスト」という定義に付いて。
  • 「拝鬼?」

    数年前、日のウェブユーザーたちが創ったキャラクター「日鬼子」(「ひのもとおにこ」)が、中国のネットで話題になったことがあった。 日のアニメキャラ好きな人たちの創作力を結集(?)させた可愛らしいキャラクターで、中国人ネットユーザーの間でも「萌〜!」(日語のネット用語「萌え」=「可愛い」の転用)と人気を呼んだ(「日鬼子 ポータルサイト」 )。 だが、中国人をびっくりさせたのはその可愛らしさだけではなかった。「鬼」という言葉を可愛らしいものに転用させるという日人ネットユーザーのアイディアも新鮮だったのだ。 中国語の「鬼」は、亡霊、化け物、悪漢、陰険さ、腹黒さ、小賢しさを意味する。反語的に俗語で「ちょっと気が利く」みたいに使うこともあるが、一般には悪どさの代表みたいな文字で、中国人はそれを見ただけで憎しみが湧くらしい。日中戦争中に使われだした「日鬼子」とは陰でこっそり日兵を指すもの

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    antonian 2014/01/05
    「鬼」を拝む日中首脳達。どーせなら、日本の首脳は参拝ついでに亀の甲ら焼いて吉凶を占い、中国首脳は饕餮器に注がれた酒飲んで神託受けるなどの演出を行ってくれたりしたら、少し萌える。(違う方向に妄想が暴走)
  • 吾輩は不機嫌である

    天安門広場のあの衝撃的なジープ炎上事件から2週間。だが、当局がメディア報道に規制を敷いているせいもあってか、すっかり人々の話題から消えている。表面的には当局による「テロ」、そして「犯人死亡、及び共犯者たち5人を逮捕」という発表のあと収束してしまった感じだ。 もちろん、経験豊かなメディア関係者や有識者からは疑義は出ている。だが現状もよくわかっている。ジープの運転者がウイグル人だったことから必ず新疆ウイグル自治区の事情を語らざるを得ないが、チベット、ウイグル、台湾などの領土問題は今、中国政府が最も神経を尖らせているイシューであり、下手に触れれば自分が木っ端微塵にされてしまうことを。 「テロ」の定義付けは、アメリカの911事件以降、中国政府にとって大事なカードになった。そして当局は国内外両面向けにこのカードをそれぞれ使い分けている。 911発生当時はテレビに流れる事件の様子を見ながら手を叩いて喜

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    antonian 2013/11/12
    中国における「テロ」、そしてアメリカのテレビ番組への反応。グローバル化した情報社会では様々な価値の相違や思惑などが交差して、ややこしいことになるなぁ。。
  • 中国風ゲンコツのおさめ方

    人にとって、「愛国」は「中国」と並べて考えたくないキーワードのナンバー1だろう。日人で「愛国」をたびたび口にする人でもそこに「中国」が並ぶとむっとするだろうし、「中国」という言葉をみても平気でも「愛国」は敬遠したい。たとえこの2つの言葉どっちも大好きという人がいたとしても、この2つとも苦手という日人の方がきっと多いはずだ。 だが、中国人はどうだろう。たぶん、一般的な日人が思い描くのは、「愛国」について尋ねられた中国人が狂喜乱舞、つばを飛ばしながらしゃべりまくるイメージではないか。 一般大衆という意味での中国人を想像するなら、わたしのイメージもそれに近い。わたし自身、中国人と「愛国」に関する話をしたことがないわけではない。もちろん常に相手をきちんと選んだうえでのことだった。だが、それでも結果的に「愛国とはなんぞや」という結論を見出す前に、相手が日中関係に横たわる深い溝にハマり込んで

    antonian
    antonian 2013/10/13
    本日も興味深いふるまいさんの記事。「愛国」を問われて返す中国人の様々な声。ステロタイプだけとは限らず。そして問う側の中国政府のあり方など。
  • 1年後の北京。人気は和食にラーメン、そして「半沢直樹」

    昨年9月に中国で起こった、激しい反日デモから1年余りが経った。わたしも中国大陸の先っちょにある香港での暮らしを入れればすでに大陸生活も20年を軽く超えたわけだが、確かにあそこまで大規模な「うねり」を感じたことはこれまでなかった。だが、そこから1年、北京のような都会ではすっかりあの「うねり」などどこ吹く風といったように街は姿を変えている。 ちょっと最近、数軒の日料理店に行くチャンスが続いたのだが、そこで見た光景はあの激しいデモと、その後デモには参加していなかった人たちにも「感染」した重苦しい空気とはまったく相容れないものだった。 店内の8割以上が中国人のグループで、みな手慣れた様子で和をつついている。さらに日人オーナーが醸しだすお店の雰囲気をみなが十分に楽しんでいる。以前のように周りが眉をしかめそうな、中国レストランでありがちなふるまいではなく、みながその店のルールと雰囲気に従って味わ

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    antonian 2013/10/05
    まっこと。一緒に楽しめる方がいいよ。んで、中国のお客様が沢山来て日本にお金落として日本経済がよくなりますように、来来。
  • 北京の夢

    「ぼく、仕事辞めたよ。大連に行くことにした」 劉くんがぼそっと言った。まさか、と思いつつ、「旅行?」と尋ねたら、「ううん、水曜日に引っ越すんだ。別に持っていくものもないんだけど」と答えた。それを聞いて「やっぱり...」と心のなかでつぶやきつつも、何を言っていいのか思いつかず言葉が出てこなかった。 言葉が見つからなかったのは、劉くんには申し訳ないが、彼が北京からいなくなることがショックだからではなかった。だが、「キミまでもが!」という思いが先走ったからだ。彼自身に何があったのか尋ねる前に、頭のなかを今年すでに北京を離れた知り合いの、さらにそのまた知り合いたちの顔が走馬灯のように横切った。その数をあとで指折り数えたら、もう10人近くもいた。 もちろん、彼らが北京を離れた理由はそれぞれだ。任期切れ、あるいは担当していたプロジェクトが終わった、あるいは結婚転職など、直接の理由だけを見ると、これほ

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    antonian 2013/08/21
    人口集中し過ぎた東京は色々と住み辛いよなぁと思ってたけど、北京住みはそんなの比較にならないぐらい遥かに大変そうだ。
  • 物価と税金:庶民の気持ち

    先日、あるジャーナリストに誘われて会に出席した。そこには著名な時事雑誌の編集長と、ジャーナリストからスポーツグッズ企業の広報に転職し、現在はその企業の副社長という40代、さらに彼らの大先輩に当たる60代の某政府系メディアの論説員が同席した。誘ってくれたジャーナリスト氏もどちらかというと政府系メディアの人なので、無理のない顔ぶれだが、あまり政府系メディア、それもご重鎮のレベルとはご一緒することのないわたしは、ちょっと緊張した。 とはいえ、集まった人たちは昔からの知り合いらしく、あの話この話と、そこにいる異邦人のことを気にするでもなく、持ち込んだ白酒(シロザケ、ではなく、中国北方人が好んで飲むアルコール度40度以上のお酒のこと)を分けあい、賑やかに飲み、い、語り合っていた。そのほとんどが「誰がどうした、彼がどうした」的な業界話だったのだが、興味深かったのは話題が進むうちにスポーツグッズ企業

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    antonian 2013/07/01
    最近の中国小説読んだりしていて感じた様々な謎が氷解した。重税に苦しむ中国人。こりゃ革命起こした方がいいのではないか?
  • 歴史遺留問題

    今年の6月4日の夜、中国の80年代後半生まれの若者たちと会の約束をしていた。 「お、戦車の日だ」。それぞれの予定を繰り合わせてようやくこの日に決まった時、そのうちの一人がこの日が天安門事件24周年だと気がついてこう言った。「よし、一杯目の酒は地面に撒いて追悼しよう」、もう一人が言う。事件当時はまだ幼稚園児だったはずの彼らの口からさらりとこういう言葉が流れてきたことにちょっと驚いた。 彼らは皆、地方都市か、あるいは都市とも呼べない小さな街の出身者だ。偶然かもしれないが彼らは進学先も北京の大学ではなく、なんどか転職して今の北京の会社で一緒に働いている。そして、今後もまた時期を見て転職して分かれていくのだろう。中国の若者たちはひとところにずっと勤め続ける人の方が珍しい。 中国では天安門事件のことを公開の場で語るのはいまだにタブーだ。教科書にも一言、「政治動乱が起きた」としか書かれていないという

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    antonian 2013/06/10
    前半、中国人民、なかなかやりおるなネタの連発に受けていたら、後半でどーんときて、落ち込んだ。皆さん無事に人生を生き抜いて下さい。
  • 社員旅行で眺めた日本

    5月中旬、友人から携帯にメッセージが届いた。「日では日酒と、冷たいビールと、冷たい牛乳と、冷たいジュースと、冷たい水道水をそのまま飲んでも、わたしのお腹はなんともない! まだまだべたい飲みたいと思うくらい。中国ならそんなことをしたら1日もしないうちにバッタリだわ。ここは当に素晴らしい国!」 中国IT関連企業に勤めるチャンさんは、社員旅行で初めての日滞在中だった。毎日のように彼女から届く写真とメッセージを見て、6日間の滞在を終えて帰国したチャンさんにお願いして仲の良い同僚のシュウさん、モンさん、ビンさんに集まってもらった。チャンさんが得意げに温泉地から送ってきた写真に浴衣と丹前を上手に着こなして仲良く写っていた男性3人組だ。 残業で遅くなる、というビンさんを待たずに、4人で鍋を囲みながらおしゃべりが始まった。 ――旅行に参加したのは何人くらい? シュウ:うちの社員は20人、あと旅

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    antonian 2013/05/21
    中国の社員旅行、日本に来たの巻。靖国も満喫し、政治家の街頭演説も観光。楽しそうです。次は日本の温泉なども楽しんで欲しいですね。しかしビザ取り大変なんだなぁ。
  • アップルの「旨み」

    「神経病!」(キチガイだ!) 周囲の人たちはみんな一言、吐き捨てるようにこう言って顔をしかめた。わたしの知っている限り、彼らの半数以上はアップルのiPhoneiPadのユーザーだ。もちろん、自宅や職場で使うコンピュータがマックだったり、スマホもタブレットも全部アップル製品で統一している人もいる。 だが、顔をしかめたのはそうした「果粉」(「アップルファン」の意。アップル「蘋果」とファン「粉絲」を掛けあわせた造語)だけではない。アンドロイドやウィンドウズPCにこだわりを持っている人たちですら、今のこの騒ぎになんともいえない気分を抱いている。中国でスマホやタブレットを使う人でここ1週間、この騒ぎを話題にしたことがない人はいないはずだ。 「この騒ぎ」とは、前回拙稿「権利とメディア」で触れた「315晩会」以降、激しさを増す「アップル叩き」だ。 3月15日の「世界消費者権利デー」に国営全国テレビ放送

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    antonian 2013/03/31
    ふるまいさんのAppleVS中国政府様バトルについての記事がアップされた あぷーファンのことを「果粉」ていうのかw 誤変換で「華糞」て出た。をい。我がMacbookの意思か?
  • ハッカー騒ぎで中国がいろいろと不利なわけ

    早いものでもう3月に入った。中国の3月は政治の季節。この時期に全国から約5000人あまりの政治協商委員や人民代表らが北京に集まり、1年に1度の政治協商会議と人民代表大会の全体会議がそれぞれ開かれる。中国人はそれをまとめて「両会」と呼ぶ。実際には会議に合わせて家族を連れてくる地方代表や委員もいて、彼らが買い物や飲にいそしむので、北京のサービス業界にはなんともいえないワクワク感が漂う。 特に今年は国の指導部が大幅に入れ替わるので気合も入る。すでにぽつぽつと閣僚級の人選について報道が出ているが、実際に確定するのは3月中旬。でも一旦内部で決まったものが否定されるわけではないので、当局はお祝いムードを盛り上げようとする。 そして、国家主席の席が胡錦濤から習近平へと明け渡される。1年前にはまだ他の人選の可能性が取り沙汰された李克強の首相就任もほぼ確実。こうしてこれからの10年間、中国は習近平カラーの

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    antonian 2013/03/04
    米中ハッキング問題「9時から5時まで土日祝日休み。グループで働く明るい職場。敵国をハッキングする愉しいお仕事です」という文面が浮かぶような情報戦争か。
  • 炎上した「愛心」

    2013年1月4日午前8時40分、河南省蘭考県で起きた火災が7人の子供の命を奪った。焼けたのは14人の子どもたちが暮らすアパート。そのうち4人は養母の袁厲害が運転する電動三輪車に乗って正月休み明けの小学校へと出かけ、もう1人は72歳になる袁の母親に付き添われて学校に向かった後に火災が起こった。 黒煙が上がっていることに最初に気がついたのは近くに住む袁の長女。妊娠5カ月の彼女が慌てて夫に連絡し、その夫が駆けつけた時には建物は煙に包まれ火が燃え盛っていたという。同時に駆けつけた袁の最も年長の養子が中に飛び込み、助け出せたのは一人だけだった。 亡くなったのは小児麻痺や心臓病、脳障害、知恵遅れなどの障がいを持つ、生後7カ月から5歳の子どもたち、そして毎日学齢期の子どもが学校へ、そして大人たちが仕事に出かけた後に彼らの世話をしていた知的障がい者の20歳の若者。消防署によると、そのうちの誰かが屋内で火

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    antonian 2013/02/11
    中国で起きたある事件。いったいどんなことが起きていたんだろーか、読めば読むほど謎。ビクトリア朝の英国を舞台にした小説に出てきそうな話が現代に起きている中国。
  • まだまだ遠き春――「南方週末」事件顛末記

    新年早々、日でも報じられた広東省広州市に拠地を置く週刊紙「南方週末」編集部のストライキ騒ぎが収束したらしい。 ......「らしい」というのは、3日発売になった同紙の新年号が編集部の最終稿から改ざんされたことに対して抗議の声を挙げた記者や編集者が、中国産マイクロブログ「微博」で「きちんとした説明と解決がなされるまでは、一切の編集活動を停止する」と宣言していたから。10日の新聞が何事もなかったかのように新聞スタンドに並んだということは、彼らがいつもどおり仕事を始めた、ということを意味している。 この騒ぎがあっという間にインターネット上で多くの人々を巻き込む騒ぎになったのは、マイクロブログ、それも中国の四大ポータルサイトの一つ「新浪網」が運営する「新浪微博」(以下、「微博」)の「貢献」があってこそだった。 日のメディアに見習っていただきたいくらい、中国メディア関係者は「微博」使いに長けて

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    antonian 2013/01/12
    南方週末事件その後。
  • 零下10℃下の門前払い

    12月25日。クリスマスなのに、近所にあるちっぽけな店で昼ごはんの蘭州ラーメンをすすっていたわたしのところに、友人中国メディア記者(仮に「陳さん」としておく)から電話が入った。 「今、日大使館の前にいるんだけど、これから新大使到着の記者会見があるの。でも日メディア向けらしいから、電話であなたに聞いてもらって通訳してくれない?」 会見場から電話で通訳? なんという斬新な発想!と驚いたが、そういえば陳さんは今年10月に外務省アジア太平洋局長が訪中した際、空港での「ぶら下がり」取材に行ったがすべて日語で、慌てて「周囲の日人記者に尋ねたけど教えてくれなかった」と、わたしと会した時に口を尖らせたことがあった。念のため、彼女はもともと英語で大学院を卒業し、以前西洋メディアで働いていたくらい、英語は流暢である。 その後「かけ直す」と言って電話を切ったもののかかって来なかったので、通訳付きの会

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    antonian 2012/12/30
    日本の外交におけるメディア利用法のお粗末さについて中国の例。微博についてふるまいさんが以前からずっと指摘していたが、声も出ない返答に苦笑。こういう時代だからこそ聡く利用すればいいのに。
  • 「你幸福嗎?(あなたは幸せですか?)」

    10月初め、中国の国営放送、中央電視台のニュース番組で、「你幸福嗎?」(あなたは幸せですか?)とマイクをつきつけられた人が、「我姓曽」(わたしは曽と言います)と答える様子が放送され、大きな話題になった。このまったく噛み合っていない問答が中国のいろいろな現実を、見る人たちに思い起こさせたからだ。 一つは、マイクをつきつけられた相手が、農村から一時的に都会に働きに来た「民工」、つまり出稼ぎ者だったこと。日頃、都会の市民の目にはほぼ「透明人間」状態の彼らは、都市のいわゆる「3K」業をすべて担っている。都市では欠かすことのできない存在だが、この街での生活を文字通りエンジョイしている人たちの目にはほとんど彼らの存在は入っていない。そして彼ら自身も習慣的に「自分とは関係のない人たち」との付き合いに無頓着だ。ある意味、現代中国独特の年における階級社会では底辺にいる彼らに国営放送の記者が突然スポットライト

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    antonian 2012/10/31
    「幸福」という言葉が重い。
  • それでも日本は走り続ける

    中国は9月30日の中秋節から国慶節(10月1日)の8連休に突入、それが明けると休み前の反日デモが醸造した重苦しいムードから開放された。そして、日でも連休明けのメディアで話題のノーベル賞が、国際情勢に敏感な中国人ネットユーザーたちの間で注目を集めている。 こんな「フェーズの転換」は11月8日を「X-day」とみなしているだろう中国当局にとってありがたいはずだ。いや、これも計算済みだったのかもしれない。だが実際はノーベル賞を見つめるレベルの人たちは片時も先日の騒ぎを忘れておらず、ノーベル賞が証明する「日中国の差」をはっきり意識しているのだが。 それは一部の日人が想像するような単純な「酸っぱい葡萄」ではない。逆に彼らは数年前の民主活動家、劉暁波の平和賞受賞に歓声を上げた人たちで、「酸っぱい」どころか、先月の信じられないような暴動を苦々しく思っている。あわせてGDP世界2位のこの国に何が足

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    antonian 2012/10/11
    経済というボーダレスの時代と各国の認識の差異。お互いの国の事情への誤解や認識の溝を埋めるふるまいさんのような方が他国に存在しているというのはすごく大切だよなぁ。
  • 脱皮を始めた都市住民たち

    ここ半年ほど気がついていたのだが、北京の街の表情が以前と違ってきた。「以前」というのはわずか1年あるいは2年ほど前のことで、実はその変化はもうそれ以前から始まっていたのだろうが、わたしがうっかり見過ごしていたのか、それとも当に全く気づかないところからじわじわと広がり、鈍感なわたしも気づき始めたのがここ半年ということなのかもしれない。 その変化とは、北京に暮らす人たちの「公共意識」が急速に高まっている、ということだ。ここでいう「公共意識」とは、人々が見知らぬ多勢の人たちと社会空間をシェア、あるいは共有し合っていることをきちんと意識したうえで、どうすれば自分だけではなく他者も気持ちよく暮らせるかということを考え始めた感があるのだ。日なら公共マナーといわれるものかもしれないが、「マナー」以上の心がけのようなもの、それを人々が自発的に求め始めている。 そんなもん当たり前だろ、とあなたは思うかも

    antonian
    antonian 2012/05/24
    中国の内なる静かな変容について。かつての日本人の公共意識が少しずつ変容していったと同じように中国でも都市部の人の意識が変わりつつあると。長く生活してないと判らない実感だろうなぁ。