日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。 昨日の記事の続きで、映画『博士の愛した数式』の薪御能の場面について。 まず、映画で使われた曲の部分を引く。 思へば假の宿、思へば假の宿に、心留むなと人をだに、諫めしわれなり、これまでなりや帰るとて、すなわち普賢、菩薩と現はれ、舟は白象となりつつ、光も共に白栲の、 ここで場面が切り替わり、現在時間に戻り、空にかかる虹が画面に大写しになる。そして、川のほとりに一人佇む兄嫁が映し出される。義弟と二人で観劇した薪能を想い出しているのだろう。その後、一瞬、雲が赤く燃えた夕焼け空が映し出され、場面が切り替わる。 上掲の引用の後に『江口』にはまだ、「白雲にうち乗りて、西の空に行き給ふ、有難くぞ覺えたる、有難くこそ覺えたれ」という最後の一節があるのだが、映画では省略されている。 『江口』