タグ

ブックマーク / marumushix.hatenablog.com (4)

  • 【バリー・プリザント博士のインタビュー記事を訳してみました】 - なんだなんだ、そうだったのか

    2月28日に、SCERTS研究会(http://scerts.jp/)が主催する「第5回SCERTS研究会例会」に参加してきました。 SCERTSモデルとは、「自閉症スペクトラム障害のある人たちの社会コミュニケーションや情動調整の能力を支援するための包括的、学際的アプローチ」です。 その開発を主に担ったアメリカのプリザント博士の著作、「UNIQUELY HUMAN」を少し前に読んで、いいなあと思っていたため、今回そのSCERTSの研究会が開催されることを知って、専門家でも関係者でもないけれど、思い切って、いち当事者・保護者として乗り込んできました。たいへん勉強になりました。 さて、そのSCERTS研究会のツイッターアカウント(@ScertsCollegium)で先日、こちらの記事が紹介されていました。 http://wrvo.org/post/what-having-autism-real

    【バリー・プリザント博士のインタビュー記事を訳してみました】 - なんだなんだ、そうだったのか
    arajin
    arajin 2016/03/19
    「自閉症でない人がストレスにさらされたときに機嫌が悪くなるのと同じように、自閉症者は脳が認識したことをうまく理解できないときに、礼を失してしまったり、うまくコミュニケーションが取れないことがあります」
  • 【寂しさ、ってなかなかややこしいです】 - なんだなんだ、そうだったのか

    ずっとブログをほったらかしにしていて、今見たら最後にアップしたのは4か月前でした! さて。今日は、なんと、「寂しさ」について書こうと思います。 発達障害ブログで「寂しさ」、着地点はだいじょうぶかな…。まあ、「人生半ばで発達障害に気づいて以来、新しく見える世界を、観察していく」という主旨のブログなので、だいじょうぶでしょう。もうハードル上げると一生書かなそうなので、さくっと見切り発車で。(すみません、かなり長くなりそうです。) 何度かここでも書いていますが、全体的に感情面の成長がとても遅かった私は、思春期~青年期になってもずっと、「うすい半透明の繭に入っているような感覚」をどこかで持っていました。ちなみによく言われる「傷つく」ということの中身も、ずっとよくわかりませんでした。 今日は、そうした「全体的に感情面でぼんやりしていた」私の、「寂しさ」について考察してみようと思っています。 まず、私

    【寂しさ、ってなかなかややこしいです】 - なんだなんだ、そうだったのか
    arajin
    arajin 2016/02/07
    「心がからっぽである」という記述から連想するのは『考える生き方』という本です。/ でも実は心は空っぽではないかもしれません。なにか行動してみると自分の心めいたものが見えてくるかもしれません。
  • 【そういえば感情を表現するのは苦手だった】 - なんだなんだ、そうだったのか

    私は、言葉による表現には、わりと思い入れがある方だと思います。 むかしむかし塾講師のアルバイトをしていたり、その後もちょっとだけ「教える」仕事をしたことがあり、その際には説明がわかりやすい、とけっこう言ってもらいました。 それから、決して社交的ではないけれど、近しい人と話すときには、かなり語りに熱が入ってしまう傾向があり、相手によってはすごく「お喋り」にもなります。思っていることそのままか、できるだけそれに近いものを伝えたい、という欲求が強いのです。 また、3年ほどアメリカに住んでいたことがあるのですが、私にとって「母国語でない言語を習得する」という過程は、決して楽しいだけではなくむしろ脳みそを絞られ続けるような苦悩の連続ではあれど、それでもいつも「面白さ」が勝っていました。 基的に思考過多で、だいたいは認知がずれている妄想のように思うのですが、とにかくいつも頭の中がぐるぐるぐるぐるして

    【そういえば感情を表現するのは苦手だった】 - なんだなんだ、そうだったのか
    arajin
    arajin 2015/08/02
    カラスヤサトシの、新しいランドセルをもらったのに嬉しいという感情が分からずランドセルをズタボロにしたという話を思い出した。子供が感情を感じてる場面では親は「嬉しいねー」とか言ってあげるといいらしい。
  • 【発達障害者はいじめに気づきにくいか】 - なんだなんだ、そうだったのか

    最近、娘の相談で大学の発達臨床センターに通いはじめ、先日も長時間にわたり成育歴に関する聴取があったので、頭のなかでその関連のことが活性化していて、自分自身のいろんな記憶も表層意識の方にぷかぷかと浮かんできていたのかもしれません。 夜にぼんやりしていたら、ふと、空から降ってきたみたいに、ある考えがピコーン、と頭の中にやってきました。 あれって、もしかして…。 それは、事実だとすると二重の意味でけっこうショッキングな気づきでした。 私は中高一貫の女子校に通っていたのですが、ここでの学校生活は、まあ六年もいればなんやかやはあるものの、概ね平和で、取り立てて大きな事件もなく、どちらかと言えばぼんやり過ごしていました。 ただひとつ、とても嫌なことがあって、はっきり時期は思い出せないけれどおそらく中学の終わりくらいから、卒業まで続いていた気がします。 私は、ノートを綺麗に書く、ということにかなりの執着

    【発達障害者はいじめに気づきにくいか】 - なんだなんだ、そうだったのか
    arajin
    arajin 2015/07/28
    「発達障害者は、「何も感じていない」のではなく、無意識にでも自分が何かしらのダメージを受けている、痛い、ということは、感じているのです。」自己観察力および他者観察力が弱い。健常者は超能力者レベル。
  • 1