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文化と文字に関するardarimのブックマーク (50)

  • 第37回 「△」のない中国とベトナム | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    中国では現在、試験回答の正解には「」とチェックマークを付す。中国ではローマ字の「v」の字のように左右の線の上の高さは同じくらいともいう。ただし、博士論文の審査の時に、合格者に書かれるマークは「○」で、この丸を付けることを通常「画圏」(hua4 quan1 ホア・チュエン)という(書類の名前欄に、自分がその書類を見終えたということを記すためにも使われる)。中には「」を書いて「○を付けた」と表現することもあるそうだ。 反対に、不正解には「×」を記す。中国では、古くから「凶」という漢字に「×」という表象を含ませたり(前回参照)、「乂」(ガイ)という形態で、草を「刈」る意を表す字などがある。後者は鋏(ハサミ)の象形との説もある。 そして、半分くらい正解、つまり日でいう三角には、「」の右に「ヽ」を交差させた独特な記号である「」を記す。 それぞれの記号には、韓国と違って名前でよく呼ばれる。「」は「対

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  • 第36回 韓国には「×」がない? | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    韓国では、試験などの採点に用いられる記号としては、「○」「△」「/」が一般的に多いそうだ。「△」の代わりに部分点の点数のみを書くこともあり、「△」や「/」の横に点数を並べて記す先生もいるという。このような数字と併記するたぐいの方法は、日でも見受けられる。不正解には「/」の代わりに、日と同じく「×」を使う先生もいるという。 ただし、一部の辞書に載っている、丸を指す「トングラミ(ピョ) donggeurami(pyo)(まる標:印)」、バツ(罰)を指す「カウイ(ピョ)・カセ(ピョ) gaui(pyo)・gasae(pyo)(はさみ標:印)」などの名称は、ふつう使われず、試験の解答についても、「合っている」「合っていない」などと動詞などを用いて句で言い表すとのこと。「△」は「semo」(セモ)と、三角を意味する固有語で呼ぶが、「/」は鋏の形でもないので上記のものはもちろんだが、「スラッシュ」

    第36回 韓国には「×」がない? | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
  • 第35回 試験と「○×△」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    新学期、晴れがましい新入生たちでキャンパスは一杯になる。初々しく見える彼らも、高校や予備校を終えるまでの間に、さんざん試験のたぐいを受け、その答案用紙には幾多もの「○」や「×」が付けられてきたはずだ。いや、これからも大学はもちろん、下手をすると社会に出てからも、それらの記号から逃れられない人たちも少なからずいるに違いない。 日人には、漢字について色々とあげつらう性質がいつの時代にも残っている。要人らの読み間違え、書き間違えに対する昨今の評も、同根であろう。国語のテストに限らず、さまざまな科目で、答案に記された漢字に対して、「○×」を付けるために細部にまで目を光らせることがあるそうだ。字形を確認し、正誤を判断するために、虫眼鏡まで持ち出されることもあると時折聞く。 この「○」「×」と、その中間の点であることを示す「△」という記号は、万国共通のものなのであろうか。このことについて、特に漢字圏

    第35回 試験と「○×△」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
  • 文字を手で書くこと - 明窓浄机 YAMAMOMO

    2009/03/18 當山日出夫 偶然であろうが、松田清さんが、「写す文化」として書いている。 松田清のtonsa日記 http://d.hatena.ne.jp/tonsa/20090318/1237340540 蘭学に限らず、漢学にせよ、国学にせよ、「写」の重要性は、認識しておくべきである。近世になって版の時代になりました、で終わりではない。近世になってからも、連綿と、書写・写歴史はある。いや、明治以降になっても。 文字を手で書くこと、文章を声に出して読んでみること。このことが、まず、教育の基。これは、今も昔も変わらないはずである。 文字に話しを限定すると、手で書く(写)するからこそ、美しく書こうとする努力も生まれる、と同時に、楽に書こうともする。そこから、略字などが生まれてくる。 印刷のと、手書き文字の間を、行ったり来たりできる、このことが根底にあるべき……という認識は

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  • 絵文字:通信と表現のはざまで: やまもも書斎記

    2009/03/20 當山日出夫 小形さんの「もじのなまえ」で、CNETに掲載(小形さん執筆)の、 絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」 に言及がある。 文字のなまえ http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090319/p1 CNET http://japan.cnet.com/column/pers/media/story/0,2000058034,20389042,00.htm また、非常に興味深いのは、 Mac OS Xの文字コード問題に関するメモ ケータイの絵文字はどこまでズレるのか http://d.hatena.ne.jp/NAOI/20090306/1236316016 やはり、ここで考えるのは、通信としての規格(同じものが見える)ということと、表現への要求(この気持ちをこの絵文字でつたえたい)、この両者間のゆれ動きかとも思う。 だが、「表現」の立場

  • 絵文字における通信と表現(2): やまもも書斎記

    2009/03/09 當山日出夫 現在の日語の表記は、明朝体活字(ディスプレイでは、サンセリフ系になるが)と、通行の仮名字体で、ほぼ固定してしまっている。活字や、コンピュータのディスプレイ表示に限定せず、手書き文字まで視野を拡大するならば、文字を書くこと=表現、である。 絵文字について、何故、関心がたかいのか、いろいろ理由はあるだろうが、ユーザの表現への要求ということが根底にあると思っている。言い換えるならば、規格化された文字では表現しきれない何かがあるから、種々に、工夫を加える。 そのひとつが、顔文字。その最も初期のものは、 :-) 個人的には、私は、顔文字は基的に使用しない。文章(通常の文字)によっって伝えられる限りのことを、書きたい。 とはいっても、実際には、「?」「!」などは、使う。「?」「!」などは、文字であるのか、記号であるのか。さらには、印刷における、アンダーラインや、圏

    ardarim
    ardarim 2009/03/10
    !や?は音声言語でいうところの声調とかアクセントを代替・補完するもの、と考えれば音声言語を表記するための「文字」に含めていいのかも。アンダーラインとか圏点とはちょっとカテゴリが違いそうですね。
  • 第32回 中国での「成績」、そして漢字圏全体の比較 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    前回記したように、韓国の「美」は他には見られない。なお、「美」という漢語は、中国韓国そしてベトナムではアメリカのことをも指す。日では「米」がアメリカを指す略語として頻用され、新聞で「こめ」をカタカナの「コメ」へと追いやった。日の「米」は、中国での古い訳が残ったもので、異彩を放っている。 上の表では、中国では「中」を含む方式を取り上げた。そこでは90点以上が「優」であるため、単純に見たならば、日韓はインフレ気味だ。点数ごとにそれらしい意味を有する漢字1字ないし漢語1語で評価が出ることが共通しているだけに、ズレがややこしい。また表のように、中国韓国とでは「良」の点差は平均で20点程度、最大では29点に及んでしまう。 そして何よりのこととして、前述のとおり、「可」は、ベトナムでは84点(さらに小学校ならば90点近く)でもそれが付けられるのだが、韓国ではそれが実に落第点となるのであったのだ

    第32回 中国での「成績」、そして漢字圏全体の比較 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
  • 新常用漢字:解釈による運用: やまもも書斎記

    2009/02/13 當山日出夫 先日の、国語研でのワークショップ。小形さんの発表は、大日印刷の拡張新字体の利用は、当用漢字表の理念を解釈によって運用していたものである(と、私は理解して聞いた。) そして、これまで、「文字の理念と規格と規範」で述べてきたことは、まさに、文字は解釈によってしか運用できないものである、ということの、きわめて個人的的な体験談である。極言すれば、これと同じ字(字体)は、康煕字典にのっていないので読めない・・・こんなことを言い出したら、おそらく、東洋の古典籍の大部分はよめない、はずである。 しかし、現実にはそうなっていない。なぜなら、康煕字典に載っているこの字は、実際の典籍のこの字と同じであるということが、暗黙のうちに諒解されているから、である。 これは、現代についても同じ。でなければ、観光客が、京阪電車で、「祇園四条」で降りて、八坂神社に行けるはずがない。また、

  • 漢字の丸暗記は不要な時代になるかもしれない - FANTA-G:楽天ブログ

    2009.02.03 漢字の丸暗記は不要な時代になるかもしれない (5) カテゴリ:カテゴリ未分類 国会で総理大臣に漢字のテストを出して総理を糾弾する、という、ヘンな政治家がいましたが。まあ、政治家が漢字を読めないのは、声優がセリフをとちるのと同じであまりほめられたものじゃないですけど「漢字が読めない=頭が悪い」と言うことにはならないと思います。現に実践英語は堪能ですからね>首相 私はこれから「漢字を丸暗記する能力」というのは、どんどん意味の無い勉強になると思います。と、いうのは、すでに社会の現場においてパソコンの普及で「読めさえすればいい」という環境に完全に移行しているからです。 どうして昔は漢字を書けなければいけなかったのかを考えると、書類を書くのが手書きだった時代はいちいち辞書を引いて調べる時間の効率化であったに他ならない訳で。しかし、今はその意義がどんどん薄れている。何しろ携帯電話

    漢字の丸暗記は不要な時代になるかもしれない - FANTA-G:楽天ブログ
    ardarim
    ardarim 2009/02/03
    「読めればいい」まあそうなのかもしれないが、「書く」基礎ができていないとまともに読めないと思う。辞書で調べるといっても偏や旁などの知識が必要。書くという作業で記憶が活性化するという話もあったな。
  • 第29回 「餅」のイメージ | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    正月になった。「ご飯にするとお茶碗3杯分」と数えたりしながらお(前回)をべる。焼いては砂糖醤油を付け海苔で巻いてべ、雑煮に入れては味をしみ込ませてべと、正月太りの一因となるものだ。 小学生の頃、日海に面した田舎で、正月の前後に、炊きたてのもち米から杵と臼でを搗きあげる大人たちを見た。売られている切りしか知らなかった子供は、まだところどころに米粒が姿を残したままの搗きたてののことを、「こんなものは当のではない」とむしろ思ってしまった。 さて、新年には、今年の抱負、などと称して色々な計画を立てたり、夢を抱いたりするものだ。それがあまりに実現不可能なものであれば、「絵に描いた」と言われてしまう。すなわち「画」という語は、日ではガベイ、ガヘイ、ガビョウと様々に読まれる。 「絵に描いた」で実際にイメージされる「を絵に描く」とどういうものになるだろうか。実際に尋ねて描いて

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