場所とアイデンティティの問題について、以前からこのブログで問題にしてきたが、それを今回から本格的に行なってみようと思う。 「セカイ系」と呼ばれる作品群について問題にすることも、僕にとっては、場所とアイデンティティを問題にすることであった。セカイ系の場所というのは、究極的には、ひとつの心象風景に集約することができるかも知れない。例えば、『エヴァンゲリオン』の劇場版に出てきた公園などがそうした風景である。 新海誠の作品の風景も、そんなふうに理解すべきかも知れない。『ほしのこえ』で語られる「携帯の電波の届く範囲」の世界とはどのような世界だろうか? それは、メールの送り手と受け手の間で共有される世界、「きみとぼく」の世界であるだろう。もちろん、そうした世界が彼らにとって、世界のすべてであるとは思っていないことだろう。その外部にも世界はあるだろうが、そうした世界が彼らにとって重要性をほとんど持ってい