2013年4月21日のブックマーク (16件)

  • 囲い込まれた自然と文化:宝塚

    宝塚に転居して一年,近隣の目もくらむ自然格差・文化格差に愕然たる思いだ。 宝塚は神戸・六甲山系の東山麓。かつては美しい里山・田園地帯であったのだろうが,容赦ない宅地開発で,いまや醜怪な現代都市に変貌している。 以前の比較的余裕のあった邸宅が相続で売却されると,跡地は分割され,3~4軒のマッチ箱住宅が建つ。あるいは,わがアパートのような,貧相な墓石型集合住宅となる。 このような新興住宅住民には,豊かな自然や文化は無縁だ。働き,い,寝るだけ。貴族主義者のハンナ・アーレントは,「労働」を必然と消費に隷従する最下級の人間行為と喝破したが,私のような庶民アパート住民には,反論のしようもない。 かつて高度成長以前の日社会では,そうではなかった。人々の多くは貧しかったが,下町でも農村でも時間はあふれ,様々な趣味や遊び,つまり多様な文化が栄えていた。美しい自然と多様な文化は,日を訪れた外国人を痛く感

    囲い込まれた自然と文化:宝塚
    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    雑然とした必要と消費のための街に成り下がってしまった。 例外があるとすれば,それは金網と鉄格子で囲い込まれた広大なゴルフ場だけ。そこは別天地。花々が咲き乱れ,小鳥がさえずる美しい自然の中で,時間はゆっ
  • カーターセンターと米太平洋軍とネパール(2)

    2.米太平洋軍の軍事援助 カーターセンターの人権・民主主義援助とセットになっているのが,米太平洋軍の軍事援助。タカとハトの使い分けこそ,米外交の持ち味であり,深さであり,強さだ。 (1)米丸抱えのShanti Prayas Ⅱ 先述のように,パンチカルの「ビレンドラ平和活動訓練センター(BPOTC)」での「Shanti Prayas Ⅱ(SPⅡ,平和活動Ⅱ)」は,3月25日~4月7日,871人(ネパール416人,外国23カ国455人)が参加し,実施された(ekantipur,Apr8,2013)。 ■訓練中のフィリピン兵/村民統制訓練(PACON, Mar30/27) SPⅡは,米政府の資金援助により,米太平洋軍Global Operation Initiative(GPOI)の訓練プログラムの一環として実施された。 SPⅡには,米太平洋軍トマス・L・コナント副司令官が視察に訪れた。また,

    カーターセンターと米太平洋軍とネパール(2)
    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    イザとなれば,シビリアン・コントロールに復帰する。アメリカはやはりスゴイ国であり,ぎりぎりのところでは信頼に足る本物の民主主義国だ。 これに比べ日本は,政治的に未熟であり,ハトとタカの使い分けはどだい
  • ララビアータ:不愉快なもの - livedoor Blog(ブログ)

    近頃とりわけ不愉快なもの。1)オリンピックの東京招致の狂態。2)AKBの小娘たちの醜態。3)WBC「サムライジャパン」のバカ騒ぎ。 これらに共通するものは、白痴的幼児性と欲ボケ老人とマスコミの幇間たちである。どれも実に醜悪で、笛や太鼓で浮かれ騒いでいるように見えるが、その実、妙に冷めてもいて、冷静にそろばんをはじく音が裏から聞こえてくる。騒いでいる人たちも含めて、誰ひとり気にしている者はいない。何とかババをつかまずに逃げきることしか念頭にない。沈みゆく船の上で、最後のばくちを打つつもりなのだ。すでに、登場する者すべてに、死相が浮かんでいる。

    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    これらに共通するものは、白痴的幼児性と欲ボケ老人とマスコミの幇間たちである。どれも実に醜悪で、笛や太鼓で浮かれ騒いでいるように見えるが、その実、妙に冷めてもいて、冷静にそろばんをはじく音が裏から聞こえ
  • 片山杜秀「国の死に方」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    新潮新書 2012年12月 片山氏のは「未完のファシズム」がとても面白かったのだが、それは東日大震災以前に書かれたもので、この「国の死に方」は、震災の後、このままでは国が滅ぶのではないかという危機感のもとに書き始めたものらしい。それでこういうタイトルとなっている。 「未完のファシズム」では、戦前の軍国主義といわれた時代の体制は、実はファシズムどころか、権力が分散していて独裁などとはほど遠いものであったことを指摘したものであった。 書もまたそれの延長のうえにあるのだが、その基は、近代は専門化と分化の時代であるということで、軍事、外交、財政、科学といったそれぞれの分野にすべて通暁したトップなどはありえないから、そもそも独裁ということは不可能であるという視点である。しかし、平時はそれでいいとしても、非常時にはそれでは困る。東日大震災は非常時であった。しかし、日という国は非常時の対応を

    片山杜秀「国の死に方」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    自分たちの死後も、そのような寡頭体制あるいは賢人政治のような体制、要するに反=民主主義的な体制を維持していこうとした、それが国体なのではなかったのだろうか? 議会制などというのは所詮は衆愚制なのであり
  • D・カーネマン「ファスト&スロー」(4)第10章「少数の法則」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    第10章「少数の法則」は大変面白かったので、単独でとりあげてみる。 細工をしていないコインを投げて、裏表のどちらがでるかを記録していく。表裏裏表表表裏表裏表・・・などで、この場合、最初の2回なら1:1。4回なら1:1、6回なら1:2、8回なら3:5、10回なら1:1と変動していくが、回数が多くなるにつれ、1:1に収斂していくはずである。これを「大数の法則」という。 しかし、投げる回数が少ない場合、極端な場合、10回投げて10回とも裏、あるいは9回表で1回だけ裏ということもありうる。したがって標数が少ない場合に、そこで得られた結果から何かの推論をすることはきわめて危険である。しかし少数ではあっても、そこで得られた結果は「事実」であり、われわれには「見たものがすべて」という強い傾向があるので、われわれは数少ない例から大胆な推論をしがちである。 「私たちの脳と統計学はなじみが悪い。」 カーネマ

    D・カーネマン「ファスト&スロー」(4)第10章「少数の法則」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    世にいわれている経営改善策というのもまた同じなのではないだろうか? ある会社がうまくいっていて、別の会社がそうでないのはなぜか? それは単なる偶然ということが多いのではないだろうか? あるいは、しばら
  • D・カーネマン「ファスト&スロー」(7)第17章 平均への回帰 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    この章は医療の臨床の問題と直結していると思うので、単独で取り上げることにする。 いわれているのは「2種類の計測値の相関が完全でない場合には必ず平均回帰が起きる」ということである。これだけだとなんだかよくわからないが、カーネマンが好きな公式、「成功=才能+幸運」、「大成功=少しだけ多くの才能+たくさんの幸運」から導かれるように、われわれが日常に遭遇することのほとんどには運がかかわっている。うまくいった場合、運が加味しているから、次にやるときには運の量が減り平均的な数字に落ち着くということである。AというゴルファーがBというゴルファーよりも才能があれば、平均すればAのスコアはBのスコアよりもよい。しかし、Aがある大会で初日トップにたったとすれば、それは才能の寄与よりも幸運の寄与の方がより大きい。だから二日目にはAのスコアは、初日よりも悪くなる可能性が高い。 飛行機操縦の訓練において、うまくいっ

    D・カーネマン「ファスト&スロー」(7)第17章 平均への回帰 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    われわれの経験することは、ほとんどが平均からの逸脱と、また平均への回帰で説明できるのかもしれないが、平均からの逸脱時になにかすると、それをしたことが平均への回帰を促したように思えてしまう。われわれは因
  • D・カーネマン「ファスト&スロー」(9)第22章「エキスパートは信用できるか」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    「エキスパートの直感は信用できるか」と題されているこの章では、「信用できない」派であるカーネマンが、「信用できる」派であるクラインと、「経験豊富な専門家が主張する直感はどんなときなら信じてよいか」について共同研究したエピソードが紹介されている。その共同研究をしている最中に、グラッドウェルの「第一感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい」が出版された。このには、ギリシャ彫刻の真贋を美術専門家が鑑定する場面があり、複数の専門家が何となくおかしい、これは偽物であると感じるが、なぜそう感じたのかはうまく説明できないという事例が紹介されており、これこそが直感の威力であるとグラッドウエルはしていた。 カーネマンは臨床的予測がアルゴリズムに劣るとするミールの研究に影響された。一方、クラインは消防士の作業に密着して取材し、現場で彼らがどのように決断するかについて研究してきた。クラインの研究によれば、彼

    D・カーネマン「ファスト&スロー」(9)第22章「エキスパートは信用できるか」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
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    arkanal2 2013/04/21
    世の中には疑似エキスパートがたくさんいる。自分の判断は信頼に値すると熱心に説く輩は絶対に信用しないほうがいい。直感的な判断があてになるのは、それが十分に予見可能な規則性を備えている事象であること、長期
  • D・カーネマン「ファスト&スロー」(10)第23章「外部情報に基づくアプローチ」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    カーネマンは若い頃、判断と意志決定を高校生に教えるためのカリキュラム作成と教科書づくりにかかわったことがある。そのためのチームを作成し、毎週金曜の午後に集まった。一年たった時点で、カーネマンはチームの人たちにあと何年で教科書は完成すると思うかを聞いてみた。ほとんどがあと2年くらいという答えであった。ちなみにその時点では、シラバスの大筋が決まり、教科書の最初の2章が完成していた。チームのなかには教科書づくりの専門家もいた。カーネマンは、その人に、今までの経験では、われわれくらいの段階まできてから平均あと何年くらいで完成するものなのだろうか、と聞いてみた。返事は、プロジェクトが完成しなかったチームも40%くらいあるし、完成したチームも7年以下でできたものはなかった(10年以上もなかったが)、というものであった。彼の評価によれば、カーネマンらのチームは教科書作成チームとしては平均レベルをやや下回

    D・カーネマン「ファスト&スロー」(10)第23章「外部情報に基づくアプローチ」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    楽観バイアスが過度のリスクテイクの原因となる。これは人間は確率的に有利な場合のみリスクをとるという標準的な経済学モデルには反する。  われわれは、これまでの努力を水の泡にするくらいなら、外部情報は無視
  • D・カーネマン「ファスト&スロー」(11)第24章「資本主義の原動力」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    われわれは世界を実際より安全で親切な場所であると考え、自分は将来を適切に予想をできると過信している。われわれは一般的に楽観的であるが、並外れて楽観的な人間がいる。そういう人間が発明家、起業家、政治家、軍の指導者になる。行動をおこすときは楽天家であるほうがいい。 アメリカでは起業家が5年生き延びる確率は35%である。しかし、起業家自身はそれを一般には60%くらいと思っており、自分自身の成功できる確率は、起業者の8割は70%以上と思っており、33%は100%だと思っている。楽天家は壁にぶつかってもめげない。このような楽天家の積極的なリスクテイクが資主義を活性化させている。 専門家は高い自信を示すべきだと思われている。自信のなさそうな専門家はテレビの解説にはお呼びがかからない。自信のなさそうな医者は信用されないだろう。 成功は自分のおかげ、失敗は他人のせい、というのが楽観主義者の信念である。学

    D・カーネマン「ファスト&スロー」(11)第24章「資本主義の原動力」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    成功は自分のおかげ、失敗は他人のせい、というのが楽観主義者の信念である。学術研究もきわめて失敗率が高い分野である。楽観主義をもつことが成功の必須の条件であるかもしれない。成功した研究者で自分の研究の重
  • 人間の土地

    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    人間であるということは、とりもなおさず責任を持つということだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た
  • “大人の発達障害”と決め付ける社会で起きた原発事故 - 新温暖化メモ

    NHKクローズアップ現代「“大人の発達障害”個性を生かせる職場とは?」 “大人の発達障害”。脳機能の発達に偏りがあり、例えば「人の気持ちを察することが苦手」などの傾向がある。しかし、中には、集中力や記憶力に優れているなどの特性も見られる。そのため大人になっても自覚なく働いている人がほとんどだ。かつては“少し変わっている”とされるだけで問題なく職場に溶け込んでいたこうした人たちが、今、孤立し、うつ病になるケースが増えている。背景にあるのは、成果主義の導入などでゆとりを失い、不寛容になった職場環境。 放送では“大人の発達障害”の特徴として「言ったことを文字通りそのまま理解してしまう」「空気読めない」などが挙げられ、こういう人達をコミュニケーション不全としている。 しかし、職場の「空気読めない」などというもののほとんどは実は組織の権力関係に対する鈍感さ、センサーの未発達によるものだろう。他にも、

    “大人の発達障害”と決め付ける社会で起きた原発事故 - 新温暖化メモ
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    arkanal2 2013/04/21
    こういう空気読めない人々を“大人の発達障害”と決め付けるのなら、原子力村住民や空気読んだポジショントーク以外、素直に正直に考えるというベーシックな思考が退化してしまった霞が関あたりの人々こそ“大人の発
  • 戦闘教師「ケン」 激闘永田町編: 何をいまさら「人口減」?

    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    現状のまま人口を増やしたところで、その子が成人する頃には、その3分の2はアルバイトか他国へ移民、残る3分の1はサービス残業バリバリの超長時間重労働の正社員という、「就活に失敗すれば人生終わり、成功して
  • [朴露子ハンギョレブログより]魯会燦(ノ・フェチャン)、そして階級政治の未来

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    arkanal2 2013/04/21
    そこで低賃金労働力を搾取して発生した税金でインド人を排除した韓国「国民」のみの福祉国家が営まれたところで、それは果して80年代に弾圧を受けていた社会主義活動家・魯会燦の良心をもって受け入れられる事柄でし
  • [朴露子ハンギョレブログより]「文化」という新保守主義のコード?

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    arkanal2 2013/04/21
    韓国進歩派が、自民族エスノセントリストで日本のリベラリストが非対称にそれに屈従するという三角コアラ氏やマクロン氏が必死になって喧伝する構図がいかに、検証・吟味からほど遠い偽りの構図であることか一目瞭然
  • 憲法前文に国の歴史・伝統・文化が語られるのは当たり前? - トラッシュボックス

    国憲法前文。 日国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従

    憲法前文に国の歴史・伝統・文化が語られるのは当たり前? - トラッシュボックス
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    arkanal2 2013/04/21
    自民党の草案が挙げる、 「長い歴史と固有の文化」 「先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展」 「今や国際社会において重要な地位を占め」 「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」 「美しい国土と自然
  • 戦闘教師「ケン」 激闘永田町編: ケン先生再びブチ切れる?-「故郷」の解釈をめぐって

    ある議員が「唱歌『ふるさと』に歌われているような日の豊かな自然を守らなければならない、かつての日は美しかった」みたいな話をしているのを聞き、またぞろブチ切れそうになった。これも杜甫「春望」の「国破れて山河あり~」や「天高く馬肥ゆる秋」と同じ、ご都合主義的解釈の典型例かもしれない。 唱歌「ふるさと」の冒頭「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」について、どうも若い連中は皆「野うさぎと戯れ、川遊びに興じる」みたいな図をイメージしてるようだが、そんな腑抜けたものではない。 あれは、日々のべ物にも困る貧困家庭の子どもたちが、飢えを凌ぐために糧採取すべく山川に遣わされている構図を歌っているのであって、決してのどかな田園生活を謳歌したものではない。 またその三番冒頭は「志を果たして、いつの日にか帰らん」とある通り、故郷での刻苦を忘れることなく、立身出世して故郷に錦を飾ってくれる!という決意表明なの

    arkanal2
    arkanal2 2013/04/21
    政治家が過去を捏造して勝手なイメージで物を語るのはよくよく慎まねばならない。同時に日本の保守はことごとく過去を捏造して美化するところが、本質的に悪質と言える。 私の歴史解釈が常に正しいなどと言うつもり