時は21世紀前半。我々は情報社会に生きている、と人は言う。インターネットは吾々の生を益々簡便なものにし、さまざまな障壁を取り払う。かつてある哲学者は資本こそが最も冷徹な地ならし屋だと考えたが、いま人々の生活世界を恐ろしいスピードで水平にしていくのは吾々をつなぐネットワークとそこで伝達される情報である。そして吾々は、それがよいことであるような気さえしているのだ。 けれども前世紀のおわりに楽観的な識者たちが夢見たようにインターネットが世界を益々民主的に変貌させていくということはない。たしかにソーシャルネットワークはトリポリで革命を起こしたかも知れないが、情報が資本と同じような差異の運動のさなかにその本質をもつというのならば、その自由な流通の結果発生するのは、情報を多く持っているものと少ししか持っていないものの格差なのではないか。 近年、情報強者と情報弱者という対立軸を耳にするようになった。グロ