2013年2月7日のブックマーク (4件)

  • 檻の中の著作権:少年 佐藤秀峰:佐藤秀峰チャンネル - ニコニコチャンネル:エンタメ

    僕は好きな歌があるんだよ。 でも、もしもここに「この歌詞のここの部分がグッと来る」と歌詞を引用したり、歌詞カードの写真をUPしたら権利団体がやってくるかもしれない。 好きな音楽をたくさんの人に知ってもらいたいだけなのに、それができないなんて何だか不便だなぁと思うのです。 こんな事件がありました。 インターネットのフリーカルチャーを推進してきたことで有名なアーロンシュワルツさんが、2013年1月11日にニューヨークの自宅で亡くなっているのが発見されたそうです。 彼は大量の学術論文データなどを盗み出したとして逮捕、起訴されており、そのことを苦に自殺したものと見られています。 26歳でした。 彼の死について、NPO法人 クリエイティブ・コモンズ・ジャパン理事のドミニク・チェンさんが寄せた記事を拝見しました。 ドミニク・チェン特別寄稿:天才A・シュワルツの死が知らしめた、ある問題について 記事を書

    asanomi7
    asanomi7 2013/02/07
    「漫画の幹を太らせるようなことをすれば、僕も生かされるだろう」が二次利用フリー化の真意。ずっと先を見ておられる。それが今の利益をも産む。
  • 「そろそろ来るんじゃないか」山小屋に牛乳やお団子を置いてあった | 大槌みらい新聞

    大槌町安渡 越田ミサ 74歳 津波で逃げるときは、人に声を掛けては、ダメだと。ついつい、立ち話になってしまうから。とにかく一目散に避難して、そして、1回避難したら、絶対に帰ってこない(ようにしろ)と。常々、言われてきた。言い伝えがあった。 流された自宅の跡に立つ越田さん。花壇で薔薇などの花をたくさん育てていたという 3月11日は、8人家族のうち、5人の女が全員、家にいたんですよ。「あ、これはただごとの地震じゃない」と思った。孫が2階にいたから、柱につかまりながら「なんで早ぐ降りてこないのよ-」って(孫の)名前を呼んだの。孫は「たんすとか、物が転んで、なんぼ叫ばれても降りて来れなかった」って。その後、降りて来たから「よし、ばあちゃんは年寄りで走れないから、もう避難するからね」って言って、すぐに出たんですよ。 津波は、新幹線並みの早さ。避難している途中に、黒い渦がうわーって目の前通ったの。それ

    asanomi7
    asanomi7 2013/02/07
    「昭和8年にも津波があったし「そろそろ来るんじゃないか」という予想はあった」。意識の高さが半端ない。このくらいでちょうどいいのだろう、見習おう。
  • グロースハッカーとは何か?―シリコンバレーで急増する、WEB業界の新たなキャリアを定義する[1] | キャリアハック(CAREER HACK)

    シリコンバレーにおいて、現在進行形で需要が急騰している職種《グロースハッカー》。米国での求人数は、大手・ベンチャーを問わずすでに700以上にのぼるという。果たして、グロースハッカーとは何なのか?これからのWEBビジネスを牽引する存在とも言われる、その仕事の定義に迫る。 シリコンバレーでの求人数は700超ーグロースハッカーとは何か? シリコンバレーを中心に「グロースハッカー(Growth Hacker)」と呼ばれる、新しいキャリアが注目を集めている。 実は、昨年11月のアメリカ大統領選でも、あるグロースハッカーの存在が話題となった。当選したオバマ氏と最後まで大統領のイスを争った共和党ミット・ロムニー候補陣営、そこで、WEBサイトやメール、ソーシャルメディアなどを用いたマーケティングを実行。様々な支持者との接点から得られたデータを分析、数時間単位で施策の改善を重ね、結果として、1億8000万ド

    グロースハッカーとは何か?―シリコンバレーで急増する、WEB業界の新たなキャリアを定義する[1] | キャリアハック(CAREER HACK)
    asanomi7
    asanomi7 2013/02/07
    「グロースハッカーは必ずしもエンジニアである必要はありません。マーケティング的なこと、製品の問題などをしっかりと認識した上で製品自体の改変を推進できる人」。企画兼制作進行兼販促担当、という感じ?
  • NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 「ワークショップ疲れ」という現象の背後にあるもの:「風呂敷的ムーヴメントとしてのワークショップ」の普及と変化

    中原淳(東京大学准教授)のブログです。経営学習論、人的資源開発論。「大人の学びを科学する」をテーマに、「企業・組織における人の学習・成長・コミュニケーション」を研究しています。 これは僕だけが感じていることなのでしょうか、どうも、最近、人々のあいだに、「ワークショップ疲れ」というものが生まれているような気がします。 「げっ、また6人グループになんの?」 「またポスターとマジックと付箋紙かよ」 「どうせ、どんな提案をしても、落としどころが、最初から決まってるんでしょ」 「ワークショップ」というラヴェルで括られる「何か」に、人々が、疲れはじめている。 もちろん「人々」といっても、どこまで一般性のある話かはわかりませんが、そんなことを、去年の秋頃から、とみに感じます(このことは、かつて、ブログ記事でもご紹介しました)。 ▼ これは、わたしの持論ですけれども(一部は、近刊「プレイフルラーニング」に

    asanomi7
    asanomi7 2013/02/07
    「「ワークショップのフォーマル化」「ワークショップのドグマ化」という事態の進行」