段戸山系の御料林の木材を運搬する目的から、設立時は宮内省(今の宮内庁。戦後、御料林は国有林となり林野庁の所管)の出資も得ており、豊川鉄道・鳳来寺鉄道との3者で資本金の77%を占めていた[3]。田峰駅と三河田口駅からは、集材用森林鉄道(狭軌トロッコ)も設置された。 田口鉄道は、本業の鉄道輸送の他、鳳来町海老地内、双瀬と稲目の2箇所に砕石場があり、砂利の製造販売も手掛けていた。 豊川・鳳来寺両鉄道と車両も共通運用されていたが、1943年(昭和18年)8月1日の2社の国有化に対して、田口鉄道は国有化されなかった。これは鉄道敷設法別表第63号で計画された遠美線(大井 - 稲武 - 浦川 - 三河大野 - 遠江二俣)の経由地に田口の名前がなく、敷設法の先行建設路線と見なされなかったとも考えられているが、国有化以前から3鉄道の一体運営がなされていたとの歴史的経緯から1952年(昭和27年)まで日本国有