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2010年5月25日のブックマーク (2件)

  • 「意味」と勤勉/「意味」とストレス耐性 - シロクマの屑籠

    仕事をしている人は勤勉で、仕事をしていない人は怠け者。」 「仕事を頑張っている人は意志が強い。仕事を頑張れない人は意志が弱い。」 こういう物の見方は、ある瞬間は確かにその通りかもしれない。けれども、これほどあてにならない、状況次第で移ろいやすい人物把握の仕方もない。 例えば、ある中国人男性が、アフリカの山奥で、埃にまみれて一生懸命に働いている。人は彼を、勤勉だ、意志が強い、頑張っている、と呼ぶだろう。しかし彼は、つねに仕事に豊かな意味を見出せる立場にあるのかもしれない。立身出世のため・母国との一体感のため・家族のため・豊かな生活のため etc…。そういった意味が無くなった状況下でも、彼は同じように働き続けることが出来るだろうか。 逆に、ある日人男性が、まずまずな企業に就職したのに不満が募って辞めてしまい、クーラーの効いた部屋でネットゲームに耽溺している。人は彼を、怠惰だ、意志が弱い、頑

    「意味」と勤勉/「意味」とストレス耐性 - シロクマの屑籠
    ast15
    ast15 2010/05/25
    これをどう使うか、だよね。僕にはまだ人物評価に使うという視点はない。自分に与える「意味」をコントロールすることで、モチベーションを制御するっていう感じかな。
  • 思考を二級品に貶める局所最適解の害悪 - ミームの死骸を待ちながら

    ある問題があったとき、個別の問題そのものは絶対的に唯一で、複製不可能で再現不可能な、正しく語ることの出来ない不確実な存在だ。 それにもかかわらず、どうも世の中は耳障りの良い二級品の「局所最適解」で満足されている概念で溢れかえっているように思える。 最も愚かな思考停止はそもそも考えようとしないことだが、最も危険な思考停止は少し考えた後に見えてくる局所最適解に辿り着いて満足し、それ以上思考を深めることがない、というものだ。 その解を見つけたときは局所最適解であるという意識はないことがほとんどで、これで良いと納得してしまう。そこで解決したつもりになっていて、より厄介な状況にぶち当たった後で「全然分かってなかった。あのときもっと考えとくべきだった」と反省することが多々あるのだが、よく見てみると、陥りやすい局所最適解には幾つかのパターンがあることに気が付いた。 そのパターンと、なぜその局所最適解が悪

    思考を二級品に貶める局所最適解の害悪 - ミームの死骸を待ちながら
    ast15
    ast15 2010/05/25
    この文脈の「局所最適解」って「解」なの?「ケースバイケース」とかは、「現状の能力では解けない。場合分けもうまくできない。この問題は保留」の意味で使ってた。エントリの主軸は完全に同意。