バチカン市国のサンピエトロ広場で26日、ローマ法王フランチェスコと子供たちが、世界の平和を願って放ったハトが、突然現れたカラスとカモメに追い回され、羽根などにかみつかれる被害にあった。 「平和の象徴」への〝襲撃事件〟は、数万人の信者が見守る中で起こったという。
チリから贈られたモアイ像の前で、志津川高校の生徒も参加して記念撮影が行われた =25日午前、宮城県南三陸町 贈呈記念式典で目が取り付けられたモアイ像。左はモアイ像制作者のベネディクト・トゥキ氏、右は日智経済委員会チリ国内委員会のロベルト・デ・アンドラッカ委員長 =25日午前、宮城県南三陸町 東日本大震災の津波で被災した宮城県南三陸町にチリから贈られたモアイ像の贈呈記念式典が25日、町内の仮設商店街で開かれ、参加者約200人が像の前で町の復興を願った。 イースター島の石を使ったモアイ像は、高さ約3m、重さ約2トン。昨年12月に東京に到着し、東京や大阪での展示を経て、今月16日に南三陸町の商店街に設置された。 式典の中で、白いサンゴと黒曜石で作られた瞳がはめられ、像が完成した。佐藤仁町長は「像が町の復興を見守ってくれる。シンボルとして大事にしていきたい」と話し、パトリシオ・トレス駐日チ
田中真紀子文部科学相が秋田公立美術大(秋田市)など3大学の新設を不認可と判断した問題で、田中文科相は7日、衆院文部科学委員会で「現行制度にのっとり適切に対応する」と述べ、一転して新設を認可する考えを表明した。3校側の強い反発のほか、身内の民主党内からも反対論が強まったことから判断を覆した。文科省は近く正式に通知する。これにより3大学の来春開学が決まった。 <写真は、衆院文科委で渡された資料を手に疲れた様子の田中文科相=7日午後(酒巻俊介撮影)>
ロンドン五輪のメダリストが20日、東京・銀座で凱旋(がいせん)パレードを行った。史上最多の38個のメダルを獲得したのを記念し、日本オリンピック委員会(JOC)が初めて実施。水泳の北島康介選手、柔道の松本薫選手をはじめメダリストら72人が、沿道に詰めかけた約50万人の観衆に笑顔でこたえた。(2012年8月20日、植村光貴撮影) People cheer as Japan's Olympic medalists wave atop an open-top bus during a parade through Japan's Ginza shopping district in Tokyo August 20, 2012. Japan held its first Olympic parade, celebrating the medalists in the London 2012 Oly
東日本大震災から1年の11日、米ニューヨーク市内で、宗教の垣根を越えて犠牲者を追悼する式典「憶念」(おくねん)が開かれ、仏教、キリスト教、イスラム教など各宗教の関係者が祈りをささげた。式典では同市在住の僧侶、中垣顕実さんが読経したほか、神道やユダヤ教、ヒンズー教の関係者も次々と祈りの言葉を述べた。式典後には参加者らが献花、焼香をした。11日午後2時46分、マンハッタン南部の公園で黙とうする中垣(左から3人目)ら各宗教の関係者(共同)
滑走路に輝く誘導灯。夜空に描く旅客機の光跡。星空の下にはいろいろな光が交錯していた。 大阪(伊丹)空港の夜はにぎやかだ。赤や青、緑の誘導灯の帯が滑走路につながり、大型機も頻繁に離発着する。 大阪(伊丹)空港から離陸する飛行機の光跡と星空=兵庫県伊丹市(エアフロントオアシス下河原から撮影) キヤノンEOS 5D MarkⅡ 24㎜レンズ f5 ISO200 11月26日午後5時34分から、8秒間露光を1067コマ比較明合成し画像化 空港の南側に位置する千里川の堤防に向かった。着陸する飛行機の機体を真下から見ることができるスポットとして知られており、この日の夜も多くの家族連れらが訪れていた。 その中には飛行機に詳しい人も多く、「次は一番大きな飛行機だよ、風に注意してね」と声がかかった。 遙か遠くに機体のライトが見え始め、よく見るとさらにその後ろにも二つ、三つの光が動き、次第に規則正しくつ
細野豪志原発事故担当相は12日、東京電力福島第1原発を視察した。記者団も同行して敷地内に入った。3月11日の事故発生後、敷地内が報道陣に公開されたのは初めて。 視察は年内の工程表ステップ2(冷温停止状態の達成)終了を目指して進む事故収束作業を見る目的で、園田康博内閣府政務官も参加。記者団は福島第1原発の南約20キロの事故対応拠点「Jヴィレッジ」で防護服を着用、構内へ入った。 福島第1原発の公開については、報道各社が取材機会を設けるよう繰り返し求めていたが、政府と東電はこれまで、敷地内の放射線量が高いうえ、作業に支障があるなどとして認めてこなかった。細野氏は、今月1日に「現場が徐々に落ち着いてきて環境が整った」として同行取材の形で報道陣に公開する考えを明らかにした。 ※ 写真をクリックすると大きな画像を見ることができます 無残な姿をさらす福島第1原子力発電所4号機。震災から8カ月がたち
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く