ニュー新橋ビル、ニュータウン、ニューメルサ。「ニュー」のついているものに新しいものはない。きまって、私の愛する哀愁ただよう時代のものである。 と、常々主張してきたのだが、今回、それを検証してみることにした。 「ニュー」を求めて山手線一周の旅である。
≪リード≫ 昨年のテレビ放送開始50周年を機に、各方面で放送史を振り返る試みがなされている。テレビやラジオの半世紀の歩みがスポットライトをあびて輝くのは結構なことだ。ただし、華やかな歴史の陰には必ず裏側の歴史があり、正史が輝けば輝くほど裏面史が忘れられがちになるのも事実。そこで、テレビが始まる前年の1952年から今日まで、放送局の正史にあまり登場しない出来事を中心に、放送の歴史をたどる。表《おもて》から見えないさまざまなことが見えてくれば幸いである。(「GALAC」2004年5月号) 取材・執筆/日比俊久+高坂龍次郎 校正協力/小林潤一郎 ≪おことわり≫ この年表は、放送局(員)をめぐる事件や事故、テレビへの規制や圧力、放送中止事件、いわゆる「やらせ」をはじめとする不祥事、放送やテレビをめぐる珍事件などを集めています。日付が空欄のものは確定できないことを示します。参考文献は最終回にまとめて
アニメポリス・ペロとは、1980年から2001年まで東映が全国展開で運営していたアニメショップである[1]。 大阪(梅田東映会館3階)、新宿(新宿東映地下1階)と福岡、札幌、名古屋、松山(松山国際劇場1階)、高知(高知東映2階)など東映系列の映画館に間借りする形で店舗が存在し[1]、数々のアニメグッズを扱っていた[1]。利用者たちには、「アニメショップの元祖」や「アニメファンやマンガファンの聖地の一つ」とも評されていた[2][3]。 東映は、劇場版 宇宙戦艦ヤマトのヒットにあわせ映画館で販売するアニメグッズをムービックに製造委託し販売した。アニメポリス・ペロの商品が充実していったが、のちにムービックは自社ブランドのアニメショップとして「アニメイト」という販売店を全国展開した。 東映動画(現・東映アニメーション)関連のグッズは、他店よりも充実していた。 歴史[編集] 1972年6月に、当時の
ポータルサイトで唯一! スマートフォン版「goo地図」で、 「明治40年地図」「昭和22年・昭和38年航空写真」へ切り替えが可能に 〜外出先でもスマートフォンで現在と過去の地図・航空写真を比較可能〜 URL:http://map.goo.ne.jp/ NTTレゾナント株式会社 (本社:東京都港区、代表取締役社長:若井 昌宏)は、「goo地図」において提供中の明治40年に作成された山手線周辺(一部を除く)の地図、昭和22年、昭和38年に撮影された東京23区内の航空写真をスマートフォンでも切り替え可能な機能を提供開始します。なお、スマートフォン上で明治地図、昭和の航空写真を地図上にて切り替え可能な機能はポータルサイトでは唯一となります。 これにより、外出先で「goo地図」のスクロール可能な地図上でそれぞれの地図に切り替えることができます。(一部表示されない地域もあります) ・スマート
JP EN タイムカプセル メニュー タイムカプセル メニュー ソニーを紐解くとあの時代が見えてくる
電卓が一般家庭に普及するきっかけとなった「カシオミニ」が発売されて、今年で40年。 『答えイッパツ♪ カシオミニ♪ 』のCMフレーズは、私と同じ40代半ば以上なら、ほとんどの人の耳に残っているはずです。 以前このブログで、「現役で動く20年前のPC」を紹介しましたが(ページはこちら)、私はカシオミニよりも、さらに昔の電卓を所有しています。父から譲り受けた41年前のシャープ製電卓で、今でも普通に使えます。1971年11月に発売されたもので、製品名は「電子ソロバン KC-80A」。シャープのOEM(=相手先ブランド製造)で、販売元は事務用品を扱うコクヨです。当時の値段で 36,900円。 最近の写真だということを証明するため、妻のiPhone5に、私が前回書いた道新スタッフブログの画面を表示して隣に置きました(=写真下=)。電卓の表示部分はグリーンに発光する電子管で、数字のデザインは独特の曲
Facebookの方で教えてもらい、かなり和ませてもらったのでブログで。 懐かしい昭和のチューインガムの包み紙を紹介します。 まずは、コリスのチゥィンガムから。
ここに来ないと死んでしまう「浦安フラワー通り商店街」 バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で大々的にPRされた商店街の2つ目です。 川崎徹のキャッチコピー「ここに来ないと死んでしまう!コイコイ!」で大々的にPRされた商店街の2つ目です。 あれから20年数年が経ち...今は商店街の面影もほとんど残っていません。 浦安フラワー通り商店街への交通手段は 地下鉄東西線 浦安駅です。 浦安駅前は、街が形成された後から地下鉄が開通したため、駅前が駅前らしくないのが特徴です。 ランドマークである 清瀧神社(せいりゅうじんじゃ) 。 ざっとこんな感じで、商店街の面影はほとんど残っていません... この商店街の特長は、なんと銭湯が4軒も健在することです!!! 「米の湯」の男湯の富士山画は、山頂付近が汚れています。 これはかつて「たけし猫招き」が描かれていた名残なのです! 「元気が出るテ
古い写真を漁ってたら見つけたので、思い出として掲載します。 かつての「山王ホテル」の廃墟です。東京都千代田区永田町。 その近くにあった「ホテルニュージャパン」の廃墟。 その近くにあった汚い廃屋。 首相官邸の裏側にあった廃墟と見まごうばかりの老朽化したアパート群。公務員宿舎だったらしい。(総理府官舎と言われていたようだ) 首相官邸に隣接してあった古くて朽ちつつある廃墟。「電波研究所電気試験所永田町分室」という施設だったらしい(あるいは東京鉱山監督局?)。この写真を撮っていると、近くにいたK官に何か聞かれたと思う。首相官邸の側だから、かえってこんな廃墟が放置されていたのかも。 中に入ってみたかったけど、さすがに首相官邸側の廃墟に侵入する度胸はなかったです。 この草生す建物はやはりその近くにあったと思いますが、正体不明。上の施設の一部かもしれない。 これらは現在全て撤去されて新しい建物が建ってい
1960年代にミニスカートブームを巻き起こした英国人モデル、ツィギー。身長165センチ、体重41キロのスリムなボディー。1967年(昭和42年)に来日し、そのファッションが注目の的となった 【時事通信社】
2017/01/23:更新 2012/11/04:初公開 チャーハン半分セットでも驚きの630円。 神保町で半チャンラーメンといえば、その元祖となる「さぶちゃん」の存在が特に有名ですが、同じ神保町で1966年(昭和41年)創業の「伊峡」もまた欠かすことができません。 チャーシューワンタンメンでも650円と破格。 今回紹介する「伊峡」「さぶちゃん」「成光」の老舗3軒を“神保町半チャンラーメン御三家”と称するそうで、「伊峡」は御三家最安、消費税増税やら材料費高騰やらで多くのラーメン店が値上げを余儀なくされる中、2017年1月現在も半チャンラーメンが630円、ラーメンに至ってはワンコイン以下の430円で楽しめてしまう爆安っぷりなのです。 名作漫画「孤独のグルメ」で言うところの“なっちゃった”的な昭和レトロ感を有する神保町の老舗ラーメン店「伊峡」 歴史ある神保町で創業50年超えの老舗「伊峡」の外観
1920年から2020年までの都道府県人口(階級区分色分け)の変化 過去の都道府県の人口一覧(かこのとどうふけんのじんこういちらん)は、1872年1月2日(旧暦:明治4年11月22日)に成立した第1次府県統合以降の過去の都道府県別調査人口を、主に戸籍調査と国勢調査の結果を中心にまとめたものである。 江戸時代の幕府の旧国別調査人口や推計人口に関しては江戸時代の日本の人口統計の項を、 明治維新から廃藩置県までの府藩県三治制下の日本の人口調査に関しては府藩県三治制下の日本の人口統計の項を、 西南戦争前の日本の都市人口調査と推定人口に関しては近代以前の日本の都市人口統計の項を 廃藩置県後、国勢調査開始以前の日本の明治・大正期の人口調査と推定人口に関しては、国勢調査以前の日本の人口統計の項を、 国勢調査開始以後の主要都市の人口に関しては、都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位の項を、 最近の都道府
堀井憲一郎(2006)「若者殺しの時代 (講談社現代新書) 」には、内容もさることながら、引用されているオリジナルに収集されたデータが興味深く、多くを図録化した(右欄の関連図録参照)。 この本のデータは毎週「週刊文春」掲載の「ホリイのずんずん調査」というコラムから取られているということなので、このコラムを昨年2005年1月6日号(475回)から2006年5月18日号(542回)まで、都合、145回分を調べてみた。沢山図録化できるネタが存在しているのではないかと期待感をもって探したのであるが、実際は、芸能ネタ、放送ネタ、落語ネタがほとんどであり、「若者殺しの時代」に収録されたような興味深いデータは見つからなかった。しかし、これだけ調べたのだから、1つだけでも図録化しようと思い、日本人の生活がモノクロからカラーへ移り変わった時期を追体験できるデータとして、スナップ写真の年次別モノクロ・カラー枚
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