🌸二月の二十幾日に紫宸殿《ししんでん》の桜の宴があった。 玉座の左右に中宮と皇太子の御見物の室が設けられた。 弘徽殿《こきでん》の女御は 藤壺の宮が中宮になっておいでになることで、 何かのおりごとに不快を感じるのであるが、 催し事の見物は好きで、 東宮席で陪観していた。 日がよく晴れて青空の色、 鳥の声も朗らかな気のする南庭を見て親方、 高級官人をはじめとして詩を作る人々は 皆|探韵《たんいん》をいただいて詩を作った。 源氏は、 「春という字を賜わる」と、 自身の得る韵字《いんじ》を披露したが、 その声がすでに人よりすぐれていた。 次は頭中将《とうのちゅうじょう》で、 この順番を晴れがましく思うことであろうと見えたが、 きわめて無難に得た韵字を告げた。 声《こわ》づかいに貫目があると思われた。 その他の人は臆《おく》してしまったようで、 態度も声もものにならぬのが多かった。 地下《じげ》