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文化に関するayustetのブックマーク (10)

  • 英語カラオケで、外人にウケた曲とスベった曲:こんなところにも、グローバリゼーション2.0:オルタナティブ・ブログ

    人からグラミー賞受賞者が出たり、オルタナティブ・ブロガー月例定例会における合唱大会などの話題もあり、ブログでも音楽ネタを少々。 今まで、いろんな外人と飲み会で英語カラオケに行った学習結果です。 拙著の書評も掲載されましたが、に入りきらなかったネタの一つでもあります。 「ほぼ確実にウケる曲」 老若男女にウケる: Dancing Queen (by ABBA) ミュージカルと映画の「マンマ・ミーア」の影響や、聞きやすくてわかりやすいnon-nativeな英語の歌詞、欧州出身グループという影響もあり、ABBAの楽曲は、ほとんど全世界で幅広い世代に認知されている。外人と付き合う人は必ず歌えるようになっておきたい曲の一つ。 カラオケ・パーティーでは中締めの手前ぐらいで盛り上がりのピークに使いたい。 マンマ・ミーアのシーンを思い出しながら、みんなで両手をあげて左右にゆっくりペンライトでも揺り動

    英語カラオケで、外人にウケた曲とスベった曲:こんなところにも、グローバリゼーション2.0:オルタナティブ・ブログ
  • 河野太郎公式サイト | ルールと価値観

    スノーボードの国母選手の服装が問題視された事件が数日前にあった。この事件への対応が少し気になっている。 というのも、ルールと価値観が混同されているような気がする。 国母選手の空港での服装がだらしないと思う日人はかなりの数いると思う。僕も国母選手の服装は格好悪いと思う一人だ。 しかし、腰パンのどこが悪いという日人も少数派かもしれないが若者を中心にいることだろう。 スキー連盟の会長が「大いに不愉快」と発言をされていたが、そう思う人がいても不思議ではない。 しかし、不愉快に思ったり、だらしないと思ったりというのはその人の価値観であり、誰かの価値観にあわないから処分するというのは、私的な集まりではともかく、オリンピック代表団のような公の場では行えないはずだ。公の場での処分は、明確なルールに違反しているときでなければいけない。 たとえばもし、国母選手が定められた代表団のブレザーやネクタイを着てい

  • 文化の地域格差は人の格差か? - 旧 はてブついでに覚書。

    インターネットのコミュニティ、特にここ1,2年はTwitterを見ていると、 東京に移住する人が多いように思う。 逆は、(転勤や結婚を除いては)あんま見ない。 インターネットは情報の地域格差を解消したか、といえば テキストや動画のコンテンツという意味では解消したと思う。 昔は田舎に回線も来てなくてそういう意味での格差はあったけれど、大体今はADSLまでは通ってるし。 ネット上に乗っけられないコンテンツ、たとえば単館上映の映画、ミュージシャンや楽団のコンサートツアー、キー局のニッチ寄りテレビプログラム、服だの雑貨だのだの、というものについては 解消されたとは言わないが、 ある程度の人口がないと集客なんぞ到底見込めないものを地方でやっても売ってもしょうがないので、ここはまあどうにかするところではない気もする。 買い物については通販も充実してきたしね。 インターネットが普及して、私たちはこれで

    文化の地域格差は人の格差か? - 旧 はてブついでに覚書。
  • pixivの楽しみ方1 - Vox

    先日pixiv さんのオフィスにお邪魔しまして、片桐さんにpixivの楽しみ方を教えて頂くことができましたので共有させて頂きたいと思います! ご存知の方も多いと思いますが pixiv とは月間6億PVというマンモス・イラストコミュニティサイト。メディアにもたくさん取り上げられています。(Nielsen Online Reporter、ITMediaの記事、ASCIIの記事など)私もかつで英語ブログの方で pixivコモンズ や goodP についてなど、取り上げさせて頂いてことがありました。 サイトの開設は2007年9月10日、5月20日時点での月間PVは6.7億、月間UUは300万、会員数約90万人、総イラスト数は約400万枚。ものすごい勢いで会員数・PV共に増えています。ユーザ属性は男女比が2:1ぐらい、20代が6割を占めています。 イラストコミュニティですので、絵を描けるユーザーはイ

  • asahi.com(朝日新聞社):ナマ足「もうださい」 女子高生はロンスカブーム 奈良 - 社会

    下と重なるくらいのロングスカートをはく女子高生。足は見せないのがカッコイイ?=天理市  女子高生の制服といえば、目のやり場に困るほどのミニスカ(ミニスカート)というのはもう時代遅れ? 奈良の女子高生の間では、スカート丈をひざ下にするロンスカ(ロングスカート)がブームなのだという。5年前に北海道の高校でミニスカ女子だった記者は真冬でさえナマ足を出していた。ロンスカがはやっているなんて……信じられない。  夕刻の近鉄大和西大寺駅。構内は制服の高校生であふれ、若かりし頃の自分と重ねながら遠い目でながめていた。すると、女子のスカート丈が長いのに気付いた。ひざを隠すのはもちろん、スカートと下が重なり足が全く見えない。「ずいぶん校則の厳しい学校だな」と思っていたが、どうも1校だけではない。気になって高校野球取材で訪問した各校で観察してみると、どこもミニスカは影をひそめ、ロンスカが多数派となっていた

    ayustet
    ayustet 2009/06/22
    神戸ではお嬢様度=スカートの長さ
  • 個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    映画は風景を描く 世界を代表する三つの国の映画産業――アメリカ映画とフランス映画、そして日映画の違いって何だろうか? そういう問題提起がある。 観点はさまざまにあるから単純化しすぎるのは危険かもしれないが、こういうひとつの切り口がある。「アメリカ映画は物語を描き、フランス映画は人間関係を描き、日映画は風景を描く」。ハリウッド映画は完璧なプロットの世界で、物語という構造を徹底的に鍛え抜いて作り上げ、導入部からラストシーンまで破綻なく一道を走り抜けられるように構成されている。 フランス映画の中心的なテーマは、関係性だ。夫婦、父と子、男と愛人、友人。そこに生まれる愛惜と憎悪をともに描くことによって、人間社会の重層性を浮かび上がらせる。 日映画は、風景を描く。自然の風景という意味ではない。目の前に起きているさまざまな社会問題や人間関係の葛藤、他人の苦しみ、さらには自分の痛み。われわれに

    個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
  • 本当に世界的なwebサービスをつくりたいなら日本にいるべきと思う理由 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    世の中には、頭のいいひとたちがつくりあげる先進的な考え方といったものがあります。 そして、IT業界においては、先進的な考え方は常に米国からやってくることになっています。 米国でおこっている出来事を把握して解説することが、頭のいいひとたちの得意とするところです。 そんな頭のいいひとたちは話の受け売りをするだけではなくて、具体的な提案みたいなのもたまには出すのですが、そのひとつには、「論理的な帰結として、日が世界で勝つためには英語版のwebサービスをつくらなくてはいけなくて、米国でまず最初に成功しないといけない」というのがあるようです。 ……。まあ、おおむね正しいとしましょう。 で、じゃあ、具体的にどうすんだ?と。なにが差別化ポイントなのか?というとこれがない。 まあ、なんらかのサービスのすてきなアイデアがあってそれで勝負ということなんですが、それってじつはすごく現実をなめている話なんです。

    本当に世界的なwebサービスをつくりたいなら日本にいるべきと思う理由 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
    ayustet
    ayustet 2009/06/08
    同意。そしてはてながんばれ
  • 日本のwebがレベルが低い理由 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    梅田望夫さんの記事が話題になっている。 日のwebがサブカルチャー分野を除いて、米国よりも遅れている。米国では頭のいいひとが使っているが、日だと馬鹿が使っている。まあ、こんなかんじの主張として受け止められていて、批判をずいぶんと浴びているようだ。 梅田氏のおもうレベルの高いネットの使い方というのは現実をパワーアップさせるツールとして用いることらしい。 当然、現実をパワーアップさせるためだから、現実世界でも能力の高いひとがネットをつかってさらにパワーアップするというイメージなのだろう。そして米国にくらべて日のネットにいるひとが優秀ではなくて馬鹿ばっかりだという感覚があるのだろう。 おそらく、ここの認識に根的なずれがあると思う。 梅田氏は早く日も優秀なひとがネットをつかいようになってほしいと願っているんだろうが順序が逆だ。日は米国よりも遅れているのではなく、米国よりもすすんでいるの

    日本のwebがレベルが低い理由 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか: DESIGN IT! w/LOVE

    いまの時代って、もしかたら単純に情報過多というよりもテキスト情報過多といったほうがいいのではないのかなんて思います。 言い方を変えると文字情報過多。さらに言い方を変えると、一人の人間が摂取する情報全体の割合のなかで占める文字情報の比率がもしかしたら高くなっているんではないかと思います。 「方法依存症」というエントリーでは、方法論の情報収集ばかりを行う割には、自分でその方法を試してみてそこからのフィードバック情報を自分で活かすことが少ない人を方法依存症という風に仮に呼んでみました。 ただ、それは方法論の話に限らず、もっと一般的な話としてみた場合でも、テキスト化された情報の収集には熱心な割に、自分で何かを実際に体験してみて得られる生の情報を役立てるということが相対的に少なくなっているのではないかと思うんです。 純化された情報自分で体験してみて直接情報を得るよりも、誰かがテキスト化した情報を間接

  • 誰が音楽文化を支えるのか - 雑種路線でいこう

    昨晩から国際会議を手伝うため京都にいる。新幹線を降りて地下鉄を乗り継ぎ、ホテルに着いたときは夜10時前だった。飲み屋を探して投宿している五条烏丸から徒歩で四条の商店街をとぼとぼ、高瀬川のあたりまで歩いて川沿いへ曲がるとアコースティックギターを抱えた女性が歌っている。誰か聴いているのかなあと思って周囲を見回すと、ひとり聴衆と思しきは通りがかりではなく付近に屯するポン引きだった。 傍でずっと聴いているのもこっぱずかしいので数百円の投げ銭をして明かりに照らされた小さなイーゼルを覗き込むと、CDが立てかけられていて200円と書かれていた。「これは自分で焼かれたんですか」と聞くと、彼女は嬉しそうにそうだという。ジャケットだけでなくCDのレーベル面にも素敵な意匠があしらわれていた。CDのブランクメディアが安くなったとはいえ、印刷の手間なども考えると面倒そうだし、元が取れているかどうかも疑わしい。ひとつ

    誰が音楽文化を支えるのか - 雑種路線でいこう
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