月に1冊、未知なる本を読もうという試み(2024年1〜3月) はじめに 1月:【暇・退屈論】國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 2月:【決済】ゴットフリート・レイブラント、ナターシャ・デ・テラン『教養としての決済』 3月:【自炊】土井善晴『一汁一菜で良いという提案』 総括 はじめに 社会人として過ごす年数も少なくはなくなっ…
うちの子、国語ができないのだけれど 何をどうしていいかわからない。 作文や読書感想文ではもうお手上げ、 書き始めることもできない。 そんなお母さん、力になりますよ! 内容についてはこちらをご覧下さい。 どんなに社会が進化しても 思いを伝える手段として絶対になくならない文章 そして、社会に出てからこそ その重要性に気づいていることと思います。 言葉を鍛えること それは同時に思考手順を鍛えることでもあるのです。 大人向けオンライン文章指導講座 いよいよ 2016年4月スタートです。 来年度の新年長コース、新1年生につき、予約を開始しました。 10名になった時点でいったん締め切ります。 他の学年については、四月を待たず、随時受け付けています。 定員に達した学年もありますが、状況によっては受講できますので、 まずはお問い合わせ下さい。 お問い合わせはこちら
かつて、老人は敬うものという価値観が日本にはあったのかもしれない。まだそういった価値観が残っている国・地域は残存しているものの、儒教圏か否かに関わらず、老人への尊敬というものはだんだん目減りしているように思える。“老人を敬う”という精神が、前提ではなく限定へ、そして衰退へと向かっている背景にはどのようなものがあるのか?価値観の変容を促した要因にはどんなものがあるのか?この文章では、“老人が持つvalueの低下”という視点から幾つかの要因を考えてみる。 老人一人あたりのvalueが低下している時代 人間というものに、valueという言葉をあてがう事には私も抵抗を禁じ得ないが、かつて老人が尊敬されていた時代においては、老人は無条件に敬われる存在というよりも、共同体・家族などに大きな貢献をする存在とみなされていたことに私は注目する。キリスト教文化圏ではどうだか知らないが、儒教文化圏であれ、ポリネ
盲腸など確実に病院に行かないとやばいという内科や外科的な場合ではなく、何かに思い悩む人にこの言葉を使った場合です。*1 1.罵倒。拒否。存在の否定 この場合の意訳。 「頭おかしいんじゃないの?」 「わー、手に負えねぇ。悪いけどあっち行ってくれる?」 同じ感覚を持っている人が「病院行け」と言われた場合は大打撃を受ける。 2.心配なので、ちょっと言ってみる この場合の意訳。 「助けてあげたいけど自分には無理だから専門家に相談してみたらどうだろう」 相手を気遣う理由がありつつ、しかし自分には救うことができないので、専門家にゆだねてみてはどうかと提案。 救うことにできない理由は、実際に会うことができない「物理的理由」やあまり知らない人なので直接コメントを残したりするのは気がひける「精神的理由」などがある。 言葉を優しさで飾っておかないと、1と同様冷たい突き放された印象を持たれることもある。 3.し
羊水塞栓症で死亡した妊婦の遺族が「医療ミス」で提訴 メディアは「羊水塞栓症」を理解せずにミスリード 産科に病死は認められないのか メディアの今後の報道姿勢によっては、産科崩壊が一気に進むかも知れないニュースが、昨日、一部地域で報道された。問題は メディアが、何がいけないのかを切り分けないで、一方的な取材結果のみで報道を始めた 点にある。医学的な問題を報道するなら、少なくとも 死因になった病気が、どれだけまれでどれだけ致命的なのか を理解した上で、報道してほしい。 日本の産婦死亡率は、世界的に見て極めて低いが、不幸にして亡くなる産婦さんはいる。遺族がその割り切れない感情を訴訟という形で問うのは、しょうがない。 とはいえ、 メディア側がなんの検証もせず、ミスリードする形で報道する のでは、話にならない。そのあたりの 報道の暴走 に近いものが、昨日の読売新聞に載った。(webでは確認してない)
育児の事、「結局カネの話ではないのか」/モジモジ君の日記。みたいな。 呆然と支援を待っていても、支援はなかなか向こうからはやってこない。福祉ってのもほとんどが「申請主義」、つまり「自分で言わなければ何もない」。「第一義的に親の責任」だからこそ、呆然と待っているのではなくまず動こうよ、と思うんだけど。そして支援支援って待ってたら、まず動く力ってのが養われない気がするんだけど。 そりゃオメーが行動的だからだろうよ、って言われちゃえば言われちゃうんだけど。でもわたしだって、スタートは日本ダウン症協会への一本の電話だった。生後二ヶ月のとき。こういう行動として早い人もいるしゆっくりの人もいるんだけど、わたしが早かったのは赤ん坊が死にそうだったから。もしかしたら無駄になっちゃうことに手をつけるってことが、赤ん坊が生きるってための願かけだったから。 たった一本の電話、そこからどさどさと情報が入ってくる。
メモなるほど。参考になる。てか2番目の文までに関してはその通り(自分に関しては。気をつけるべき項目だ…と思いつつよく忘れている)。3番目はよくわからん…あ、もしかしたら、これって「傷つきやすいこと」の理由であって1番目の文につながってるのか。だったらわかる。ただちょっと思ったのは、この種の「自分の気持ちにしか関心がない」とか「他人はその他大勢」とかって意識自体はそんな珍しいものじゃない。自分は物心ついたころからそんなものの捉えかたとは無縁だったと言い張る人がもしいたら、その人は幼い頃のことをよく覚えていないんだろうと思うし、「××歳を過ぎてからそんなことは一切考えなくなった」みたいな話もほんまかいなと思う。ただこういったある種の歪みのようなものを適宜気づいて(時には無意識のうちに)修正していける人とそれができない人がいるってこと。それも平均的な年齢相応に出来る人と出来ない人とか。この違いは
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