ブックマーク / umeten.hatenablog.com (6)

  • 「私は○○な人間だから」についての真実 - umeten's blog

    「私は○○な人間だから」という人間は、ほとんどの場合その正反対の人間である。 <例> 「私は癒し系だから」→「あなたが私を甘えさせて癒しなさい」 「私はサバサバ系だから」→「私を怒らせると陰でグチグチとしつこいわよ」 「私は男っぽい人間だから」→「私は優柔不断で後悔しがちで責任は他人に押し付けます」 「私はリーダータイプだから」→「私は他人にサポートを強制して手柄は自分が独り占めします」 「私はおとなしい人間だから」→「私は陰では結構大声で他人の批評、批判、否定をします」 「私はスポーツマンタイプだから」→「私の気に入るような態度を取らないと肉体的にも精神的にも陰湿に執拗に追い詰めて徹底的に潰しますよ」 ・ ・ ・ あとはブクマ大喜利形式でよろしく

    「私は○○な人間だから」についての真実 - umeten's blog
    azumy
    azumy 2007/11/28
    「私、友達いらない人だから」→「友達よりずっと、心底信頼できる人だけがすごーく欲しい!」
  • 「ネタならいいがベタはダメだ」という者に聞かせたい言葉 - umeten's blog

    希望は、戦争blog 〜「丸山眞男」をひっぱたきたい Returns〜 - [lelele]仲正昌樹さんからのコメント http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20071004/1191470579 >自分と異なる意見を持つ人間のイデオロギー的背景を勘ぐって、「あいつは○○主義者だから、あいつの一見まともらしい主張の裏には……」式の“ラディカルな批判”は、何も生み出しません。 解説委員室ブログ:NHKブログ | 視点・論点 | 視点・論点 「シリーズ戦後 『若者のナショナリズム』」 http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/4319.html >信じているふりをするということは、気に信じている他者の存在を前提にすることであり、その意味では、その信じている他者の世界の中に身を置くことなのです。 >気で信じている他者を前提にして行動

    「ネタならいいがベタはダメだ」という者に聞かせたい言葉 - umeten's blog
    azumy
    azumy 2007/10/06
    『断っておきますが、色のついた存在だから人間なのです。』『そう、たとえ沈黙していたとしても。』
  • 「忘れる」能力について〜心理補正能力の差異〜 - umeten's blog

    人間は誰しも失敗する。 だがそれから受ける心理的影響はそれぞれの人間観でまったく異なる。 一つとして同じものはない。 たとえ驚くほど似通って見えても、決定的な差異がそこにはある。 それを理解しない人間ほどこんな言葉を口にする。 「傷つくことが怖いだけだろ」「傷つくことを恐れるな」 「精神的な逃げは許されない」「精神的に弱すぎる」 「怠けるな」「もっとがんばれ」「ふざけるな」「いいかげんにしろ」「甘えるな」 それはその人間が暗黙の内に、いや公然と、人間が犯す失敗はすべて同質のものであるということを信じていることを示している。 ひいては、すべての人間は普遍的平等的にまったく同じ条件をもった存在であるという極めて危険かつ暴力的で誤った信念を抱いていることを示している。 もはや狂信といってもいいレベルにおいて。 同じ失敗に見えても、「同じ失敗」などその人の中にしか存在しない。 同じように見える他

    「忘れる」能力について〜心理補正能力の差異〜 - umeten's blog
    azumy
    azumy 2007/08/27
    忘れる能力に差異があることは同意だが能力は変化する(伸ばすこともできる、衰えることもある)ということ、能力があっても使わない、使えないケースがあるということをわざと書いてないな。
  • 代理母と少子化をめぐる混乱 - umeten's blog

    思いつきの書き飛ばしでこのセンシティブな問題に対して何をか言おうとしたことが、そもそもの混乱の原因だったのだ。 「代理母と少子化をめぐる混乱」――先の書き飛ばしはまさにその典型ではないか。 要点を先取りするなら、向井亜紀は決して「少子化問題」という大きな問題の解決を求めているわけではないのだ。 彼女が行っているのは、あくまで彼女のいる立場――不妊治療者というマイノリティのための「生殖補助医療の法律」のための闘争なのだ。 決して、「少子化問題の解決」等という大儀を掲げているわけではないのだ。 では、なぜ先だっての私のように、彼女の行為を「少子化対策」の旗振り役と見るような先走った感情的な誤解が生まれるのか。 それは、「代理母」という問題が「子供を生む」ことに関わっているが故に、俯瞰で見たときに「少子化」というフレームに入っているように錯覚して見えてしまうということだ。 そして補足するなら、政

    代理母と少子化をめぐる混乱 - umeten's blog
    azumy
    azumy 2007/03/26
    さらにいえば、「不妊治療」と「代理出産」も別の問題です。不妊治療はあくまで(例外はあるも)本人たちのみに帰結する医療の範疇だが、代理出産は法制度・社会制度および倫理の話へ拡散する。
  • 欲しいのは子供なのか、それともほかの何かか - umeten's blog

    Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <代理出産>向井さんブログに心情「気を抜くわけには…」 「養子」という形式ではなぜだめなのか? なぜそこまで血族的な正当性にこだわるのか? そもそも子供が欲しいというときに、不妊治療をこえて他人の母体を借りるまでするところからして奇妙に感じる。 そもそもなぜ養子ではいけないのか? 「自分が育てる子供」と「自分の子供」というのはそこまで違うものなのか? いったい何を求めているのか? お金でしか証明できないDNAを「当たり前にわかるもの」の証として認めろということなのか? 子供が欲しいなら、生まれ抱えた今のままで、もう十分ではないのか? それとも「金をかけただけの成果」を得たいということなのか? そもそもアメリカまで行って、他人の体を金で買って、死に至るリスクを負わせて、それで自分は満面の笑みを得るということを美談にしてしまえる神経が奇妙だ。 やはり奇妙

    欲しいのは子供なのか、それともほかの何かか - umeten's blog
    azumy
    azumy 2007/03/24
    私も「どうしても養子じゃだめなの?」派なのだが、自分が妊娠出産してしまっているとどうもそれを口に出しにくい空気があるようには思う。子のいるお前に何が解るか、と言われそうで。
  • 現代日本の結婚と出産について - umeten's blog

    採用試験において結婚を議題にすること ためしにこの文章を自分なりに切り取ると、こんな風になった。 私が「結婚観について」と言われてすぐに思いついたのは、結婚というシステムが当に正しいのか、という疑問であり、そしてまた改善の余地のないものなのか、という問いであった。 (略) しかしながら、次々と発表するメンバーが答えたのは、皆が揃って「どのようにすればお互いが幸せな結婚が送れるか、そして離婚することなく、まっとうに子供を育てられるか」に関することだった。 (略) ふと、私が男性であったなら、私の願いは比較的簡単に実現できることに気がついて気が滅入った。要は、得意なことだけやって苦手な家事はしたくない。自分で子供を産みたくない。これだけのことなのだが。 (略) 適度に女性の社会進出を汲んだ保守的な意見をのみ言いえる場で、私は見事にふるいにかけられたわけである。 社会的というより、経済的な要請

    現代日本の結婚と出産について - umeten's blog
    azumy
    azumy 2007/01/10
    同意。結婚・子どもの問題は当事者が自分たちの良いようにするしかないと思う。その当事者同士の意見すら合わない場合もあるから難しい面もあるが。
  • 1