九州大学記録資料館の三輪宗弘教授が発見した2通の電報記録。外務省が在米日本大使館に発信したもので、これらが「訂正電報」とすれば、急を要するはずの対米覚書の訂正を、外務省は半日以上遅らせていたことになる。 その理由を三輪教授は「陸軍参謀本部が米国に開戦の意図を察知されぬよう、わざと遅らせ、外務省も協力した可能性が高い」とみる。着目したのは、いくつかの他の電報の存在だ。 米東部時間で1941年12月6日午前9時54分、米国人タイピストの使用禁止を指示(表の1)。14部の発信から約2時間後の7日午前4時18分、大使館に初めて、米政府に「(7日)午後1時に通告」するよう指示している(2)。外務省は事前に、対米覚書が開戦通告という極めて重大な文書であることを大使館に伝えていなかった。 同午前4時44分には、電報を解読するための暗号機3台のうち、2台の破棄を命令した(3)。開戦後の米政府による押