良くも悪くも齋藤智裕(水嶋ヒロ)の『KAGEROU』が席巻した昨年末の小説界。賞に販促効果も望むは芥川・直木賞の創立者、菊池寛とて同じだが“新人賞を口実に受賞者から出版協力金を得る”一部自費出版社の手法を経て、受賞を熨斗(のし)に著者知名度との“シナジー効果”を作るとは、出版も新自由主義的商売上手になったものだ。 もとより“賞”など開き直れば誰でも幾らでも与えうる。既存の価値観や節度に意味を感じぬなら「なんでもあり」になって当然、“定価”概念を無意味化した“半額おせちクーポン”と同じ発見がそこにはある。 無論それらは過去の文学賞や“定価”が築いた信用の上前を撥(は)ねる行為だ。だがどんな“現在”も、肯定するにせよ否定するにせよ先行する過去と無縁でない(保守的な歴史とはそうしたものだし、革新も鏡の様に同じ、正統を自認する“文学”も例外でなく、近い過去一つみても自治体が地域振興にこぞって文学賞