クラブの「裏の顔」久米GMが“万年V候補”変えた <名古屋・平塚>笑顔でピッチを見つめる久米GM Photo By スポニチ ストイコビッチ監督がクラブの「表」の顔ならば、久米GMは「裏」の顔だろう。08年のストイコビッチ監督就任と同時に清水から加入。DF闘莉王が移籍会見で「久米さんの話にやられました」と笑ったように、3年間、大型補強に成功してきた功績は大きい。 人間を見る目、巧みな交渉術、数年先を見据えた方向性提示。ルーツはJリーグ開幕前の社会人時代にあるという。柏の前身・日立製作所の社員選手だった30歳の時に、家族から“引退勧告”を受けた。そこから3年間は営業職。営業先は政府系列の銀行で「しっかりしたものを作らないと取り扱ってくれない」とプレゼンテーションの重要性を痛感した。一方で“お堅い”企業と付き合い「度胸はついた」という。 88年に渉外担当として低迷する古巣に戻った。J発足前の