タグ

ブックマーク / danjo.city.kashiwa.lg.jp (3)

  • 参画eyeパソコン講座/パソコン20年史part4:Appleと東芝

    Appleと東芝を並べましたが、関係の濃さを考えるとAppleとSONYを並べた方がよかったかもしれません。テキストの量と外見の バランスを考えた結果この順序になりました。ただ、片やDTP・DTMの雄、片やモバイルコンピューティングの雄という互いに専門分野を持つメーカーとしてならバランスがとれているかもしれません。 Appleはパーソナルコンピュータ=Appleというくらい、この分野の先駆者であり開発者でありかつ現役のメーカーであるという、他に比べようのない大きな存在です。しかし国際的な視点はともかく、日国内では脇役的な存在に留まりました。その理由は日語対応が遅れたことに加えて、とても高価で「プロ用の高級品」として用途が限られていたことから来ています。それにも拘わらず、マック・エバンジェリストと呼ばれる熱狂的な信奉者が多いのもこのパソコンメーカーの一面です。 ◆東芝は70年代には

  • 参画eyeパソコン講座/パソコン20年史part3:SHARPと富士通

    ◆SHARPと富士通、この二社には電子世界のパイオニアとしてのプライドがありました。 SHARPには世界初のオールトランジスタ計算機やLSI電卓の開発、初の国産テレビ生産などの実績があり、富士通には独力で国内初の実用コンピュータFUJICを開発した 岡崎文次、IBM・System/360の世界制覇に風穴をあけた池田敏雄という二人の天才職人を擁(よう)するコンピュータメーカーとしての実力がありました。それがどうしたわけかNECに追い抜かれ、国内パソコン市場の覇権を許してしまったのです。黙っていられない両社は全力をあげて巻き返しに出ます。しかしなかなか成果は上がりません。NECの不得意なマルチメディア分野に進出を図った両社は、結果としてX68000とFM-TOWNSという同じようなマシンを開発し、一定のシェアを獲得します。その中でも技術屋として淡々と独自路線を歩むSHARP、強引なくらいに販路

  • 参画eyeパソコン講座/パソコン20年史part1:NECとEPSON

    ◆国産パソコンの歴史は1978年に売り出された日立製作所の「ベーシックマスター」とSHARPの MZ-80に始まりますが、販売面で先行したのは1979年に発売されたNECPC-8001 でした。それからNECがDOS-V陣営に屈する1997年までは、『国民機』としてのNECパソコンが日のパソコンの歴史を作ってきました。この章では『国民機』 PCキューハチと、その互換機エプソンPC歴史をたどり ます。 1976 前章でふれたように、パソコン時代が始まる前、 1976年にNECはマイコンボードTK-80で大当たりをとります。(TKはTraining Kitの略) CPUは、Intel8080互換のμPD8080A、メモリは512バイト。先行する数種のマイコンと違い、ボード上 に入力キーとモニターを備えているところがミソで、機械語のプログラムを16進キーボードからメ モリに直接入力し、8

  • 1