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ミャンマーに関するbalancoのブックマーク (3)

  • ロヒンギャ排斥を主導するミャンマー仏教僧

    【パアン(ミャンマー)】最近のある日曜、ミャンマーの仏教指導者のウィラトゥ師(49)はオレンジ色の法衣をたくし上げて演壇に上り、マイクの前に立った。

    ロヒンギャ排斥を主導するミャンマー仏教僧
  • 【ロヒンギャ危機】 実際アウンサンスーチー氏にはどの程度の力があるのか - BBCニュース

    画像説明, アウンサンスーチー氏は20年間にわたり軍部と激しく対立してきたが、今では協力し合わなくてはならない。写真は昨年9月に首都ネピドーで開かれた平和会議の終わりに軍部の代表にあいさつするスーチー氏(2016年9月3日) ミャンマー治安部隊の残酷な摘発から逃れようと、西部ラカイン州から多数のロヒンギャが国外に脱出している。それについて、ノーベル賞受賞者で実質的指導者のアウンサンスーチー氏は、テロに対する正当な行動だと政府を擁護しており、スーチー氏への国際的な非難が高まっている。こうした状況で、スーチー氏は20日から始まる国連総会の一般討論を欠席する予定だと明らかになったが、そもそもスーチー氏は実際、国内でどれほどの実権を持っているのだろうか。 アウンサンスーチー氏の正式な肩書は「国家顧問」だ。ミャンマー憲法には、外国籍の配偶者や子供を持つ者の大統領就任を禁じる条項がある。そもそもスーチ

    【ロヒンギャ危機】 実際アウンサンスーチー氏にはどの程度の力があるのか - BBCニュース
    balanco
    balanco 2017/09/20
    “アウンサンスーチー氏はラカイン州で起きている事態ついて、実際にはほとんど権限を持っていないのだ。そしてロヒンギャ支援を表明しようものなら、ほぼ確実に仏教徒の国家主義者たちの怒りを買う”
  • ロヒンギャ問題、スーチー氏批判は筋違いだ

    一方、ロヒンギャという民族名称は、文書史料の上では1950年までしか遡ることができない。その意味では戦後生まれた新しい民族集団とみなすことも可能である。ただ、この地で15世紀前半から18世紀後半まで栄えたアラカン王国の時代に、多数派の仏教徒と共に、ムスリムも一定数居住していたことが史実として知られ、そこに起源を求めることも十分できる。 アラカン王国に住むムスリムは、捕虜として連れてこられた人たちの子孫や傭兵たちで、王宮で役職に就く者もいた。アラカン王国は1785年、ビルマ王国(コンバウン朝)の侵略によって滅亡する。その後、1826年に第一次イギリス―ビルマ(英緬)戦争での敗北を経て、ラカインが英国の植民地と化すと、以後ベンガル側から大量のムスリムがこの地に入り、数世代を経て定住するに至った。 いつ、なぜ「ロヒンギャ」と名乗るようになったのか アジア・太平洋戦争期(1941-45)には、イギ

    ロヒンギャ問題、スーチー氏批判は筋違いだ
    balanco
    balanco 2017/09/19
    “しかし、彼女には軍(国防)と警察(国内治安)と国境問題に対する指揮権がない。現行憲法がその3つの領域について大統領ではなく軍によるコントロールを認めているためである。”
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