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二十五歳のときに人生に絶望した。もともと二十歳以降まで生きているのが奇妙な感じではあった。が、二十代というか、大人になった自分というのは、へぇという感じだった。臙脂色の緞帳が上がるがごときだった。歳相応の未熟な恋もしてそして破れそして忘れた。忘れるものだ。が、無意識のなかの私はたぶん時を忘れてないのだろう、というか、もうひとりの私はなんとなく私の死後までこの太虚のなかにミームとして残るというか、そこを胎としてまた私のような意識が生まれるのだろう。私のような自意識。凡庸というサンサラ。 絶望というのは奇妙なもので、字義にすれば望み絶たれるであろうし中国古典でも読むような大望果たせずみたいなものであろうし、人によってはそういうものかもしれないが、絶望というのはもうちょっと変なものだ。生きている意味も意識もなく身体が生きているというのだろうか。この世界と身体と意識の奇妙な、そうあれは昔の遊園地に
私の知らない「本心」をたーんとご批判くださるわけだが。 ⇒traviesoの走り書き - 歴史と自由(1) 偶発的事件でなければ、「戦後のドイツ人のように、祖父母・曾祖父母の罪をきちんと暴いていかなくてはならない」(そういえば、ここでは「戦後のドイツ人」が直喩で使われている)というfinalvent氏だが、本心は「そうした問題を持ち出さず民族間の軋轢を減らす努力こそが求められるのではないか」というところにありそうである。 いえ、私は歴史研究に対しておそらく冷酷ともいえる立場を取りますよ。 あなたが、きちんと、関東大震災における朝鮮人虐殺を歴史的に取り上げるなら、私はそれをきちんと吟味します。 しかし、あなたや、あなたちは、それをしていません。 traviesoさんに至っては、ルワンダの歴史すら考慮していません。私の言説をずたずたにしてその像に批判の言葉を投げかけているだけで、歴史性に眼を向
この際、はっきりさせておきたい。 私は、一切のオカルトや心霊現象についての珍無類の空騒ぎを、心から嫌悪しているということである。これらについての「リベラル」な不可知論的寛容のひとかけらさえ、私は持ち合わせてはいない。それどころか、一見、物分りのよさそうなこのような態度こそ、精神の柔弱さの徴として深く軽蔑している。 世界に人知の及ばない広大な領域があることは否定しない。かろうじて人知の及ぶ領域でさえ、その大部分を私は知ることも理解することもないまま死ぬことになるだろう。心的現象について、そのほとんどが未踏の暗黒大陸であることも、十分心得ている。 しかしさればこそ、そこで我々に必要なのは決断である。 究極においては、物理学も論理学も決断に基づいている。仏教もキリスト教も決断だ。正義であれ、理性であれ、愛であれ、決断に基づかぬものはない。だからと言って、それらすべてと並んで、オカルトもUFOも占
霊だの死だのと、シケた話が続いているので、ちょっと風向きを変えます。 広告と雑誌原稿の違いについて、さる業界関係者との間で話がはずんだので、その周辺のお話をば。 「雑誌記事と雑誌広告の違い」とはいうものの、出来上がりを見比べてみると、実はたいした違いはなかったりする。 特に、昨今は、パブ記事というのが増えて、広告と記事の境界線は、ますますもって曖昧になってきている。 でも、アウトプットの結果はともかくとして、制作過程について言うなら、両者の間には、まだまだ、かなりはっきりとした違いがある。 前提から結論に至るのが記事原稿。 結論から前提を導き出すのが広告のボディーコピー 持ち上げるのが広告。クサすのが記事 暴くのが記事。飾るのが広告 と、一見もっともらしいが、じっさいのところ、以上にあげたポイントは、さして本質的な差異ではない。 はじめに結論ありきのコラムだってけっこうあるし、提灯持ちのエ
朝のラジオで田村高廣が亡くなったと聞いてネットで確認したところ、併せて植田重雄の死を知った(参照)。十四日のことであったそうだ。 直に学んだこともなくお会いしたこともないのだが、いつも心のなかで植田重雄先生とお呼びしていた。お別れ会は日本キリスト教団早稲田教会でとのことだが、やはりカトリックではなかったのかなと少し思った。そうした面についてはあまり知らない。 死因は胃がんとのことだが、八十三歳、天寿に近いと言ってもそう間違いではないように思う。年号年齢早見表 極東ブログ・リソース 2006年版(参照)を見るに、大正十二年か十三年の生まれ。吉本隆明とほぼ同じ世代の人になる。 とすれば、昭和三十五年には三十七歳ということになる。書架にある植田重雄「旧約の宗教精神」をお書きになったのは、三十六歳ころであったか。しばし感慨に打たれる。 早稲田大学出版部から出た同書はすでに古書店にもないか、あるいは
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