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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (12)

  • 物を書くということと、書いて食うということについては - finalventの日記

    私は書きたくない、というのが正直なところ。 書くというのは、私にとっては、ごにょごにょ。 ブログとか日記を書くということは、私にとっては、ま、特に考えないでそうしている。 この手の物は誰かが読むというものではなく、自分という人間が書かずにはいられないお病気みたいなもので、そんなもの。でも、まったく読む人のことを考えてないわけではない。 で、生活というのは、つまり、働くということは、これは、難しいね。 具を作って人様の役に立つか、ずるこく人様の上前をはねるか、その2つだけ。 これを書くということに繋げるというのは、ある面で原則論で言うなら、好きなことでえるということでもあるのだろうけど、ま、難しい。実現が難しいというのではなくて、それをどう考えるかが難しい。 幸運とか才能とかあるといいのでしょうけどね。 ありますかね? 努力とかで補えるものでしょうかね? ま、わかんないです。 漱石とか読ん

    物を書くということと、書いて食うということについては - finalventの日記
  • ついでにクリシュナムルティについて - finalventの日記

    クリシュナムルティの愛読者はそれなりに多い。みんな勝手に読んでいる。私もその一人以上のものはない。その限定で言うのだけど、クリシュナムルティを理解するときに一番大切なことは彼を聖人と見ないこと。普通の人。彼の教えを学ぶときの、逆説的に重要なことは、「私がいなかったらみなさんはどう学びますか?」。つまり、クリシュナムルティという人は不要だということ。 で、さらに逆説的に、だから、クリシュナムルティという人に関心があるなら、ルーチェンスの伝記とか読まずに、これを読んだほうがいい。 ⇒「 キッチン日記―J.クリシュナムルティとの1001回のランチ: : マイケル クローネン,Michael Krohnen,高橋 重敏」 追記 これもウィキペディアの項目があった。へぇ。 で。 ⇒クリシュナムルティの思想 : ジッドゥ・クリシュナムルティ - Wikipedia クリシュナムルティの思想の中心とな

    ついでにクリシュナムルティについて - finalventの日記
    ban-nen
    ban-nen 2007/03/18
  • Flavor Of Life 2 - finalventの日記

    詩を味わうにはバラードのほうがいいけど、音楽全体からするとシンセアレンジのほうがよいのではと思う。低音から微妙に短調に落ちていくあたり、モーツアルト的な悪魔の奈落的ゾク感がある。これはヒッキー自身の才能もだけどアレンジャーの才能か。 承前⇒finalventの日記 - Flavor Of Life 関連⇒極東ブログ: 恋という映像 この機会にfinalventさんの宇多田ヒカル評を見たいです。 バラード編のプロモは見てます。オケのようすがいいですね。あと、ヒッキーのものすごい歌唱力。 で、宇多田ヒカル評。 ときたま彼女詩をふと思い出すこと多いですよ、詩がすごいよい。 例えば⇒finalventの日記 - 最近なんとなく思い出す歌詞 旋律に幻惑感があって作曲家としての才能もかなりすごいのでは。ただ、クラシック的なフレームはなさげ。 これとか⇒finalventの日記 - なぜかCOLORSが

    Flavor Of Life 2 - finalventの日記
  • なんのためにブログを書くかといえば - finalventの日記

    自分を理解してほしいからでしょ、ということでもいいと思う。 ただ、自分が孤独で愛してほしい、関心をもってほしい、というほどでもない。 っていうか、それだけのエネルギーもないのだけど、歳取っちゃってさ。 でも。 卑近な例で言えば。 これって問題でしょ たとえばこれ⇒極東ブログ: ダルフール危機からチャドにおけるジェノサイドの危険性 これって美味しいよ。 たとえばこれ⇒極東ブログ: 金時豆フェジョアーダ(Feijoada) で。 「極東ブログ」にしろ、結局のところfinalventさんが何を言いたかったのか、いつも分からないんです。 と言われても、私のエントリの全てを理解しようとしなくていいのでは。 それに。 ダルフール危機は人類にとって大きな課題なんだ、というのは、それほど「結局のところfinalventさんが何を言いたかった」というほど理解が問題なのでしょうか? ホロコーストがありルワンダ

    なんのためにブログを書くかといえば - finalventの日記
    ban-nen
    ban-nen 2007/02/20
  • 本好きの人が持っている10の間違った認識と行動 - finalventの日記

    自分はを正しく評価できると思い込んでいて、あれはくだらない、あれはすばらしいとか言う。 自分は正しくを読んでいると思い込んでいる理由が実際は精読によるのではなく、個々のインフォメーションの集積によっている(気が付いていない)。 つまらないを買ってしまった自分に恥じてこっそりブックオフに売り、これはよいと思ったを書架に並べるが、それは単なるコレクションだと言われるとむっとする。 を読んで感動できる自分がとっても好き。その割に他人が感動しているのが大嫌いでいろいろなんくせをつける。 を読むことによって得られるものはといった議論が好きでやたらと難解にする。 $山形浩生のとか訳とか書評は読んでみる……なお、$山形浩生は変数で、小熊英二とか浅田彰とかいろいろ代入可能(自分をそれらと同一視したいファンちうことやね、結局)。 ローマ史とかハプスブルク家とか三国志演義とかディテールを知

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    ban-nen 2006/06/15
  • 文は人なりというが - finalventの日記

    そうかも。 なにが主張されているかということより、どういう文体で書いてあるか。 ってか、文体というのが思考なり、表出された主張のメタになっている。 で、文体というのは一種の雰囲気なんだろう。 雰囲気ぼわーんというのがあって、それが文体になって、なんか主張のように見える。 ブログでいい文章をいかに書くかとかあるが、結果論的に、まずブログには文体があるのだろう。 そして、その文体がどういう偏差をもっているかがブログの主張より重要なのだろう。 メディアはコンテンツであるというのの応用かもしれない。 じゃ、ネタは? ネタというのはある。ネタというのは文体で消化される。 それとあとは文化戦争というかカルチャー・ウォーの概念を入れれば、とりあえず、ブログっていうクラスは定義できるのではないか。 ああ、あと空気っていうのはあるか。 ネタ、空気、文体、カルチャー・ウォー、このくらいかな。 ネタは次元には入

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    ban-nen 2006/06/01
  • 時は過ぎていく、君は美しい - finalventの日記

    二十五歳のときに人生に絶望した。もともと二十歳以降まで生きているのが奇妙な感じではあった。が、二十代というか、大人になった自分というのは、へぇという感じだった。臙脂色の緞帳が上がるがごときだった。歳相応の未熟な恋もしてそして破れそして忘れた。忘れるものだ。が、無意識のなかの私はたぶん時を忘れてないのだろう、というか、もうひとりの私はなんとなく私の死後までこの太虚のなかにミームとして残るというか、そこを胎としてまた私のような意識が生まれるのだろう。私のような自意識。凡庸というサンサラ。 絶望というのは奇妙なもので、字義にすれば望み絶たれるであろうし中国古典でも読むような大望果たせずみたいなものであろうし、人によってはそういうものかもしれないが、絶望というのはもうちょっと変なものだ。生きている意味も意識もなく身体が生きているというのだろうか。この世界と身体と意識の奇妙な、そうあれは昔の遊園地に

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    ban-nen 2006/05/19
  • 私の知らない「本心」をたーんとご批判くださる。 - finalventの日記

    私の知らない「心」をたーんとご批判くださるわけだが。 ⇒traviesoの走り書き - 歴史と自由(1) 偶発的事件でなければ、「戦後のドイツ人のように、祖父母・曾祖父母の罪をきちんと暴いていかなくてはならない」(そういえば、ここでは「戦後のドイツ人」が直喩で使われている)というfinalvent氏だが、心は「そうした問題を持ち出さず民族間の軋轢を減らす努力こそが求められるのではないか」というところにありそうである。 いえ、私は歴史研究に対しておそらく冷酷ともいえる立場を取りますよ。 あなたが、きちんと、関東大震災における朝鮮人虐殺を歴史的に取り上げるなら、私はそれをきちんと吟味します。 しかし、あなたや、あなたちは、それをしていません。 traviesoさんに至っては、ルワンダの歴史すら考慮していません。私の言説をずたずたにしてその像に批判の言葉を投げかけているだけで、歴史性に眼を向

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    ban-nen 2006/05/19
  • この一週間くらいか - finalventの日記

    激務、私事、体調などいろいろあって、かなりネットから距離を置いた、というか、いわゆるメディアから見る世事からも距離を置いた。もうネットの世界には戻れないかもしれないなとも思ったが、どうだろう。よくわからない。 ひさびさにはてなの人気・注目ぶくまなどを見ても、ピンとこない。考えてみたら、私は若い人ではない。若い人の話題にはついていけない。そういうものだ。 子細はわからないが、松永さんカミングアウト問題関連がいろいろあるようだが、関係者には問題の構図は見ているのだろうが、私なぞにはそろそろ見えない。し、私などがどうこう言う問題でもないだろう。 と、話が斜めにずれるのだが。 私は昔フィリピンや中国アフリカなどの学生と一緒にバイトをした。日戦争のことをどう思っているかと聞いてみた。いろいろ得心したことがある。端折って言うと、どの国も平均寿命を見ればわかるが、短い。人生が前提的に短いという世界

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    ban-nen 2006/05/15
  • 履歴書のこと - finalventの日記

    ⇒他人の不幸は蜜の味: 僕の考える「良い履歴書の書き方」 反論というわけでもないけど、ま。 一時期、ある分野の人の選考に関わっており、履歴書をたくさん読まされた。その時、思ったこと。 一つは、履歴書を読む側の心理だけど、もう履歴書なんてものは読むにうんざりするものというもの。写真見てこんな人かというのと、文字を見て、汚い字だなとか、その2点の印象が強い。 でも、履歴書を読む側は、よい人を採用することが自分の成績なわけで、そこにはあまり主観は入らない。写真はいいにこしたことないし、文字もきれいであるにこしたことはないけど、せいぜい、ちゃんとした写真屋で撮れよ、丁寧に書けよ以上のことはない。 で、なにがポイントか。 の前に、リンク先のようなことはあまり問題ではない。「他者より秀でた自分をアピールする活動」なんてどうでもいいし、趣味・特技はあまり関係ない。亀甲様のようにパチンコが趣味ですみないな

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    ban-nen 2006/03/26
  • ブログ界はちゃんと成長している - finalventの日記

    一昨日のホリエモン逮捕はそれほど関心なかった。というか、どういう実態で逮捕なのか関心があったので詳細待ち、と思っていたら、昨日朝、旧メディアを通して見る世間のヒステリーに圧倒された。 毎朝読む新聞各紙社説が、お、おまえら……という状態。 一気にが進む。 とりあえず、こんなのありかよという声を小さく上げるべくブログを書く。これでまた非難とかウンコとか飛んでくるのだろうな、うへぇと思うが、小さく声をあげるためにブログを始めたのが私の意図だ。私はきっこのようにマスコミを動かそうとか思わない。小さく声を上げる。小さく異論を述べる。 民主主義というのは、それが決するときは多数決ということになることが多いが、それでも、多数決よりもっと重要なことは、異論を明記して歴史にゆだねるということだ。民主主義というのは歴史に学ぶという経験主義でもある。超歴史的な正義をふりかざして政治を行うことではない。民主主義

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    ban-nen 2006/01/25
  • ホリエモンは特例……ということは - finalventの日記

    ⇒My Life Between Silicon Valley and Japan - 堀江社長逮捕についての短い感想 若い人たちが、ビジネスの世界で何かやってみたいと夢を持つときに(それは起業した会社を公開企業にするという大きな夢であっても)、堀江氏のような「スケールの大きさ」は、決して必要としないということである。よくも悪くも、「普通の人」は、あそこまでは絶対にいけないものだ。 すでにぶくまが多くついているが、まったくそのとおりだ。 私的に言えば、仕事というのはカネのためにするのではなく、カネはドラッカーが言うように企業の健全性を測定するツールに過ぎない。逆にいえば、NPOはちゃんと利潤を出さないといけない。 ではなんで起業するか。企業に勤めるか。単純。好きなことをやるのだ。 仕事というのは、死ぬまでやるものだ(まその前にリタイアだろうが)。延々とやるのだ。延々とやるから結果的にそれが

    ホリエモンは特例……ということは - finalventの日記
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    ban-nen 2006/01/25
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