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2009年5月19日のブックマーク (2件)

  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●個人的なつまらない話だが、『構造と力』を読んだのは高校一年の時だった。日の現代文学、大江健三郎や中上健次や金井美恵子や、当時「現代思想」と呼ばれていたようなものなどを読むようになったのも、高校一年の年、1983年だ。しかしその時、同じようなを読んでいた人はまわりには一人もいなかった。学校の友人たちとか、日常的に接する人たち、日常的なリアルな生活圏とそれらのに書かれていることとは、まったく何の接点もなかった。読んだについて話が出来る人も一人もいなかった。それらのの内容は、孤独のなかで読まれ、ただ孤独に受け止められるだけだった。その後、「批評空間」などを購読している時も、まわりに同じものを読む人はまったくいなかった。予備校でも、大学でも。そして、それはそういうもので、当然のことだと思っていた。おおきくみれば、ぼくはドンピシャで、ニューアカ世代であり「批評空間」世代であるのだが、その

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    bartleby0911
    bartleby0911 2009/05/19
    つまり、わたしの/あなたの孤独は、けっしてわたし/あなた一人のものではないのだ、と。その孤独は、人類がはじまって以来繰り返されてきた、凡庸なものだとさえ言える。孤独であり、かつ、凡庸であることこそが希望
  • 池谷さんの本を読む - 内田樹の研究室

    旅行中ずっと池谷裕二さんの『単純な脳、複雑な「私」』(朝日出版社)を読んでいた。 400頁を越すけっこうなヴォリュームであるが、一気に読んでしまった。 池谷さんからのかわいい(タツノオトシゴの)漫画サイン入りので、「今回のは今までで一番気合いが入っています!」と書いてあった。 池谷さんとは以前、「PHP」の企画で対談したことがある。もう2年ほど前のことである。 私は「理系の人」と話をするのが大好きである。 養老先生、茂木さん、福岡先生、どなたも話が明快で、かつ深い批評性を備えている。 池谷さんも話していて、その頭脳の機能の高さに驚嘆したのを覚えている。 人間の脳や知性の構造について考察するときには、どこかで「自分の脳の活動を自分の脳の活動が追い越す」というアクロバシーが必要になる。 「私はこのように思う」という判断を下した瞬間に、「どうして、私はこのように思ったのか? この言明が真であ

    bartleby0911
    bartleby0911 2009/05/19
    最終的に思考の深化・過激化のドライブを担保するのは、考えている人自身の「あ、こういうふうにぐいぐい考えていると、気持ちいい」という「気持ちの問題」なのである。