タグ

ブックマーク / blog.tatsuru.com (75)

  • ネット時代の共生の作法 - 内田樹の研究室

    ある学会誌からインタビューの申し込みがありました。携帯の廃棄物としての重要性を論じるという切り口だったのですけれど、いつのまにあぜんぜん違う話になってしまいました・・・ 学会誌なので、一般読者の目に触れる機会がないと思いますので、ここに採録しておきます。 現在、人口比一人1.3台所持しているといわれる携帯電話。その一方で、出荷数2,610万台のうち、その70%の1,780万台が廃棄されています。これだけ消費されている携帯電話ですが、ケータイやネットによるいじめや犯罪など、現代の社会問題としてもクローズアップされてきています。この膨大な廃棄物となる携帯電話は、何のために利用され、わたしたちのくらしとどう折り合いをつけていくのか。人間の社会活動に造詣の深く日和らない、武道家であり思想家である内田樹氏に、ネット社会のありようやこれからの社会の行方を伺いました。みなさんとともに考えていきたいと思い

  • 大人への道 - 内田樹の研究室

    お休みの日だけれど、取材が二件あるので大学へ。 最初は花王の研究所のみなさん。30 代の中堅どころのチームリーダーのみなさんが「ちかごろのわかいもん」をどうやって組織人に仕立て上げたらよろしいのでしょうかという悩みをかかえていらしたのである。 よくぞ私のところに「それ」を訊きに来られましたな。 Right time, right place とはこのことです。 前日の週刊ポストの取材もほとんど同趣旨のお訊ねであった。 要するに「共同的に生きる」ということの基礎的なノウハウが欠如した社会集団がいるのだけれど、それを「どうしたらいいのか」という問いである。 「どうしたらいい」のかという対症的な問いの前に、「どうしてこのような集団が発生したのか」という原因についての問いが立てられなければならない。 同じことをもう繰り返し書いているので、詳しくはもう書かないが、要するに「自己利益を優先的に追求する

  • 学院標語と結婚の条件 - 内田樹の研究室

    新学期が始まる。 6日に入学式。 飯新学長の「ことば」を聞く。 学長就任の挨拶でもそうだったけれど、学が「キリスト教のミッションを実現するために建学された」という基理念をつよく訴える内容であった。 この時代に大学新入生に向かって「自己利益をどうやって増大させるか」については一言も触れず、「神と隣人を愛し、敬し、仕える」ことを、ほとんどそれだけを説いたスピーチを行うということは、「反時代的」だととる人もいるかもしれない。 でも、私はそう思わない。 これはすぐれて「今日的な」メッセージだと思う。 私たちの社会がこの 20 年で失ったのは「隣人と共生する能力」と「私の理解も共感も絶した超越的境位についての畏敬と想像力」である。 「愛神愛隣」というのは、そのことだと私は理解している。 学長は「学風」「校風」ということにスピーチの中で何度か言及した。 それは具体的な教育プログラムのことではないし

  • 学校教育の終わり - 内田樹の研究室

    大津市でのいじめ自殺、大阪市立桜宮高校でバスケットボール部のキャプテンの体罰自殺など、一連の事件は日の学校教育システムそのものがいま制度疲労の限界に達していることを示している。 機械が壊れるときは、金属部品もプラスチックもICもすべてが同時に劣化する。それに似ている。学校教育にかかわるすべてが一斉に機能不全に陥っている。 これを特定のパーツを取り替えれば済むと考えている人は「どこが悪いのか?」という「患部」を特定する問いを立てようとする。だが、それは無駄なことだ。日の学校制度はもう局所的な手直しで片付くレベルにはない。 「日の学校制度のどこが悪いのでしょうか」と訊かれるならば、「全部悪い」と答えるほかない。 けれども、学校教育は「全部悪い」からといって、「全部取り替える」ことができない。自動車なら、新車が納車されるまで、バスで通う、電車で通うという代替手段があるが、学校にはない。新し

  • 体罰とブレークスルーについて - 内田樹の研究室

    『GQ』に毎月人生相談コーナーに寄稿している。 今月号は体罰についての質問だった。 たいせつな話なので、ここに再録しておく。 Q:体罰が問題になっています。武道における鉄拳制裁、愛の鞭というのはないのでしょうか A:武道ではありえないですね。人に向かって「努力がたりない」という理由で罰を与えるということは。 処罰で脅すというのは、はっきりした到達目標とタイムリミットがある場合に限られます。 能力の発現までのんびり待っていられないというときに、処罰の恐怖や、金や名誉といった利益による誘導や、マインドコントロールやドーピングが採用される。 時間が迫っているので「背に腹はかえられない」というのがそのときの言い分です。 でも、武道の修業というのは、いつ、どこで、どのような危機に遭遇するのか予見できない状態で、それに備えるものです。だから、「いついつまでに、これこれのことができなければ罰を与える」と

  • 平松さんの支援集会で話したこと - 内田樹の研究室

    10月17日の平松邦夫市長を励ます会で「おせっかい教育論-教育条例の時代錯誤について」という講演をした。 講演録はそのあと『橋下主義を許すな!』というに採録された(香山リカ、山口二郎、薬師院仁志との共著、ビジネス社)。 選挙の応援のための、いささか「煽り」の入ったなので、手に取るのを控えた方も多いと思うが、私の書いていることはいつもの原則論である。 教育現場にドラスティックで急激な変化は馴染まない 平松市長から教育関係の特別顧問をと委嘱されて、お引き受けした時に、「大阪市の特別顧問に任ず」という委嘱状を頂きました。紙一枚もらって終わりだろうと思っていたら、いきなり「さあ、これから記者会見です」と言われました。そんな話聴いてなかったので、何の準備もしていない。いきなり記者会見に連れ出されて、「内田さんの顧問としての抱負を」と尋ねられました。何も考えていなかったのですが、そういうときの

  • 就活についてのインタビュー - 内田樹の研究室

    朝日新聞デジタルというところからインタビューを受けた。 お題は「就活」。 「就活なんか、するな。卒業するまでは大学生として大学での活動に全力を尽くし、卒業してから、その先のことは考えなさい」というのが私の年来の主張である。 今していることをおざなりにして「ここではない場所で、あなたではない他の人たちとする仕事」に前のめりになっているような人間をあなたは重用する気になるか。 私はならない。 そんな人間はどこにいっても使い物にならないということを経験的に知っているからである。 でも、同意してくれる人はきわめて少ない。 マスメディア上では「ゼロ」である。 珍しく朝日新聞(ただしWEB版)からこの件でお座敷がかかった。 でも、それは「息子が内田樹の書いたものを読んで『就活をやめる』と言い出したので、ちょっと腹を立てた母親」がインタビュアーという、ちょっと不思議な趣向のものであった。 インタビュアー

  • 市場からの撤収 - 内田樹の研究室

    消費増税法案が成立した。 日経は一昨日の一面で、これで日の信認が守られ、政治家たちが「消費増税の先送りという最悪の事態を避ける理性だけは残っていた」ことに満腔の安堵を示している。 税金を上げないと「日の財政再建への疑惑」が国債格付けを下げ、金利が上昇し、国債が投げ売りされ、国家財政が破綻するからである(らしい)。 この辺の「風が吹けば桶屋が儲かる」的なドミノ倒し的破綻シナリオがどれほどの信憑性があるのか、私にはよくわからない。 国債を格付けやら金利の乱高下を材料にして国債を売り買いする機関投資家というのは、平たく言えば「ばくち打ち」の皆さんである。 世界の人々が自尊心をもって文化的で愉快な生活を営めるかどうかということは彼らの投資行動とはかかわりがない。 手前の懐が温かくなるなら、どれほどの人が寒い思いをしようと路傍で飢えようと、「それは自己責任でしょ」と言い放つ方々が金融市場というも

  • 同一労働最低賃金の法則について - 内田樹の研究室

    自治労のセミナーで「橋下政治について」のシンポジウムに招かれた。 コーディネイターはTBSの金平茂紀さん。パネラーは香山リカ、湯浅誠のご両人と私。 個別的な政策の適否や政治手法については、もう多くの人が語っているので、屋上屋を重ねることもない。 まだ、この政治現象について「誰も言っていないこと」を言わないと、せっかく日帰り東京ツァーに出た甲斐がない。 私は「海外メディアは橋下徹と大阪維新の会をどう見ているか」というところから始めた。 私はフランスの『リベラシオン』の電子版で定期的に「フランスのメディアは日での出来事をどう見ているか」をチェックしているが、『リベラシオン』にはキーワード「hashimoto」でも「maire d’Osaka」でも記事は存在しなかった。 『ル・モンド』には「大阪のポピュリスト市長が既成政党と官僚に全方位的に攻撃を加えている」という記事があったが、日におけるこ

  • 「国民生活」という語の意味について - 内田樹の研究室

    野田首相の大飯原発再稼働について国民に理解を求める声明が発表され、それについての評価を東京新聞から求められた。 声明の全文を読まないとわからないので、全文のpdfファイルを送って貰って読んだ。 驚嘆すべき文章であった。 このようなものを一国の国論を二分しているマターについて、首相が国民を「説得」するために語った言葉として公開してよいのか。 私は野田さんという人に個人的には特に好悪の感情を抱いていなかったが、この声明を読んで「誠実さを欠いた人だ」という印象を持ってしまった。 その所以について述べたい。 そのためには、首相の所信表明演説の全文を読んでもらう必要がある。 【野田総理冒頭発言】 日は大飯発電所3,4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。 4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体のご理解を得るべく取り組んでまいりまし

  • 仕事力について - 内田樹の研究室

    4月に一ヶ月間、毎週一度朝日新聞の求人欄の上のコラムに「仕事力」というエッセイを連載しました。いつもの話ですけれど、就活する学生たちに対して言いたいことをわりとコンパクトにまとめてあるので、そういう立場にいる方はぜひご一読ください。 自分の適性に合った仕事に就くべきだと当たり前のように言われていますが、「適職」などというものがほんとうにあるのでしょうか。 僕は懐疑的です。 「キャリア教育」の名のもとに、大学2年生から就活指導が始まり、その最初に適性検査を受けさせられます。 これがいったい何の役に立つのか、僕にはまったくわかりません。 大学で教えている頃に、ゼミの学生が適性検査の結果が出たのだが、と困惑してやってきたことがありました。 「あなたの適職は1位キャビンアテンダント、2位犬のトリマーと出たんですけど、私は一体何になればいいのでしょう?」 就職情報産業は学生たちを、自分には「これしか

  • 『赤毛同盟』と愚鈍の生成について - 内田樹の研究室

    朝日新聞の求人欄の上に日曜に出ている「仕事力」というコラムのための取材を受けた。 その中で、「適性」とか「天職」とかいう言葉がどれほど若い人たちの労働意欲を損なっているかについて語った。 今、仕事を探している若い人たちの言う「自分の適性にあった職業」というのは、装飾を削ぎ落として言えば、「自分の手持ちの資質や能力に対していちばん高い市場価値がつけられる職業」のことである。 交換比率のいちばんいい両替機会を求めているのである。 ありていに言えばそういうことである。 そういう仕事をみなさん探している。 交換比率のいちばんいい両替機会を求めてうろうろするのは、やればわかるけれど、あまり賢いことではない。 でも、消費者マインドを刷り込まれた人たちは、「限られた持ち金でどれだけ有利な取引をするか」、費用対効果にしか興味がない。 それは大学で教えているとよくわかる。 学生たちは単位や資格や学士号の「市

  • 内田樹の研究室

    ローカリズム宣言 地方移住のための情報誌「TURNS」で2年間ほど連載していたインタビューを採録しました。グローバル資主義の終焉、少子高齢化による過疎化と限界集落化という現実を踏まえて、「地方移住・帰農・山河の回復」というオルタナティブについて提言をしております。 昨日うかがった話では、地方移住支援のためのある NPO の窓口を訪れた人は去年一年で 25,000 人、10 年前の 10 倍にのぼるそうです。半数以上が 20 代 30 代とのこと。 この趨勢はもう止まることがないでしょう。 デコ/2017-12-07 変調「日の古典」講義 安田登さんと二人であちこちで行った対談の集成。話題は『論語』から能楽まで多岐にわたります。安田さんが何か驚くべきことを言うとこちらも負けじとさらに驚くべきことを言い、安田さんがそのような挑発を受け流すはずもなく、さらに驚くべき話で切り返す・・・という悪

  • 教育の奇跡 - 内田樹の研究室

    『みんなのねがい』(全障研出版部)という媒体に教育について寄稿した。 「いつもの話」ではあるが、教育についてビジネスマンのような言葉づかいがあまりにメディアに瀰漫してるので、「教育はビジネスの言葉づかいでは語れない」という原理的なことを確認するために書いた。 「教える」という営みの質についてもっとも洞察に富んだ言葉を残したのは、フランスの精神分析家ジャック・ラカンである。ラカンは(やがてフランス中の知識人がエコール・ノルマルの講堂を埋め尽くすことになる)その伝説的なセミナールの最初の時間にこう述べた。 「教えるというのは非常に問題の多いことで、私は今教卓のこちら側に立っていますが、この場所に連れてこられると、すくなくとも見掛け上は、誰でも一応それなりの役割は果たせます。(・・・) 無知ゆえに不適格である教授はいたためしがありません。人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知

    bartleby0911
    bartleby0911 2012/03/15
    教師であるためには一つだけ条件がある。一つだけで十分だと私は思う。 それは教育制度のこの豊穣性を信じているということである。 自分は自分がよく知らないこと教える。なぜか、教えることができる。生徒たちは教
  • 不便さと教育 - 内田樹の研究室

    丸善が出している『學鐙』という雑誌に教育論を寄稿した。 一般の方にはあまり手に取るチャンスのない媒体なので、ここに採録しておく。 不便さと教育 というタイトルを頂いて原稿を書くことになった。たぶん「教育と効率」の背馳について論じて欲しいというのが編集部の趣旨であろうと思うので、それについて書くことにする(違ったらごめんなさい)。 教育と効率は質的になじまない。というのは、効率というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、教育がそのアウトカムを計測するときの時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないからである。 もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)教育のアウトカムを考量することもできないことではない。 けれども、そこではじき出された数値は、教育を受ける人にと

  • ポスト・グローバリズムの世界、あるいは「縮みゆく共同体」 - 内田樹の研究室

    アメリカの最近の国勢調査で、白人の人口が2歳時以下の幼児の過半数を割った。 ヒスパニック系(16.3%)がアフリカ系(12/6%)を抜いて、マイノリティの最大集団になった。 ヒスパニックは出生率2.3で、白人を0・5ポイント上回っている。 アメリカにおいて白人が少数民族になる時代が近づいている。 ヒスパニックは英語を解さないスペイン語話者を多く含む。 都市の黒人たちはすでに「エボニクス」という、英語と文法も語彙も違う独特の言語を有している。 「社内公用語は英語とする」というような「守旧派的」な雇用条件を課す企業がアメリカ国内に出現してくるのも、こうなると時間の問題である。 これを文化の多様化と言って言祝ぐ人もいるかも知れない。だが、国民国家が共通言語を喪失するという事態は「多様化」というよりはむしろ「分裂」と呼ぶ方がふさわしいだろう。 アメリカは国家としての統合軸を失いつつある。 植民地時

  • 困難な時代を生きる君たちへ - 内田樹の研究室

    神戸新聞の元日配達号に「中高生のために」一文を草して欲しいと頼まれた。 困難な時代を生きる君たちへというタイトルを頂いた。 神戸新聞購読者以外の方の眼には止まらなかったものなので、ここに再録する。 みなさんがこれから生きて行く時代はたいへんに困難なものとなります。 戦争に巻き込まれるとか、大災害に襲われるとかいうことではありません。そうではなくて、みなさんがこれから幸福な人生を送るために、どういう努力したらいいのか、その「やりかた」がよくわからないということです。 まじめに受験勉強をして、いい大学を出て、一流企業に就職したり資格や免状を手にすれば、あとは生計について心配はしなくてよいというような「人生設計」を立てることがむずかしくなった。 ただし、「むずかしくなった」だけで、まるで不可能になったわけではありません。そこがむしろ問題なんです。受験勉強なんか無駄、学歴なんか無意味、資格や免状も

  • グローバリストを信じるな - 内田樹の研究室

    Againの定例経営会議で箱根湯に集まり、平川くん、兄ちゃん、石川くんと日の行く末について話し合った。 EUの先行き、日のデフォルトの可能性から、TPPが「空洞化したアメリカ産業の最後の抵抗」という話になる。 いったいアメリカは自由貿易によって日に何を輸出して、どういうメリットを得るつもりなのか? この中心的な論点について、メディアは実はほとんど言及していない。 「TPPに参加しないと、『世界の孤児』になる」とか「バスに乗り遅れるな」というような、「自己利益(というよりは「自己利益の喪失)」にフォーカスした言葉が飛び交うだけで、「なぜアメリカがこれほど強硬に日のTPP参加を要求するのか?」という、アメリカの行動の内在的なロジックを冷静に解析した記事をメディアで見る機会はほとんどない。 まさか、アメリカが自国の国益はさておき日の国益を守るために完全な市場開放を日に求めているのだ

  • 格差と若者の非活動性について - 内田樹の研究室

    ある媒体から若者の労働観についてアンケートを受けた。 みじかい回答を期待していたはずだが、やたら長くなってしまったので、たぶんこのままでは掲載されないだろう。 自分としてはたいせつなことを書いたつもりなので、ここに転載して、諸賢のご叱正を乞うのである。 Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。ある

  • 選書しました - 内田樹の研究室

    技術評論社の安藤さんから「若い読者のための選書60冊」を頼まれた。 屋さんで『最終講義』の刊行イベントとして、お薦めのを選んで、それを並べて、あわせて買って頂こうという趣旨のものである。 を選ぶのはたのしい仕事なので、さくさくと60冊選んだ。 もうフェアは終わってしまい、「どんなを選んだのか知りたい」という人からメールがあったので、ご参考のために掲げるのである。 こんなのでした。 「日および日人論」として読むべき(35) 『福翁自伝』(福沢諭吉) 『明治十年 丁丑公論・痩我慢の説』(福沢諭吉) 『氷川清話』(勝海舟) 『柳北奇文』(成島柳北) 『勝海舟』(子母沢寛) 『竜馬がゆく』(司馬遼太郎) 『坂の上の雲』(司馬遼太郎) 『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人) 『澁江抽斎』(森鴎外) 『断腸亭日乗』(永井荷風) 『「坊っちゃん」の時代』(関川夏央・谷口ジロー