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ブックマーク / www.huffingtonpost.jp (4)

  • 「多民族共生国家」という私の米国のイメージは幻想だった

    私が1996年-2002年まで過ごした米国で人種間の紛争が起きている。「人種差別はいけない」と声高に叫びたいところだが、米国で白人と黒人の間にある大きな溝を体感したせいか、どうしても別の言葉を探そうとしてしまう自分がいる。 渡米する前の米国についての情報源は、もっぱら映画とスポーツだった。人気映画「ダイ・ハード3」や「ザ・エージェント」では白人と黒人の主人公が友情関係を築き、アメリカンフットボールでは白人と黒人プレイヤーがハイタッチを交わしていた。しかし、実際に米国に行ってみて、こんな人種間交流はテレビの中だけの夢物語だという現実を知った。

    「多民族共生国家」という私の米国のイメージは幻想だった
  • 【戦後70年】原爆投下はどう報じられたか 1945年8月7日はこんな日だった

    十六時間前、米国航空機一機が日陸軍の重要基地である広島に爆弾一発を投下した。その爆弾は、TNT火薬二万トン以上の威力をもつものであった。それは戦争史上これまでに使用された爆弾のなかでも最も大型である、英国のグランド・スラムの爆発力の二千倍を超えるものであった。 日は、パールハーバーで空から戦争を開始した。そして彼らは何倍もの報復をこうむった。にもかかわらず、決着はついていない。この爆弾によって、今やわれわれは新たな革命的破壊力を加え、わが軍隊の戦力をさらにいっそう増強した。同じタイプの爆弾が今生産されており、もっとはるかに強力なものも開発されつつある。 それは原子爆弾である。宇宙に存在する基的な力を利用したものである。太陽のエネルギー源になっている力が、極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれたのである。 (中略)七月二十六日付最後通告がポツダムで出されたのは、全面的破滅から日

    【戦後70年】原爆投下はどう報じられたか 1945年8月7日はこんな日だった
  • 【3.11】福島第一原発の収束作業現場は3年でどう変わったか? ベテラン作業員のハッピーさんに聞く

    東日大震災から3年目を迎えるに当たって、原発作業員は何を感じているのか。福島第一原発をとりまく状況は事故直後から変わったのか? 変わってないのか? 忌憚のない意見を聞いた。 Members of the media and Tokyo Electric Power Co. (Tepco) employees, wearing protective suits and masks, walk towards the common spent fuel facility during a visit to the company's Fukushima Dai-Ichi nuclear power plant in Okuma, Fukushima Prefecture, Japan, on Wednesday, March 6, 2013. Tepco's Fukushima Dai-Ic

    【3.11】福島第一原発の収束作業現場は3年でどう変わったか? ベテラン作業員のハッピーさんに聞く
  • 日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。

    高校生の頃から、もやもやとした違和感を持っていた。何に対してかと言うと、自分を覆い包む空気のようなものに。少しでも明確に言えば、日という国に漂う匂いみたいなものに、なんだかイヤだなあという気持ちを持っていた。 それは、周囲との同化を強いる。自己主張をしすぎるとまずいらしいとか。それからどうやら、新卒での就職が大事でそこで人生は固定されるらしいこと。その固定的な人生は会社という固定的なシステムに規定され、それを受け入れさえすれば平坦だが安泰な人生が送れるらしいこと。高校生でも、そんな世の中になっているらしいことは感覚的に理解していた。そしてそれが心の底からイヤだった。そういう固定的なシステムに覆われずに生きたかった。

    日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。
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