韓国人「世界各国の国力が分かる世界地図をご覧ください」→「あの日本が強大国だなんて」「韓国はドイツと日本には勝てると思うんだけど・・・」 海外放送で再びイメージ操作しようとした日本人が、たった一言で魂を抜かれた「日本は平和ボケと言われる歴史をどう教えているのか?」「彼らは最高です...」海外の反応
「時計じかけのオレンジ」、「シャイニング」、「2001年宇宙の旅」など、数々の名作を生み出した、映画界の鬼才、スタンリー・キューブリック監督は、幼少期をアメリカ、ニューヨークで過ごした。 少年時代、キューブリックの興味を引いたもの中にカメラ、チェス、ジャズがあり、特にカメラが彼の経歴の出発点となる。これらの写真はキューブリックが17歳だった頃、ニューヨークの地下鉄内を撮影したものだ。キューブリックのフィルターを通すと、地下鉄内がまるで映画のワンシーンのように見えてくる。 キューブリックはこのとき、アメリカの雑誌「Look」でカメラマンとして働いていたそうだ。2週間に渡り15000枚以上の写真を撮り、そのうちの129枚が採用されたという。Lookのカメラマンの中で最年少だったというキューブリック。だがその着眼点は素晴らしく、第二次戦争直後のアメリカ人の日常をロマンティックに、時に退廃的に写し
アメリカ航空宇宙局(NASA)は昨年6月までに、すべてのスペースシャトルを引退させた。引退したシャトルは、危険物や再利用機材の取り外しを行った後、アメリカ各地の博物館で展示されることになっている。昨年5月に最終フライトを終えた「エンデバー」は9月19日、その作業が完了し、ケネディ宇宙センター(フロリダ州)からカリフォルニアへ空輸する作業が始まった。 エンデバーをボーイング747の上に載せる「ピギー・バックライド」と呼ばれる輸送方法を使い、東海岸から西海岸へアメリカ大陸を横断する。この方法に驚く人は多いが、シャトル計画が始まった1970年代から実施されている。専用の747が2機あり、そのうちの1機はもともとJAL(日本航空)で使われていたということは、知る人ぞ知る事実だ。ともかく、この空輸が行われるのは今回のエンデバーの旅で最後となる。 同日、エンデバーがテキサス州ヒューストンの上空を通過す
「君の瞳に乾杯!」と言わずにはいられない。視力は失ってしまったものの、その瞳の中に星がきらめく宇宙を宿したフクロウがいる。このニシアメリカオオコノハズクは、ある朝、アメリカ、南カリフォルニアにある民家の前で傷つき倒れていたところを発見された。 幸いにもカリフォルニア州シルマーにあるワイルドライフ・ラーニング・センターで保護され、その潤んだ輝く瞳の素晴らしさから、ギリシャ神話の空と雷を司るゼウスの名が与えられたそうだ。 こちらが瞳に宇宙を宿したフクロウ、ゼウス氏である。盲目だが、瞳にはキラキラ輝くお星様がちりばめられている。めでたくカリフォルニア州シルマーにあるワイルドライフ・ラーニング・センターに新たな安住の地を見つけることができた。 この画像を大きなサイズで見る ゼウス氏は、目が見えない為、飛行中に住宅の壁に頭から激突したようで、ワイルドライフ・センター付近に住む住人の玄関先で衰弱して倒
【画像】9.11アメリカ同時多発テロ翌日のアメリカの新聞を淡々とアップする Tweet 1: 名無しさん@おーぷん 2014/09/24(水)21:30:20 ID:Q38sjC1c1 ってスレ建てたいんだけど、ここでいいのかな? 別の場所or本家の方がいいんだろうか。 2: うんこ大好き◆0iGGAP.PW6 2014/09/24(水)21:30:32 ID:Qua1JGasK ここでいい 3: 1 2014/09/24(水)21:30:57 ID:Q38sjC1c1 写真はもう撮ってある。 4: うんこ大好き◆0iGGAP.PW6 2014/09/24(水)21:31:09 ID:Qua1JGasK みたいみたい 5: 名無しさん@おーぷん 2014/09/24(水)21:34:32 ID:6jJWXC2jX (よく考えたらアメリカの新聞てことは英語なのかな…?) 6: 1 2014/
【画像あり】豪華客船での1日を紹介しようと思う Tweet 1:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/08/15(金) 07:42:57.60 ID:BGw2s6We0.net 書きだめはないからのんびり書く 2:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/08/15(金) 07:43:13.42 ID:ovQp5+i+0.net どうぞ 5:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/08/15(金) 07:46:04.78 ID:BGw2s6We0.net 豪華客船の朝は早い 時差ボケのせいで、俺は毎日朝の五時には起きていた 1日の始まりは一杯のコーヒーから始まる 船上では、基本的にコーヒーは飲み放題だ たとえ夜の3時でも、コーヒーがなくなれば船員が補充してくれる ただ、その中身は薄い薄いアメリカンコーヒーだが 6:以下、\(^o^)/でVIPがお送
photo by archer10 (Dennis) アメリカなどの経済制裁によって、VISAカードとMasterCardが使えなくなってしまったロシア。 アメリカの経済制裁を受け、ロシアでVISAカードとMasterCardがほぼ利用不可に! 経済制裁によりVISAカード等が使えなくなったロシアで、プーチン大統領がJCBカードを絶賛! その制裁の隙を狙って、どうやら日本のJCBカードがロシア進出を果たそうと動き出しているようです(『ロシアの声』というロシアのラジオ局サイトによる報道)。 JCBカード 制裁をかいくぐり中国に続いてロシアに進出 そうした中、日本のクレジットカードの草分け的存在、JCBも、ロシア市場への進出を開始した。今年末までに、ロシアのビンバンク、ガスプロムバンク、プロムスヴャジバンクがJCBカードの取り扱いを開始する可能性がある。 なお2つの大手金融機関、VTB(対外貿
「ウォーリーを探せ」と言えば、イギリス人イラストレーターのマーティン・ハンドフォードによる絵本で、ひしめく群衆の中から主人公であるウォーリーを探すというゲームブック的な要素を組み込んだことで日本でも大いに話題となりました。実はこのウォーリーをめぐるコスプレ戦争がアメリカとイギリスの間で勃発しており、その戦いは年を追うごとに激化しています。 始まりは2008年12月10日。アメリカのウィスコンシン州で577人がウォーリーの格好をして集まり、ギネス公式記録となりました。続く2009年、再びアメリカで、今度はニュージャージー州のラドガーズ大学がウォーリーを集めて記録を破るイベントを企画し、1052人が集結。2010年には、これまでアメリカの後塵を拝していた本国イギリスがついに決起、1505人のウォーリーを集めて記録を奪取します。そして今年、さらにアメリカを引き離すべく、アイルランドの首都、雨のダ
2014年07月06日 08:38 話題 コメント( 120 ) 【画像】アメリカでは日本産の葛が増殖しすぎて悲惨な事になってるらしい Tweet 1: テキサスクローバーホールド(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/:2014/07/05(土) 23:09:01.75 ID:uf29yKOA0 BE:322383115-2BP(1000) 4: ラ ケブラーダ(北海道)@\(^o^)/:2014/07/05(土) 23:11:17.22 ID:x1FV+g5t0 くずって言うの? かずらって言うの? 13: パイルドライバー(京都府)@\(^o^)/:2014/07/05(土) 23:13:59.71 ID:y9wF6pWg0 >>4 KUDZUて書いてあるよ。 6: スリーパーホールド(兵庫県)@\(^o^)/:2014/07/05(土) 23:11:45.41 ID:nD9PDA7s
2014年05月19日20:00 【画像】100年前のアメリカの都市やばすぎワロタwwwwwwwww Tweet 1: スターダストプレス(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/:2014/05/18(日) 22:58:10.37 ID:O/Ff/Ftr0.net 転載元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1400421490/ 伊能忠敬以前の日本地図の原図 見つかる http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4674278.html 1908年 N.Y. 1913年 N.Y. 1906年 ボストン 1907年 シカゴ 1900年 デトロイト 1907年 アトランタ 1900年 フィラデルフィア その頃の日本(銀座)は http://shobony.com/archives/5237 4: ニールキッ
1945年、第二次大戦の終結とともに日本は降伏した。米軍率いる連合軍が国土を占領し、日本の社会はすべてにおいて劇的に変化した。日本は非武装化・解体され、経済や教育システムもたて直された。広島・長崎への原爆投下や、おびただしい数の空襲による破壊から立ち直るのに長年かかったが、1950年代までに、日本は戦時中の敵だった西側の同盟国となった。そしてアメリカ文化の一部が、日本の風景の一部となり、日本は家電メーカーとしての経済的基盤を見出し始めた。 海外サイトが特集した、1950年代の日本がわかる写真を見ていくことにしよう。 ■1. 1958年10月30日、日米で大流行したフラフープブームにのる、浴衣姿の若い日本女性。 この画像を大きなサイズで見る ■2. 1950年4月26日、戦争捕虜になっていた帰還兵たちを出迎える女性たち。元兵士たちは、抑留中に亡くなった戦友の遺灰を胸に抱えている。 この画像を
「NASA・ゴダード宇宙飛行センター」の Flickr ページで映画「ゼロ・グラビティ(原題:Gravity)」をなぞって集められた31枚の写真シリーズ「Gravity」が集められました。国際宇宙ステーション(ISS)やスペースシャトル、そして宇宙飛行士たちによる宇宙遊泳など本物の宇宙で撮影された迫力満点の写真です。 1. 地球と太陽 2. 宇宙遊泳 3. オーストラリアの夜 4. 宇宙から地球を写真撮影中 5. 壮大な夕日 6. 地平線 7. 地球と月 8. 地球の表面を覆うオーロラ 9. 宇宙ステーションを修正中 10. スペイン・バルセロナの光 11. スペースシャトル・ミッション「STS-103」の写真 12. 地球とスペースシャトル「アトランティス号」 13. 大西洋上(ブラジル付近)の嵐雲 14. 宇宙遊泳中のジョン・グランズフェルド宇宙飛行士 15. 国際宇宙ステーション。2
10年前、アメリカのモンタナ州出身のCasey Andersonさんは、ある二頭の小熊に出会いました。この小熊たちは、モンタナ州の熊収容所で産まれ、小屋の中での生活を余儀なくされていました。そんなCaseyさん、この二頭を養子にもらうことを決心したのです。 悲しい事に二匹のうちの一匹は赤ちゃんのうちに亡くなってしまいましたが、生き延びたもう一匹はBrutusと名付けられ、今まで育てられてきました。 これがまだ小熊だったときのBrutusとCaseyさん。小熊…? もう大型犬よりも大きくなっていますね。さて、そんなBrutusは10年経った今どんなかんじなっているのでしょうか。 結果は… こんなかんじです。 デカい! なんだこれ! 体重なんと360キロ! サイズのちがいもおかまいなし。ふたりでジャクジーに入りながら一杯飲んでます。ここで見る写真、加工してあんじゃないの〜なんて思いますよね。加
賞の審査基準は、「卓越した」ものであること。ジャーナリズム部門の場合、「アメリカの新聞」に乗ることが条件となっている。 10.ベトコンを引きずるアメリカ軍 (邦題「泥まみれの死」) 沢田教一/1966年8月19日 ロン・タンの戦いの余波を受けた南ベトナムで撮影された写真。オーストラリア軍に夜襲をかけたベトコンが撃退された時のもので、写真内で引きずられている兵士はその犠牲者の一人。この写真が伝えるのは、あまりに長い期間を交戦地帯で過ごした人々の大部分にみられる、残虐行為に対する冷淡さだ。この写真の公開は、主戦論者が多かった欧米の感情と意欲を吹き飛ばす、意義深いものだった。 9.孤独な2人 ポール・ヴァシス/1962年 ジョン・F・ケネディ大統領とドワイト・D・アイゼンハワー前大統領が冬のキャンプ・デービット内を並んで散策している。ケネディはピッグス湾事件での不手際についてアイゼンハワーの考え
今年に入り、アメリカでは米中西部から北東・南東部などにかけ26州で記録的な大寒波に見舞われ、中西部では最低気温がマイナス38度まで冷え込み、体感温度がマイナス45〜50度となった。 そんな大寒波が襲来した地域から撮影した写真は、見ているだけで凍りつきそうなほどにカチンコチン感があふれている。 広告 元々アメリカの北部、北東部は寒いことで知られており、シカゴなどではマイナス20度を超えると、外出を控えるように注意報がでるのだが、今回は5分以上外に出るなという厳戒警報もでている。私もシカゴにいたときには、車のバッテリー液が凍るという初体験をしたわけだが、まずはシカゴ(イリノイ州)の様子から見てみることにしよう。 米イリノイ州、シカゴ どっかで見たことある光景だと思ったら、映画、「デイ・アフター・トゥモロー」だ。これはちょっと怖いかも。 ちなみにこの大寒波の原因は「極渦(きょくうず・ポーラーボル
ジェシカさんには3人の子どもがいて、昨年のクリスマスプレゼントのリクエストは「子犬」だった。 だがその時はニューヨークのペットが禁止されているアパートに住んでいた為に、子どもたちの願いをかなえてやることができなかったという。 念願かなって引っ越しをし、子どもたちをつれて動物保護施設に犬を引き取りにいくことになった。そこで出会ったのが当時まだ生後7週間だったテオ。 テオはジェシカさんの一番下の息子ボーの回りをピョンピョンと飛び跳ねていたという。運命的な出会いを果たしたボーとテオ。テオはシバさん一家の家族として迎えられることとなった。 シバさん一家に迎え入れられて3日目、ジェシカさんはそのほほえましい姿に目を奪われた。息子のボーのお昼寝中、テオがぴったり寄り添い一緒にお昼寝をしていたのだ。 この画像を大きなサイズで見るimage credit:mommasgonecity/Instagram
これがアメリカ人か…気温がマイナス40度からマイナス19度に上がったときのリアクション 北米では、氷点下40度を記録したところもあるなど数十年ぶりの大寒波にみまわれ、至る所で凍り付いた画像が出回っています。 気温の寒暖差も激しいようで、ミネソタ州では1日で−40度から−19度に上昇したとのことです。 そのときの現地の人のリアクションとして投稿された写真が、大きな注目を浴びていたのでご紹介します。 「めちゃくちゃ気温が上がったー」 いやいや20度も上がったといっても、元がマイナス40度ならば、まだマイナス19度なわけで、とんでもない極寒だよ! しかも扇風機まで出してるし…… 服着てください。写真を撮るためだけに無茶しすぎです。 この頑張りに、海外掲示板にはいろいろコメントが出ていました。 ●靴は履かなくちゃ、さすがに地面に凍り付いちゃうものね。 ●きっと座っていた時間はあと数秒。 ●↑右の男
人間まだまだ捨てたもんじゃない。いたるところで小さな愛がフワフワとその暖かさを運んできてくれている。ほんの一人のとても小さな思いやりが、全ての人の心の底にある眠っていた人間本来の持つやさしさに水を与え、やがては芽が出て、花が咲き、地球全土を包み込んでいってくれるのかもしれない。2012年、人の心に灯がついたその瞬間を振り返ってみることにしよう。 1.息子の車椅子を最高のハロウィンコスチュームに仕上げた両親 この画像を大きなサイズで見る 2.死期が間近に迫った男性に見知らぬ人から大量の手紙が届く この画像を大きなサイズで見る スコット・ウィダックはダウン症で肝臓病を患っている。悲しいことに死期も迫ってきているという。そんな彼の唯一の楽しみは、手紙を受け取るのことだ。彼の甥、ショーンは彼の私書箱の宛先をソーシャルニュースサイトに投稿したところ、そのサイトを見たユーザーから何百もの手紙、小包、そ
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