政治が、カール・シュミットが言うように、常に友―敵関係として現れるものだとすれば、党派的忠誠心こそ政治の主たる美徳ということになろう。もしそうであれば、妥協というものはせいぜいマヌーヴァによって相手を出し抜く技に過ぎないか、自己の価値理念を自ら裏切るものでしかない事になろう。これがすべての原理主義的思考の行き着く果てである。 このような目的設定と政治的主体の同一性とは相即的であり得る。つまり、政治的活動においては、個々人に利益最大化という原理を仮定して、そこから全体の動向を構成し分析するという意味での方法的個人主義や、個人的動機への還元主義が必ずしも妥当しない。というのは、取り得る戦略と独立して、初めに所与として与えられている個々人の欲求など決まっていないし、それらの戦略を個々人の欲求・志向に還元できるわけでもないからである。 ペルシア戦争を例に見てみよう。強大なペルシアがギリシアに迫って