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ブックマーク / diary.lylyco.com (5)

  • コミュニケーション不全者の欲情の表明が少女を不快にする|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    これはふたりの「関係性」の物語である。 ・誰がための「オシャレな女」なのか? - 倒錯委員長の活動日誌 リンク先タイトルの疑問に、普遍的な答えはない。異性を欲情させるためのオシャレもあれば、同性同士の闘いのためのオシャレもあり、自らの立ち位置を表明するためのオシャレや、趣味としてのオシャレや、商売道具としてのオシャレや、表現としてのオシャレなんかもあるだろう。これらすべてを「自己実現」のひと言で片付けることもできる。当然、大好きなあの人に愛されることこそが「自己実現」だ、という人がいてもいいし、そのためにオシャレをするというのも悪いことではない。「女の価値」を売りにするためのオシャレだけを、ことさら別立てにする理由もない。 それを「女の価値」だけが「自己実現」とは別の何かであると考えるのは、そう考える主体の問題である。要するに、リンク先のブログ主は「女の価値」に(少なくとも他の可能性を捨象

  • 30代を発狂せずに愉しむための2つの心がけ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    30歳を超えても、困ったことに、大抵の人は発狂しない。 それは、まだまだ人生から降りられないことを意味する。そこの10代も20代もみんな、残念ながら素面で30代を迎える。何者でもない自分をひしひしと感じ、当の自分なんてないことにも疾うに気づき、そもそも人の一生にさしたる意味なんてないんだと知って、それでも何となく正気で生きていく。そういうものだ。そもそも30代を恐れる若者たちは、そんなに充実した満足のいく10代や20代を送ってきたんだろうか。否。振り返ってみれば大したことのない人生だったはずである。30歳になって失くすような重大な幸福なんてひとつもない。ならば、これからを愉しく生きなきゃ損である。 ----- 01:飽きたことに固執しない 人間30歳にもなれば、20代までにやった大抵のことに飽きてくる。あれほどワクワクしたゲームたちが色褪せて見え、テレビを視るのも2ちゃんねるに書き込むの

  • ネットサヨクの言葉が虚しく響くとき|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ネットサヨクについて狭い観測範囲ながら、常々感じていることを書いておく。 ぼくは26歳までフリーターで、さしたる夢も自信もなく、といって将来のための努力もせず、渋々重い腰をあげて運良く採用された会社に入り、幸運を自覚しながらもその会社のありようが性に合わず2年で退職し、知人のツテで一時アルバイトに返り咲き、今は細々とサラリーマンをしている。い詰めるほどの薄給ではないけれど、それはただワープアではないという程度に恵まれているにすぎない。少し前の流行言葉でいえば負け組というやつだろうし、格差社会の下半分に含まれていることは疑いようもない。ネットサヨクというのは、来そういう人の味方なんだろうと思う。 彼らはインテリだ。書かれる文章は大抵小難しい。背景を知らないと正しく読めない主張や、学術的な思考力を要求する議論も少なくない。そして自らの言葉を解さず、誤読する人たちを冷笑的に、或いは、痛烈に罵

  • セックスと嘘とインターネット|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ことが済んだ後、ぼくは決して煙草を吸わない。 最初のひとが君で良かった。つい、口をついて出てしまった、そんな間合いで、ボソリと呟く。嘘だ。彼女との行為に特別なものは感じなかったし、そもそも初めてではなかった。ぼくは、自分が初心に見えるらしいことを知っている。どうせ初めてであれ十人目であれ、妙なことさえしなければ分かりはしないのだ。初めてなの?…問われれば、ただ頷いてみせる。それだけでいい。それだけで彼女は《初めての女》になる。それが彼女の何を満たすのかは知らない。興味もない。初めてのぼくは、ほとんど彼女に奉仕しない。申し訳程度に乳房を口に含むくらいのことしかしない。 ずっとこうしていられるといいね。口調に僅かな感情を、慎重に、慎重に、乗せる。嘘だ。夜が明けて、新しい一日が始まったなら、ぼくはもう別のひとを探したいと思う。彼女の感情が許すなら、今すぐにでも。初めてだったらしい彼女は当然とても

  • 未経験は経験によってしか癒されないという身も蓋もない現実|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    非モテ、キモメンの呪縛というのはときに悲劇的だ。 ・「彼女がいない、この一点で人生崩壊」 秋葉原殺人犯の孤独と苦痛 | エキサイトニュース ・痛いニュース(ノ∀`):【秋葉原通り魔】 「アニメなど2次元世界にしか興味がない」 加藤容疑者の素顔 …カラオケではアニソン、部屋には同人誌 引用されている携帯サイトの書き込みが事実人のものだとすると、「アニメなど2次元世界にしか興味がない」という台詞は強がりか婉曲表現の類だということになる。或いは、「(モテないし友達もいないから)アニメなど2次元世界にしか愉しみを見い出せない」という心を誤魔化して見せたのかもしれない。証言した同僚氏が違ったニュアンスの言葉を勝手に曲解したか、取材した記者氏が印象操作を試みたのでない限り、件の犯人は周囲に公言していたほどに、2次元愛を実践できてはいなかったということになる。むしろ、強くリア充を求めていたようにしか

    bhikkhu
    bhikkhu 2008/06/11
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