タグ

ブックマーク / stanza-citta.com (16)

  • いろいろクドい話 » ソ連陸軍が到達した唯一の正解

    数あるドイツ軍礼賛戦記の中に確立しつつある「末期戦モノ」とでも言うべきジャンルでは必ず「○○攻勢に赤軍は野砲何千何百門、戦車何千何百輌を集結し」とうたい上げて敵の物量を強調するのが約束事です。この数字の読み上げは「精強を誇るドイツ機甲部隊であっても赤軍の膨大な物量の前に敗北は必至だった」と悲壮な雰囲気を盛り上げる道具ですから、太平記の語り口みたいなものです。 こうした太平記方式では「大砲が沢山あるなぁ」とは思えてもなぜ、何のためにそんなに大砲があるのかが解りません。膨大な物量を誇りながら、ちっとも豊かなイメージの無い世界史の奇跡のような存在のソ連軍がなけなしのリソースをどうしてこんなに注ぎ込んだのか疑問に思わない書き手も書き手、読み手も読み手です。 ドイツ軍の現状がどうであれ、ソ連軍が攻勢のために準備した砲兵火力は何処の何と比べて多いのか少ないのか、多くても少なくてもその理由や目的が解らな

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 1 (冷戦初期のアメリカ戦争計画)

    第二次世界大戦の戦いは多くの出版物のお蔭でその概要が誰にでもつかみやすく、しかも実際に戦われた最後の大戦争ですから読んで面白く考えて楽しく、しかも害が少なく趣味の対象として絶好の存在です。 一方で枢軸国の無条件降伏によって戦争が終わり、その直後から始まった米ソの対立=冷戦は正面切った戦争が戦われなかったこともあって「いったいどんな戦争をしようと考えていたのか」具体的にイメージしづらい傾向にあります。 しかも冷戦期は核兵器開発の全盛期とも重なりますから何につけても核兵器、核戦争の強烈な印象が先に立ち、戦争をすれば核戦争になり全ては終わりで考える価値もないように思えますし、核兵器のお蔭で戦争というものがまったく姿を変えてしまい、戦術理論も何もかも昔の理屈は通用しないような気もします。そして個々の兵器もまたそれまでとは機能も存在意義も変わってしまったような感覚があります。例えば三号戦車と現代のM

  • いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 2 (理論のみがあった間接射撃)

    間接射撃とは敵が見渡せる位置からの情報を得て、直接に敵を狙えない位置にある砲兵が砲撃を行うことです。砲兵から見えない目標を、敵から見えない砲兵が射撃するのですから、これは画期的な戦術で、大砲の歴史が始まって以来の大きな変革です。その歴史は古く、1750年代には既にロシア軍で間接射撃の実績があります。 間接射撃の良いところは、前方の観測員からの情報で射撃することで、精度を維持しながら射撃距離を大きく取ることができ、敵から見えない位置に砲兵を配置できる点です。距離を大きく取ることができればより多くの砲を目標に指向できます。敵から見えないように配置されれば反撃されて損害が出ることもありません。実に良いことずくめの戦術ですが、第一次世界大戦まで間接射撃は多用されることなく、野戦砲兵は近距離肉迫直接射撃を主戦術に据え続けています。 その理由は大きく分けて二つあります。一つは機材と技術の問題です。間接

  • いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 39 (第二次世界大戦のまとめ)

    かなり間隔が開いてしまいましたので、ここで第二次世界大戦中のお話をいったんまとめてみます。もう一年近くも砲兵の話ばかり続けていますので読む方も書く方もいい加減くたびれて来たような気がしますが、どうかお付き合いください。 第二次世界大戦開戦前とその末期では陸戦に対する考え方が大きく変わっています。 開戦前と開戦からしばらくの間は戦間期に発展した機動戦理論によって機動力の優越は火力の優越よりも重視されていました。そこには機械化部隊の迅速な突破とその衝撃力は敵の火力発揮を妨げ指揮統制を麻痺させることができると、あまり根拠の無い考え方が背景として存在しました。そして「二度と第一次世界大戦のような膠着状態を出現させたくない」という願望がそれを支えていました。 ところが敵の機動戦を押し止め、押し返すには火力の集中が最も効果的であることがじきに判明します。エルアラメインやモスクワ前面でそれが立証されると

  • いろいろクドい話 » アメリカ戦艦の辿った道 9(戦艦部隊の黄昏)

    アメリカ海軍の中で太平洋戦争中も戦艦の地位は揺るがなかった」と唐突に言われても、そうそう素直に頷けません。開戦以来、真珠湾では航空攻撃で太平洋艦隊の主力戦艦が壊滅的な損害を受け、マレー沖ではイギリス海軍の誇る新戦艦と高速巡洋戦艦が陸上攻撃機によって撃沈されるなど、戦艦の地位はガタガタに低下したはずですし、それが証拠に戦争後期のアメリカ戦艦は水陸両用部隊の上陸を支援する巨大な砲台としての役割を担うか、速力で空母に追随できる新戦艦は空母の護衛として強力な対空砲火で日陸海軍機の攻撃を撥ね退ける防空艦として活躍したのですから、どう考えても戦艦のステイタスは戦前とは180度異なる、空母と地位を逆転した存在に変容していたはずです。 戦史に記録された戦艦の戦術的な効果は確かにその通りで、そのような防空艦や陸上砲撃用の砲台としての役割で実績を残していますが、それらの戦術的な結果を戦艦そのものの存在意義

  • いろいろクドい話 » アメリカ戦艦の辿った道 番外編2(割を喰う空母建造)

    第二次世界大戦で世界最大の海軍国となったアメリカは当然のことながら空母大国でもあります。アメリカの航空母艦といえば桁外れな搭載機数を誇り、強靭かつ合理的で非の打ち所の無い存在と評される反面、ファンにとっては軍艦としての魅力に欠ける部分があるようです。「赤城」の複雑な艦容や「ヴィクトリアス」の精悍さに比べると「エセックス」のような優等生はつまらない、ということかもしれません。 けれども実用性を重視した合理的な航空母艦の手のように扱われるアメリカ空母はアメリカ海軍航空隊にとってみれば理想的とは言い難い建造経緯を持っています 。今回は「ラングレー」から「ミッドウェー」までアメリカ海軍航空隊が満足するような航空母艦が与えられたことは一度も無かった、というお話です。 最初の実験艦「ラングレー」と巡洋戦艦改造の「レキシントン」「サラトガ」はともかくとして航空母艦としてまともな検討プロセスを経て建造さ

  • いろいろクドい話 » アメリカ戦艦の辿った道 7 (日本海軍の反応)

  • いろいろクドい話 » ルフトハンザの果たした役割

    ヴェルサイユ条約下のドイツでは空軍が存在しなかったことになっています。けれどもドイツの航空部隊はゼークトの指導の下に様々な形に姿を変えて存続しようと試みます。ドクトリン策定は前対戦の戦訓研究によって進めることができたものの、軍用機の乗員は常に若い世代を訓練し続けなければ維持できません。だからといって民間のスポーツ航空をいかに奨励しても軍事航空の世界で要求されるスキルは到底維持できませんから、もっと格的な航空に関する諸技術を組織的に温存発展させなければならず、スポーツ航空よりも大きな規模で、しかも最新鋭の機材で訓練しなければ空軍は維持できないのです。そのために設立された組織が有名なルフトハンザです。 1920年代から1930年代にかけてのヨーロッパで旅客機を運用していた二大国は前大戦同様、フランスとドイツですが、古き良き時代の華やかな雰囲気に包まれてはいるもののフランスの国際航空旅客ビジネ

  • いろいろクドい話 » 爆撃作戦としての「ゲルニカ」

    世の中、天才画家といえばピカソ、ピカソといえば「ゲルニカ」。「ゲルニカ」といえば無差別戦略爆撃です。今回はゲルニカについての無駄話をしたいと思います。 コンドル軍団のユンカース爆撃機が人口約5000人のスペイン田舎町ゲルニカを絨毯爆撃して住民1654人を殺し、889人を負傷させた爆撃作戦として悪名高きゲルニカ爆撃です。このような一般市民を対象としたテロ爆撃がやがて第二次世界大戦中の大規模無差別爆撃や原子爆弾投下にエスカレートして行ったのだとも言われます。なんだか悪の原点みたいな雰囲気です。 けれどもスペイン内戦の航空戦全般から眺めるゲルニカ爆撃は別の顔を持っています。今まで繰り返し紹介して来ましたが、1920年代から1930年代は戦略爆撃理論が最も力を持った時代です。イギリスやアメリカといった大国だけでなくポーランドのような小国空軍でさえ戦略爆撃を重視したこの時代に発生した航空戦に戦略爆

  • いろいろクドい話 » 政治的に正しい爆撃作戦

    1938年9月にイギリス空軍の爆撃作戦計画はもう一度大きく変更されます。ご存知の通りチェコを巡る危機に対応したものです。ここでイギリス、フランス両国が対ドイツ宥和政策を選んだ理由はいろいろ説明されて来ましたが、1935年に再軍備を宣言したドイツと同様に、ドイツの再軍備に至る情勢を見てからイギリス、フランスの再軍備が始まったのですから、その進捗状況は実際に戦争を行うには程遠い状況だったことはここで紹介した通りです。 再軍備が完了するまで戦争を先延ばししなければならないけれども、もし、仮に戦争が勃発してしまったら、前大戦のような後戻りのできない血まみれの戦いにならないように制限された戦争に留め、自国の軍備充実まで格的戦争へ発展させないよう、そしてもし望めるならドイツの翻意を促そうという目的の「爆撃作戦」が研究されます。 こうした枠組みの煮え切らない戦争を戦うための爆撃作戦で重視されたのが、敵

  • いろいろクドい話 » 金の切れ目のポーランド

    bhikkhu
    bhikkhu 2008/10/19
    お金は大事だよー
  • いろいろクドい話 » 英空軍が夜間爆撃に転じた理由

  • いろいろクドい話 » 格闘戦を想定しなかったスピットファイア

  • いろいろクドい話 » 大陸間爆撃機はなぜ発注されたか?

    いよいよ超大型爆撃機B-36が出てくるところまでたどり着きました。アメリカがどんな形で第二次世界大戦を戦おうとしていたかという問題と長距離爆撃機の開発は表裏一体、切り離せないものがあります。ここまで読み進まれて「英国の敗北を予測してB-36を開発・・・」といった話を信用する方はもはやいらっしゃらないとは思いますが、御用と御急ぎでない方はどうぞお付き合いください。 1938年はアメリカの航空戦略が攻勢的色彩を一気に強めた大きな転換点でした。この時に登場した「レインボー5」と呼ばれるアメリカ戦争計画はそれまでのやや観念的な想定と異なり、アメリカが西半球防衛を確立した上でイギリス、フランスと協調してドイツ、イタリアとの戦争を戦うことを明確にしたもので、目的のはっきりした具体的な戦争計画です。この計画はフランスの崩壊と日の枢軸側への参入を機に改正拡張され、さらに1941年1月のアメリカ・イギリ

  • いろいろクドい話 » 米英戦略爆撃に思想の差があるか?

  • いろいろクドい話 » 護衛戦闘機は役に立ったか?

    ドイツ土爆撃と護衛戦闘機について、一般的な認識は「爆撃作戦開始時にドイツ土へ侵攻する爆撃機を護衛できる行動半径の大きな戦闘機が無く、最初はイギリス空軍のスピットファイアがやっと大陸の入り口までを護衛できる状態だったが、その後、P-47やP-38といった行動半径の大きい戦闘機が投入されて段々と奥地まで護衛できるようになり、最終的にはP-51マスタングの投入によって爆撃の全行程を戦闘機が護衛できるようになった。」というものではないかと思います。時を追って事実を並べると確かにそんな印象を受けますが、実際に爆撃作戦を行っていた航空部隊が同じように考えていたかというと、実はそうでもありません。 軍隊は原則的にそのドクトリンに従って行動します。アメリカの爆撃機部隊も例外ではありません。アメリカが参戦前に策定したAWPD-1に沿って軍備が進められ、参戦後ほぼ1年経過して承認されたAWPD-1942で

  • 1