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historyとartに関するbhikkhuのブックマーク (16)

  • 約2000年前のヘラクレス像発見 ギリシャ

    ギリシャ北東部の古代都市ピリッポイで、考古学者たちが1800年以上前に作られた古典的な彫像の一部を発見した。 ギリシャの文化・スポーツ省の声明によると、考古学者たちが発掘したのは、2世紀のローマ時代に作られた、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスの彫像だという。 ギリシャ・テッサロニキにあるアリストテレス大学の研究チームは、同市内のメインストリートのひとつで集中的に発掘を行い、9月半ばに作業を終了した。 文化・スポーツ省によると、この発掘で、ヘラクレス像とは別に、凝った装飾が施された構造体も発見された。この構造体は噴水で、ヘラクレスの像はその装飾として設置されたと見られている。 考古学者たちは、この構造体は8~9世紀に作られたと見ている。文化・スポーツ省の声明の説明によると、ビザンツ帝国時代後期までのローマ帝国時代、コンスタンティノープル(現トルコ・イスタンブール)では彫像が建物や公共スペースの装

    約2000年前のヘラクレス像発見 ギリシャ
  • 柳宗悦の辛辣な「お叱り」と、事なかれ主義トート|塩谷舞(mai shiotani)

    先日、国立近代美術館で絶賛開催中である『民藝の100年』に行ってきたのだけれども、書きたいことがありすぎたので忘れないうちに書いておきたい。 1988年10月生まれの自分にとって、民藝活動の中心人物であった1889年3月生まれの柳宗悦はちょうど100学年違い……という雲の彼方の存在なのに、彼らの蒐集品や活動記録を鑑賞するのはまるで今日買ってきた雑誌を読むくらいに身近で素敵。故に展覧会を鑑賞するというよりも、屋でずーーーっと雑誌の立ち読みをしているような感覚になって、結果4時間もへばり付いていた。 (再入場禁止ゆえ、途中トイレに出ることが許されないのが大問題。小洒落た来場者の多くは間違いなく、膀胱との闘いに挑んでおります!) あぁ、この燭台が欲しいな……とか、この李朝膳は私の欲しいやつと少し形が違うな……とか、今日の自分の暮らしとそれは地続きにあって、すごく楽しいし、使える。 で、使えるか

    柳宗悦の辛辣な「お叱り」と、事なかれ主義トート|塩谷舞(mai shiotani)
  • https://twitter.com/LfXAMDg4PE50i9e/status/1462621073912913922

    https://twitter.com/LfXAMDg4PE50i9e/status/1462621073912913922
    bhikkhu
    bhikkhu 2021/11/23
    やや時代推定に幅があるけどローマ帝国最盛期かな?このクオリティの文明が一回滅びるんだからホモサピは諸行無常やな。
  • 江戸時代のローマ教皇への書簡 高度な技術で有力者の署名 | NHKニュース

    江戸時代、幕府によって信仰が禁じられる中、キリスト教の信徒が、ひそかにローマ教皇に送った書簡を、日の研究チームが初めて現地で調べた結果、一部の書簡では最高級の和紙に高度な技術で文字がしたためられていることや、武士や商人など京都を中心とした地域の有力者と見られる署名が記されていたことが確認されました。専門家は、幕府の厳しい弾圧の中でも信徒たちが信仰を続けていたことを示す貴重な資料だとしています。 調査は、ローマ教皇庁があるバチカンに保存されている日に関する資料を調べようと、日のキリスト教史の研究者などでつくるチームが、去年1月に許可を得て初めて現地で行ったものです。 この中で、江戸幕府によってキリスト教が禁じられる中、日各地で隠れて信仰を続けていた信徒たちが1620年代に当時のローマ教皇からのメッセージのお礼として、感謝の言葉をしたためて送った「奉答書」と呼ばれる5通の書簡を、顕微鏡

    江戸時代のローマ教皇への書簡 高度な技術で有力者の署名 | NHKニュース
  • アッツ島玉砕 Final Fighting on Attu 藤田嗣治

    作品解説 1943年5月の北太平洋アリューシャン列島アッツ島における戦闘を描いた作品です。1910年代から20年代にかけてパリで一躍画壇の寵児となった藤田ですが、時代がとともに、1938年には従軍画家として日中戦争下の中国へ、さらに1940年にはパリがドイツに占領される直前にパリを離れ、日に帰国を余儀なくされました。日では陸軍美術協会理事長に就任し、陸海軍の依頼を受けて作戦記録画を制作することとなります。しかし皮肉なことにその作戦記録画の制作がもとで、藤田は終戦後にまた日を離れ、生涯日に戻らないことになるのです。この「アッツ島玉砕」は、写真と想像力を頼りに藤田の思想を込めて表現したもので、軍部の求める一般的な戦争画の枠に収まらない作品に仕上がっています。三角形構図を組み合わせ、画面一杯の兵士で埋め尽くされた全景は、1920年代後半以降藤田が追求してきた大画面の群像表現のひとつの到達

    アッツ島玉砕 Final Fighting on Attu 藤田嗣治
  • 文化財にでかでかとハンコを押しまくる乾隆帝

    特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」 東京都上野の東京国立博物館において 特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」が 2019年1月16日(水)から2月24日(日)まで開催中です! https://ganshinkei.jp/

    文化財にでかでかとハンコを押しまくる乾隆帝
  • 「最もわいせつ」な絵画、ついにモデル判明 クールベ作「世界の起源」 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

    仏画家ギュスターブ・クールベの作品「世界の起源」を基にしたドローイング(2013年2月7日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / PATRICK KOVARIK 【9月26日 AFP】美術史上、最大級の謎がついに解き明かされたようだ。フランスの写実主義の画家ギュスターブ・クールベ(Gustave Courbet)が1866年に制作した「世界の起源(The Origin of the World)」。女性の下腹部を描いたこの作品は19世紀で最もわいせつな絵画ともいわれるが、このほど専門家によってモデルの身元がほぼ確実に特定された。 研究者たちは長年にわたり、モデルはクールベの愛人だったアイルランド人モデル、ジョアンナ・ヒファーナン(Joanna Hiffernan)だと考えてきた。ヒファーナンはクールベの友人の米国人画家ジェームズ・ホイッスラー(James Whistler)とも恋愛

    「最もわいせつ」な絵画、ついにモデル判明 クールベ作「世界の起源」 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
  • 謎の牙彫師、素性判明 明治の「超絶技巧」安藤緑山:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

    「超絶技巧」と称され、ブームとなっている明治期の工芸作家の代表格でありながら、その素性が謎に包まれていた彫刻師・安藤緑山(りょくざん)の名や生没年、肖像などが初めて明らかになった。緑山の作品が並ぶ巡回展をきっかけに、親族が「知っていることをお伝えしたい」と名乗り出た。 緑山は、物そっくりに着色を施した象牙の彫刻で知られる。主に明治末期から昭和初期にかけて活躍した。皮の毛羽(けば)立ったタケノコや、表面のトゲが粒々と立ったキュウリなどを細部までほぼ実物大で再現。思わず目を見張る表現力で、近年、急速に人気が高まっている。 現存する作品は、国内外に八十点ほど確認されているが、作者のプロフィルや、着色などの技法は不明のまま。当時の工芸が「輸出向けの商品」とみられがちだったこともあり、現代の研究者の間でもほとんど分かっていなかった。展示を企画した三井記念美術館(東京・日橋)の主任学芸員・小林祐

    謎の牙彫師、素性判明 明治の「超絶技巧」安藤緑山:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)
  • 江戸時代の春画に"寝取られBLを妄想しつつ猫とうたた寝をする女性"というものがあった

    くまねこ @kuma_neko_ 葛飾北斎の春画ヤベェという方をTLで散見しますが、北斎以外にも「商人の若夫婦が追い剥ぎに襲われ"服を脱げ"と脅され、嫁が帯を外そうとしたら"男の方だ!"とまさかの若旦那を指名、自身もふんどし姿になる追い剥ぎ、という夢を見る女性に餌をねだる」という高レベルすぎる絵師がおりまして、 pic.twitter.com/1L0DfynRZa 2018-01-01 11:42:04

    江戸時代の春画に"寝取られBLを妄想しつつ猫とうたた寝をする女性"というものがあった
  • ロシア革命100年 声優・上坂すみれ「ソ連大好き」インタビュー#1 私とジダーノフ批判 | 文春オンライン

    上坂 ズドラーストヴィチェ。よろしくお願いします。 ――さすがの発音ですね。今年はロシア革命から100年ということで、上坂さんにお話をお伺いします。 上坂 いいんですか、私で。亀山郁夫先生とかもっと詳しい方はたくさんいらっしゃると思うのですが……。 ――亀山さんでも、佐藤優さんでもなく、上坂さんなんです。 上坂 ありがとうございます。 ――そもそもなぜソ連がお好きなのか。その経緯からお話を聞かせていただけますか? 上坂 高校1年生のときに、YouTubeでたまたまソ連の国歌「祖国は我らのために」を聴いたんです。それまでは恥ずかしながら、モスクワがどこにあるかも知らないくらいだったんですが、国歌を聴いて急に興味が湧いたんです。それで関連動画を次々に見ていって、ソ連にはまったんです。 ――どんな動画を見たり聴いたりしたんですか? 上坂 レーニンの演説とか、プロパガンダ映画の一部とか、軍歌とか。

    ロシア革命100年 声優・上坂すみれ「ソ連大好き」インタビュー#1 私とジダーノフ批判 | 文春オンライン
  • 「若冲の青」を再現 18世紀の製法、豚レバーから - 日本経済新聞

    自然界の動植物を緻密な表現で描き出した江戸時代の絵師、伊藤若冲は、当時日に入ってきた西洋の新しい顔料「プルシアンブルー」を、いち早く日の絵画に用いたことでも知られる。代表作「動植綵絵(さいえ)」の大修理の際に行われた科学調査から、1766年に描かれたとみられる「群魚図」のルリハタの図にプルシアンブルーが使われていることが明らかになり、注目を集めた。プルシアンブルーは世界初の人工顔料で、18世

    「若冲の青」を再現 18世紀の製法、豚レバーから - 日本経済新聞
  • ラスコー展とニコラス・ハンフリー - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    ぼくはニコラス・ハンフリーの『獲得と喪失』が非常に気に入っている。基的なアイデアは、人間は何かを失うことで何か新しいものを獲得し、進歩してきたというもの。たとえば、人は文字や記録を発明するのと前後して、を丸ごと記憶できるような記憶力を失う。それは小さな退歩だけれど、でもそれによりみんなが記憶を共有できることで、人類としては大きな進歩につながる、というわけ。 喪失と獲得―進化心理学から見た心と体 作者: ニコラスハンフリー,Nicholas Humphrey,垂水雄二出版社/メーカー: 紀伊國屋書店発売日: 2004/10メディア: 単行購入: 4人 クリック: 45回この商品を含むブログ (62件) を見る あるいは、人間が美男美女だけにならないのは、醜男やブスが異性を得ようと努力するからだ。その結果、人類は進歩する。人間が超天才ばかりにならないのは、バカが相談しあうほうが社会が構成

    ラスコー展とニコラス・ハンフリー - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 小堀遠州の茶室150年ぶり復活 京都の庭園:朝日新聞デジタル

    江戸初期の茶人で作庭の名人でもあった小堀遠州(1579~1647)が造った茶室「擁翠亭(ようすいてい)」が、京都市北区の古田織部美術館内の庭園で約150年ぶりに再建され、27日、報道陣に公開された。 擁翠亭は、遠州が江戸初期の寛永・正保年間(1624~48年)に、京都の金工師・後藤覚乗の依頼で覚乗の屋敷「擁翠園」(京都市上京区)に造った。 独立した茶室としては最も多い13の窓を持つことから「十三窓席」と呼ばれ、内部は明るく開放的。遠州が追求した「きれいさび」と呼ばれる美意識の極みとされる。 擁翠亭は江戸中期、京都の寺に移築されたが、1868(明治元)年の廃寺と同時に解体。図面と部材は京都の数寄屋大工の倉庫に保管されたが、その存在は長く忘れられていた。2000年ごろに見つかり、土壁や窓枠の一部などを補い再建した。 28日から入室料1500円で内部の見学ができる。問い合わせは古田織部美術館(0

    小堀遠州の茶室150年ぶり復活 京都の庭園:朝日新聞デジタル
  • ナチス略奪絵画1500点発見、独アパートに隠され半世紀

    ドイツ南部ガーヒンク(Garching)にある税関。ミュンヘン(Munich)市内のアパートから見つかったナチス・ドイツ(Nazi)の略奪絵画1500点近くが現在、保管されている(2013年11月3日撮影)。(c)AFP/DPA/ANDREAS GEBERT 【11月4日 AFP】ドイツ南部ミュンヘン(Munich)にあるアパートの1室から、第二次世界大戦前~戦中にかけてナチス・ドイツ(Nazi)がユダヤ人から略奪した絵画1500点近くが見つかった。独週刊誌フォークス(Focus)が3日、報じた。見つかった作品の中には、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)やアンリ・マチス(Henri Matisse)のものも含まれており、時価総額で10億ユーロ(約1330億円)相当の価値があるという。 フォークス誌によると絵画は2011年、脱税容疑でこの部屋に警察の家宅捜索に入った際に発見された。

    ナチス略奪絵画1500点発見、独アパートに隠され半世紀
  • メメント・モリ - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2022年5月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2022年5月) 出典検索?: "メメント・モリ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 『メメント・モリ』、ローマ時代のモザイク(ナポリ国立考古学博物館) メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」といった意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。 歴史[編集] 古代ローマでは「将軍が凱旋式のパレードを行った際に使われた」と伝えられる。将軍の後ろに立つ使用人は「将軍は今日絶頂に

    メメント・モリ - Wikipedia
  • 学問のアルケオロジー

    人体を的確に表現するにはそれの内部構造を把握していなくてはならない、という正則美術教育の基を初めて口にしたのはルネサンス期のイタリアの芸術家たちのようである。それまで「職工」の身分に甘んじてきた画師や彫工は「芸術家」という新しい社会的な地位を獲得するのに、自分たちの仕事の支えとなる体系的な理論や技術的な知識が必要であることを自覚し始めていた。たとえば、当時の人文主義的知性を代表するレオン=バッティスタ・アルベルティは『絵画論』のなかですでにこう述べている、「肢体を描くときは先ず最初に骨を描きなさい。骨はほとんど真直ぐで、つねに定位置にあるからだ。次に骨の上に腱や筋を加え、最後に肉と皮でそれらを被うことだ」[1]。 骨格を把握し、そこに腱や筋や肉を纏わせるには、もちろん、解剖学の知識が必要である。しかし、アルベルティが実際にそれを実践していたことを匂わせるものはない。むしろ、ジョルジォ

    bhikkhu
    bhikkhu 2006/10/16
    解剖学と美術の関係について。特に我が国における場合。
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