一昨日、大学生6人と飲んだ。 そのうちの一人、Rくんははまだ彼が小学生だった頃からよく知っている。昔からなんとも言えず自由奔放に生きている子だ。まだ彼が小学生だった頃、よくうちの子たちと一緒になって遊んでいたっけ。そういえば、彼だけ預かってキャンプに連れて行ったこともあった。久しぶりに会ったRくんは少年の頃とまったく同じ顔をしていて、それがなんだか嬉しかった。 2時間くらい話しただろうか? 話はスポーツから勉強、恋愛から就職へと移っていく。 きっと一昔前の大人だったら、ここで社会人としての在り方かなんかについて一席ぶつんだろう。でも、アドバイスできることなんか何もない。 時代の境目すぎるのだ。 5年先のこと、いや、1年先のことだってよくわからない。テクノロジーの進歩があまりにも速く、世の中がどうなるのか想像さえつかない。政治制度は今のままなのだろうか? 貧富の差は? 少子高齢化は? 世界の
サドベリースクールってどんな学校? 子供の教育について最近は、オランダ式、インド式、フィンランド式などいろいろな教育方針が取り入れられています。そんな中、近年もっとも新しい教育方針とされる学校にサドベリースクールがあります。なんと時間割も授業もテストもない学校です!いったいどんな学校なのでしょう?日本にあるサドベリースクールを5つご紹介します。 サドベリースクールってなあに? サドベリースクールは近年、学校の方針がもっとも新しい考えをもっているとされ注目を集めている学校です。1960年代にアメリカ・ボストンに誕生したサドベリー・バレー・スクール(Sudbury Valley School)の教育理念を受け継ぐ学校を総して、サドベリースクールと呼んでいます。 授業もなく、時間割もなく、テストもありません。個性を重んじ、『人は本当にやりたい、必要だと感じた時に一番よく学ぶ』というモットーの元に
前人未到の最多連勝記録「29」を達成した藤井聡太四段(14)。白星を重ねる快進撃の要因は、並外れた集中力だ。3歳で入園した地元の幼稚園が取り入れていたのは子どもの自主性を重んじる「モンテッソーリ教育」だった。米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏ら世界的な著名人も学んだことで知られる幼児教育に、「100年に1人」といわれる天才中学生の原点がある。 藤井四段と戦った相手が口にするのは「集中力が続く時間が長い」。プロ棋士もうならせる並外れた集中力はどこからくるのか。 3歳のとき藤井は地元の雪の聖母幼稚園(愛知県瀬戸市)に入園した。同園では子どもの感性や自発性を尊重する「モンテッソーリ教育」を取り入れていた。5つの領域からなるたくさんの教具の中から子どもは自分で選び、大きさの異なるブロックを順に積み上げたり、教具に内在する法則を理解して活動する。 藤井が3歳から夢中になったのは画用紙を編んで作る
Inc.:どんな親も我が子には幸せで満足感が高い一生を送って欲しいと願うものです。そんな中、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの研究により、子どもの頃、親から心理的コントロールを受けることが少なく、よく可愛がってもらえたと感じている人の方が大人になってからの幸福感や満足感が高いことがわかりました。 逆に言えば、成長期に親からの心理的コントロールを強く受けた人ほど、大人になると精神安定が著しく低い一生を送ることになります。その影響たるや、親しい友人や親せきを亡くしたばかりの心理状態に近いぐらいの不安定な精神状態でした。 同研究の筆頭著者であるMai Stafford博士は次のように述べています。 「優しくて子どもにすぐに応えてくれる親がいた人は、一生を通して人生の満足度が高くなり、精神的な健康も良好になることがわかりました。その反対に、心理的コントロールを受けた人は、人生に対する満足度も精
Inc.:子どもの褒め方や子どもが何かを達成したときかけてあげる言葉をほんの少し変えるだけで、その子が将来親以上に大成功する確率を高くできると言われたら、信じられますか? 本当にそれが可能だということが科学的にわかっています。それどころか、ここで推奨される褒め方は少なくとも過去15年以上にわたって、いわゆる子育ての専門家たちが唱えてきたほとんどのことに反しています。 全ては子どもが何かを達成したときどのように褒めるかに尽きます。このテーマに関して研究調査が実施された結果、今まで気づかなかったいくつかの重要なことが提唱されています。 「頭がいいね」というように子どもが持って生まれた能力だけを褒めると、その子どもが学習に喜びを感じたり、抜きんでた人間に成長する可能性は低くなります。 子どもが問題解決のための戦略やプロセスを自力で考えた点を褒めると、子どもはさらに頑張ろうとして最後は目標を達成す
アスペルガー症候群の息子(ハル)は現在小学1年生。今では、友達と鬼ごっこなどにも喜々として参加していますが、保育園の頃は集団に入らずに、よく1人で数字を書いて遊んでいました。 保育園の担任の先生は、その様子を見て、息子の友達との関わり方が独特かつ積極性に欠けること、それを問題視しているようでした。気になった私は、息子の普段の様子を聞いてみることにしました。 私「お友達と遊ぶことを息子が拒絶する、ということですか?」 先生「そうではないのですが、遊びに誘ってもみんなと関わりたがらずに、1人でずーっと数字ばかりを紙に書いているんです」 私「それがお友達や先生方のご迷惑になっているのでしょうか…?」 先生「いいえ。ただ、もしかしたらハル君は発達障害の特性だけではなく、何か不安を抱えているのではないかと心配で…」 後日、息子とほぼ同時期に、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の診断を受けること
とある知り合いが、「子どもに学校で良い成績を取らせようとするのが、一番してはいけない」と記事を書いていました。 一番してはいけないと思うのが、 子供が好きなことがあるのに、 「そんなことでは食べていけない」 といって、学校の勉強を一生懸命頑張らせて 良い成績を取るように促すこと。 ここに精力を出しはじめると 人生が狂ってくる。 好きなことで食べていける大人になるために必要なこと これ、完全に同意なんですよね。 “勉強を頑張らせる” という子育ては、使い古されて限界が見えている方法論の一つでしかありません。 少なくとも、良い成績を取らせておけば、将来の不安が少なくなるという考え方には、なんの根拠もないと私は考えています。 勉強を頑張らせて、我が子に幸せになってもらうのは、無茶苦茶ハードルが高い むしろ、成績最優先の環境に置かれるために犠牲にしてしまう、その子の個性や、社会の多様性を広く見て回
実家にて荷物を整理していたところ、俺が小学2年生の頃に書いた伝説の本『おこるとどれだけそんをするのか?』発掘されました。 この本の存在については、大人になってからも何度か見返していたので、内容も把握していたのですが、デジタルデータとしてまだ保存していなかったので、今回無事にデジタルデータとして保存しました。 何度読み返してみても爆笑必死で、それでいて、とても深みがあり、俺という人間の根源が溢れんばかりに滲み出ています。 こんなヤバいものを大切に保管してくれていたオカンに感謝しつつ、みなさま宜しければご堪能下さい。 もくじ 第一部 おこるときどうおこるか 1〜2 第二部 こういうかんちがいはしないでほしい 3〜4 第三部 おこるとどれだけそんするか 5〜7 第四部 ふくしゅう 8〜9 第一部「おこるときどうおこるか」 おこると言うことは、そんである。 おとなは、すぐ、ちょっとしたことでおこる
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ビスケットは,開発して新しい機能を追加したときなど,必ず子どもたちが使っている様子を自分目で見てどんな風に使っているかを見てきます(最近はその暇が無くて他人に任せていたりして,かなりまずいんですが).3年前くらいの面白いエピソードをご紹介しましょう. ちょうど,Androidタブレットで動くビスケットを開発していて(これはまた一般には配布していません.実験環境だけです),それがどのように子どもたちに使われるか見に行きました.僕としても指で直接操作するタブレットのUIの開発は初めてで.実は,マウスとタッチペンの操作は結構似ています.どちらも,非常に小さいエリアを結構正確にポイントできて,ドラッグもできますから.どちらかというと,ペンの方がドラッグが得意でしたね.小さい子はマウスクリックが全然出来ないとか(ボタンを押すときに指先だけ押すということができないので,手を握ってしまって,その結果マウ
保育園のころ、魔法を使える先生がいた。 その人のことを、ここでは「まこ先生」としよう。30代前半で、職場では中堅のスタッフとして活躍していた。もちろん当時の私はあまりにも幼く、先生たちの年齢をきちんと把握していたわけではない。「若い先生/大人な先生/おばあちゃん先生」……それくらいザックリした認識しかできなかった。子供ながらに「まこ先生は頼りがいのある大人の先生だ」と思っていた。 まこ先生は、私が5歳のときの担任だ。 私が通っていたのは公立の保育園だ。高所得家庭の子供だけが集まる(?)私立保育園ならいざ知らず、様々な境遇の親たちが子供を預けていた。 とくに私の学年には、近隣の悪ガキどもが集結していた。暴れる、噛み付く、ひっかくのは当たり前。おもちゃはすぐに壊され、床や壁は汚される。みごとに手のかかる子供ばかりだった。すり傷やたんこぶは日常茶飯事だったし、親たちもいちいち目くじらを立てなかっ
むかしむかし『バトルフィーバーJ』というテレビ番組があった。 5人組のヒーローが悪の秘密結社と戦う、いわゆる戦隊もの。 なぜか不意にそのテーマ曲が頭をよぎったんだけど、 その中のメッセージが 対象者のひとりである自分に届いていなかったことに気がついた。 この部分。 君も(君も)君もぼくらのように 力あわせろ 「君」は見てるちびっ子たち。 「ぼくら」はバトルフィーバーのみなさん。 ところがちびっ子だったころ この「君」が自分だという感覚がなかった。 多くのちびっ子たちもそうだったんじゃないかな。 もちろん「この『君』って誰だと思う?」と聞かれたら ああこの歌詞は自分たちに訴えかけているんだな、とはわかると思う。 けど特に何も考えずに聞いたり歌ったりしている段階で そういう意識を持つことはなかった。 ちびっ子は、自分がヒーロー側にいるから。 戦隊ごっこをするとき、ほとんどの子は戦隊ヒーローの役
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