日露戦争後、日本が中国東北部で運営した国策会社「南満州鉄道株式会社」(満鉄)によって撮影された遼寧省大連市の写真約9000枚が、同市の旅順博物館に保管されていることがわかった。 北九州市立自然史・歴史博物館の日比野利信学芸員(42)が現地で確認した。日比野氏によると、満鉄撮影の大量の写真が中国に現存することを日本側が確認したのは初めて。旅順博物館は満鉄撮影の写真は2万枚以上あるとしており、全体像把握の調査を検討する。 写真は昨年12月に日比野氏が旅順博物館を訪問した際、示された。街の風景や満鉄工場、ボウリングに興じる市民など様々で、「南満洲鉄道株式會社」と印字されたカードに貼られていた。満鉄の広報誌「満洲グラフ」の掲載写真と同じものもあり、撮影者欄にある姓も満鉄職員と一致した。
建設当時、“東洋最高のダム”と呼ばれた中国・吉林省吉林市の豊満ダム。これを建設したのは戦前の南満州鉄道。つまり、日本が敷いたインフラの一環だ。2011年5月末、このダムで3回目の安全性定期検査が行われ、これを全面的に再建する方向でまとまりつつある。 建設当時、“東洋最高のダム”と呼ばれた中国・吉林省吉林市の豊満ダム。一説にはダムの寿命は50年と言われる中、すでに約70年も水力発電所として機能し続けている。これを建設したのは戦前の南満州鉄道(満鉄)。つまり、このダムは日本が敷いたインフラの一環だ。2011年5月末、このダムで3回目の安全性定期検査が行われ、これを全面的に再建する方向でまとまりつつあるという。しかし、これには疑問を呈する声も多く挙がっている。6月13日付で中国経済誌・新世紀が伝えた。 【その他の写真】 1934年着工、1942年に発電所として稼働開始した豊満ダム。松花江をせき止
こんにちは。 先の投稿から幾年月、という程でもないのですが、随分長いこと間が空いてしまいましたけれども、 一応私、生存しております。 色々ありまして、、今後はぼちぼちと、こちらも再開していこうかと考えております。 よろしければ、お付き合いを。 さて先日、東京にてこんな国際シンポジウムが開催されまして、 出席される方に若干御教示頂きたいこともあり、久方振りの学会でしたが、参加して参りました。 当日の参加者は、トルコ共和国の研究者の方々を中心に、 あちらの事どもを専門に研究されておられる方が殆どという感じでしたが、 中国ムスリムを研究対象とされている、澤井充生・山崎典子両氏も報告されるということで、 回民研究の末席を汚している身として、興味深くお話を拝聴致しました。 両氏の報告はともに、今後の回民研究とトルコ研究との繋がりの基盤になっていくべき知見を提供するものであったとの印象を受けましたが、
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