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ブックマーク / ethnos.exblog.jp (5)

  • シボ族の西遷 -瀋陽からイリへ- | テュルク&モンゴル

    NHKスペシャル 新シルクロード2」(NHK出版 2005)より(筆者:矢部裕一): 旅の終わりに シボ(錫伯)族(注1)という少数民族が、新疆のカザフスタン国境近くのチャプチャル・シボ族自治県に住んでいます。 草原の道の旅の終わりに、私たちはこのシボ族を訪ねることにしました。彼らは遊牧民ではなく、元々は遊牧民であった古代拓跋鮮卑(たくばつせんぴ)族の末裔ではありますが、数百年前から遊牧は行わず、半農半猟の生活を送っています。なぜ、最後に遊牧民でないシボ族を訪ねるのか? それは、彼らの存在が、遊牧民の近代国家の中での遇され方を象徴しているように思えたからです。 8月28日、チャプチャル・シボ族自治県では、西遷節というお祭りが行われていました。 西遷節とはその名の通り、シボ族が西へ向かって移動した時のことを記念するお祭りで、シボ族とは18世紀、清朝皇帝の命により故郷である中国・東北地方の瀋

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  • 18世紀のジュンガルで結婚したスウェーデン人夫婦の物語 | テュルク&モンゴル

    ハズルンド著 内藤岩雄訳「蒙古の旅 上巻」(岩波新書 1942)より: …ポルタヴァ(注1)における敗戦の後、ロシアの捕虜となったスウェーデン人の中に、レナトという若者があった。 レナトはドイツから来たユダヤ人移民の家族に属していたが、彼は他のユダヤ人と共に1681年9月29日、ストックホルムのドイツ教会で洗礼を受けた。父のモーゼス・ヤコブはスウェーデン人となり、かつグスタフ・ミカエル・レナトゥスという名でキリスト教徒となった。そして移住したために貧困になったこの家族は、市庁と政府に対して根気よく請願したお陰で、次第にストックホルムで相当に繁栄するようになった。 息子のヨハン・グスタフ・レナトは18歳の時砲兵に応募し、ナルヴァ、ディーナ及びポルタヴァで転戦した。そして他の捕虜と共に1711年に、トボルスク(注2)に収容せられた。 ポルタヴァの捕虜の中に、後にレナトと同様の残酷な運命を分かつ

    18世紀のジュンガルで結婚したスウェーデン人夫婦の物語 | テュルク&モンゴル
    bitheiboo
    bitheiboo 2010/12/09
    ジューンガルで火器製造・砲兵隊養成に携わったスウェーデン人レナトとその妻の物語。
  • テュルク&モンゴル

    S.T.様 お久しぶりです。ご連絡をありがとうございます。 Nさんに預けたのはアラビア語で「フルマ Hurma」と言い、トルコ語でもフルマ、ウイグル語ではホルマといいます。 アラーが人間のために地球上で創って頂いたべ物の中で、栄養成分が揃っている完璧な栄養です。74種類の栄養があり、水とそれがあれば、健康で一生生きていける。その効果も、お体の栄養の調整を自動的に行い、様々な病気に効くようです。 フルマは中国語で言うと「蜜なつめ」ですが、サウジアラビアの各地で種類が取れる。あなたに送ったのはメディナ産で、水分が少なく、もっとも甘い種類です。サウジのフルマの中で上流。フルマは副作用がありませんので、安心して召し上がってください。赤ちゃんから150歳までOK。 近かったら、もっと送りたかったけど、預けようとしても税関が怖いとか、麻薬が怖いとか言って、持っていってもらえないことがよくあるのですが

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    bitheiboo
    bitheiboo 2010/12/09
    「Turk & Mongol」のブログサイト。
  • 満族 -創出される民族、想像される民族- | テュルク&モンゴル

    劉正愛著「民族生成の歴史人類学 -満洲・旗人・満族」(風響社 2006)(注1)より: ■ 集団の名称とアイデンティティ 「満洲」(注2)が正式にある人々の集団を指す言葉として用いられたのが1635年だとすれば、それ以降書かれた歴史(あるいは神話)に登場する「満洲」は、歴史を書いた時点から遡上して定立されたものである。それは「満族」(注3)という語が1950年代以降正式に使用されたにもかかわらず、あたかも当初から存在しているかのように語られているのと同じである。 集団の名称は、名付けであろうと、名乗りであろうと、それが生まれた時点から、遡及的にそれにアイデンティティを求める運動が起きる。「満洲」と「満族」という語はそういった意味でも、人々のアイデンティティの形成においては特に重要な意味を持つものであるといえよう。しかし、清朝政府がその「満洲の道」を推進するに当たって、八旗満洲や八旗漢軍を問

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  • 満洲族のモビリティ -大清に向かって- | テュルク&モンゴル

    三宅理一著「ヌルハチの都 満洲遺産のなりたちと変遷」(ランダムハウス講談社 2009)より: 太祖ヌルハチの登場 女真族(じょしんぞく)すなわち満洲族は、朝鮮半島の高句麗(こうくり)や百済(くだら)などと同根のツングース語系民族であると同時に、日との共通性もきわめて高く、数の数え方を始めとして日語の中に満洲語の片鱗を見出すのもそう難しくない。この女真族が中国史の中で大きな位置を占めるようになるのは12世紀から13世紀にかけてであり、遼から分かれて東北部に金(1115-1234)を建国し、その後、宋を倒して中国の北半分を支配したことで知られている。金朝はモンゴル高原から南下した元によって滅ぼされ、主を失った遺民は関外の地に四散して部族ごとに小集団を構えることになる。三百年にわたる沈黙期間の後、この女真族を再び糾合し中原の覇者をめざして攻め上ったのがヌルハチ(1559-1626)である。…

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