日本では不世出の名将として語られることが多い第2次世界大戦のドイツ軍人、ロンメル。だが近年、欧米における評価が変化してきているのをご存じだろうか。40年近く認識のギャップが生じている日欧の「ロンメル論」を、軍事史研究者の大木毅氏が3回に分けて紹介する。前回は、ロンメルの指揮方法が戦術レベルでは有効だったものの、戦略の次元では通用しなかったことに触れた。今回は、第2次世界大戦の趨勢を大きく左右することになったロンメルの致命的な判断ミスを取り上げる。(JBpress) (※)本稿は『「砂漠の狐」ロンメル』(大木毅著、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。 従来の装甲部隊論争は誤解 (前回)「名将」ロンメルの歯車が狂い始めた瞬間 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55864 1942年3月1日に西方総軍司令官に任命されて以来、ドイツ軍のゲルト・フォン