このように日本の母子保健医療、周産期医療が世界一になった経緯を記してみたいと思います。 古くは、奈良時代の大宝律令の中に女医制度があり、「助産と看護を技とする」とあります。 平安時代に記された医書「医心方」にも母性看護に関する記述がみられ、室町時代になると産科の専門医が現れ、江戸時代末期になると産婆が職業として独立したということです。 明治7年医制が発布され、産婆の資格や職分が規定され、専門職業として歩み始めたということですが、母子保健の水準は低く、乳児死亡は出生1000に対して150以上、妊産婦死亡は出生10万に対して300以上であったと言います。 大正13年になって母子保健法が制定され、母子に対する保護が開始されました。 第二次大戦後、昭和22年に厚生省内に児童局が設置され、母子保健に関する施策が推進されました。 その結果、昭和25年の出生数は年間約230万人で、乳児死亡率は出生100