以前にも書いたことだが、わたしの家は、戦前、札幌の中心部にあった菓子屋だった。そのため、一家の本籍地は中央区南一条西四丁目にある。店は、市電の西四丁目停留所の北側角にあった。 菓子屋をやめたのは 戦中の砂糖の統制で菓子の要の砂糖が手に入らなくなったから である。その後は菓子屋を再興しなかった。職人さんは応召していなくなり、材料も手に入らず、戦争が原因となって、店を閉めた菓子屋は、日本中にたくさんあるだろう。戦争が終わり、運良く、生きて帰って来た職人さんたちが、再び活躍するには、少し時間がかかった。砂糖が自由には手に入らなかったからである。 戦後のことだが、ビルに建て替えるので、札幌軟石でできた店の蔵は解体した。札幌軟石は、札幌郊外の石山から切り出した石で、建材に広く使われた。蔵は自分の生まれる前に壊されているのだが、何度も話を聞かされている内に、ほの暗い蔵の中が見えるような錯覚に陥った。