ー1930年代伊東忠太周辺、旧満州国における古建築保存をめぐって- 中谷礼仁 はじめに 日本建築史の創始であり、エキゾチックな築地本願寺に代表される多量の「進化主義建築」を自ら設計した建築家であった伊東忠太博士(1867-1954)は、また同時に日本における東洋(アジア)建築史学 の祖でもあったことが知られている。しかし彼について考えてみようとするとき、わたし自身はこの方面での彼の追及を意識的に遠ざけてきたような気がする。それはアジア周辺の地域に対する知識の乏しさという単なる個人的な事柄によることがまず大きいのだが、それにしても漠然と、なぜ「ある地方」の「ある時代」について、それも「建築」にとりあえず限って研究するかという根本的な部分で、自分との接点を見いだせないでいることが大きいように思われる。 以前、アジアの「雑食」性、「重層」性を近代性の外部に見いだして、これからの時代のうらがえしの