ブックマーク / www.nakatani-seminar.org (5)

  • 旧満州国の建築史学

    ー1930年代伊東忠太周辺、旧満州国における古建築保存をめぐって- 中谷礼仁 はじめに 日建築史の創始であり、エキゾチックな築地願寺に代表される多量の「進化主義建築」を自ら設計した建築家であった伊東忠太博士(1867-1954)は、また同時に日における東洋(アジア)建築史学 の祖でもあったことが知られている。しかし彼について考えてみようとするとき、わたし自身はこの方面での彼の追及を意識的に遠ざけてきたような気がする。それはアジア周辺の地域に対する知識の乏しさという単なる個人的な事柄によることがまず大きいのだが、それにしても漠然と、なぜ「ある地方」の「ある時代」について、それも「建築」にとりあえず限って研究するかという根的な部分で、自分との接点を見いだせないでいることが大きいように思われる。 以前、アジアの「雑」性、「重層」性を近代性の外部に見いだして、これからの時代のうらがえしの

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    blackspring 2008/05/13
     -1930年代伊東忠太周辺、旧満州国における古建築保存をめぐって- 中谷礼仁
  • TokyoDiaryIndex

    …邊りは真っ暗になつて、水面の白光も消え去り、信号燈の青と赤が、大きな鰻の濡れた胴体をぎらぎらと照らした。 (内田百間「東京日記」その1)

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    blackspring 2008/05/13
     中谷礼仁
  • 住まいは誰のものか

    論は新建築社『住宅特集』2001年6月と建築資料研究社『住宅建築』2001年11月に掲載された論をもとにしたものです。

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    blackspring 2008/05/13
     中谷礼仁「本論は新建築社『住宅特集』2001年6月と建築資料研究社『住宅建築』2001年11月に掲載された論をもとにしたものです」
  • 歴史の中のコンバージョン

    ■はじめに 近ごろコンバージョン(conversion=転換、転用=来の目的を転じて別のように役立てること)という言葉をよく耳にする。しかし、コンバージョンはことさら新しい概念ではない。耳かきがわりにマッチ棒を使うこと。これもりっぱなコンバージョンといえる。コンバージョンという行為は、高等なものではなく、ましてや低級なものでもない。人間社会にとっての基的能力のひとつなのである。 しかし、日の近代建築とその生産様式の展開において、このような日常的能力は疎外されていった。その一つは「公明」で個別的ではないがゆえに限界のある法制度であり、商品化のサイクルを被りかつ「高度化」した建築存在である。それにともない、以前の建物を「転用」して使い回していく文化は、意識的になすべきものに変質してしまった。皮肉なことに、日常的な「転用」は、現在の建築文化に対し確固たる批評的位置を占めることになったのであ

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    blackspring 2008/05/13
     中谷礼仁+中谷ゼミナール/大阪市立大学「本論は「建物のコンバージョンによる都市空間有効活用技術の開発研究」の2001年度委託研究での成果の抄録です。雑誌『GA』2002夏号(旭硝子株式会社発行)に紹介されています」
  • すきな原稿

    好きな原稿 お台場公園の攻防 1995年ぐらい すまいの先生 2001年 現場日記 1997年ぐらい バブル・震災・オウム教 1996年ぐらい 旧満州国の伊東忠太 1996年ぐらい 平内廷臣はいかにして日建築を終わらせたか 1998年ぐらい ステンレスのバケツ 1999年ぐらい 歴史工学の紹介論文「住まいは誰のものか」  2001年 内田百間「東京日記」論 1996年(絵付き)020314追加 戦後建築史学の射程と現代建築史研究会研究の早急なる必要性 2001年 亀裂の保存 中村達太郎『日建築辞彙』を読む 2000年 歴史の中のコンバージョン 2002年(ゼミナール全員の成果です) 空飛ぶアーカイブ 2002年(ゼミナールで最近やっている連鎖都市研究の一部がちょこっと反映されています。) 都市は連鎖する 2003年(10+1 No30掲載) 主要著作リストへ(2001まで)

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