【歴史戦 南京が顕彰した男(下)】朝日記事「万人坑」はなかったという指摘に本多勝一氏はこう返答した…「中国の主張を代弁しただけ」 (中)に戻る 昭和史を研究してきた田辺敏雄は「中国の旅」を執筆した元朝日新聞記者、本多勝一とその連載記事を単行本、文庫本として刊行した朝日新聞社に憤る一人だ。 「朝日新聞は数多くあったはずの抗議や反論を軽んじ、『中国の旅』に実名で書かれた人々の名誉を傷つけ、日本人に大虐殺のぬれぎぬを着せた」 田辺がここで言う「大虐殺」とは南京事件のことではない。本多が連載の前半で大きく取り上げた「万人坑」のことを指す。本多は昭和46年6月下旬から7月はじめにかけて中国東北地方で取材した内容を4部構成の連載の前半で報告した。「万人坑」は第2部のタイトルとなっている。 「万人坑とは、虐殺された中国人の死体を集めて、何千人、あるいは万単位で埋めた巨大な『ヒト捨て場』である」(46年9