タグ

ブックマーク / ryukyushimpo.jp (170)

  • 「ユニオン」が国際通りに新店舗 さいおんスクエア1階、3月オープン 沖縄 - 琉球新報デジタル

    スーパー「フレッシュプラザユニオン」を展開する野嵩商会(宜野湾市、仲村明社長)が、那覇市安里のさいおんスクエア1階に新たな店舗をオープンさせることが13日まで分かった。開業は3月を予定している。店名は未定。 24時間営業で、店舗面積は約1520平方メートル。生鮮品や日用品などのほか、観光客の多い国際通りに面していることから沖縄の土産品もそろえる方針。同社の担当者は「土産品店の品ぞろえを強化するなどの工夫を検討している」と述べた。 那覇市前島店が建物や設備の老朽化により今年1月から一時閉店しており、近隣の住民からは「不便になった」との声が寄せられていた。 担当者は「近隣住民や観光客に幅広く愛される店舗を目指したい」と話した。 (普天間伊織)

    「ユニオン」が国際通りに新店舗 さいおんスクエア1階、3月オープン 沖縄 - 琉球新報デジタル
  • ユニオン前島店が一時閉店へ 老朽化で建て替え 来月末から - 琉球新報デジタル

    フレッシュプラザユニオンの那覇市前島店が建物や設備の老朽化に伴い、2024年1月31日に一時閉店することになった。 解体後は施設を建て直して新装開店する予定だが、時期は未定。那覇港泊ふ頭を発着する座間味島など離島便の利用者のため購入品の船積みも実施していたが、閉店の間の対応も現時点で未定だという。 同店舗は別の事業者が運営していた「前島スーパー」を譲り受けてユニオン店舗として営業を続けてきた。 担当者は「建設されてから50年以上になると思う。台風などを考えると建て替えが必要と判断した」と説明。「駐車場や売り場は今より広く利便性は良くなる。安くてより多くの品ぞろえができるよう検討していきたい」と話した。 (謝花史哲)

    ユニオン前島店が一時閉店へ 老朽化で建て替え 来月末から - 琉球新報デジタル
  • 映画鑑賞 一般2000円に スターシアターズ、27日から - 琉球新報デジタル

    沖縄県内でシネマコンプレックスなどを運営するスターシアターズは17日、映画鑑賞料金の一部を値上げすると公式ホームページで発表した。27日から一般料金1900円を100円値上げし、2千円とする。スターシアターズ系の映画館全館が対象。 このほか、シニア料金は1200円から1300円に、会員デー料金は千円から1100円に、シニア会員料金は千円から1100円に値上げする。大学、高校、中学、小学生、幼児の鑑賞料金の改定はないとしている。 (田吹遥子)

    映画鑑賞 一般2000円に スターシアターズ、27日から - 琉球新報デジタル
  • 上原康助氏の沖縄独立論、識者はどう見たか 現実味のある提言(前泊博盛・沖国大教授) - 琉球新報デジタル

    前泊博盛氏(沖国大教授) 独立のステップを慎重に検討した現実味のある提言になっている。日政府の政治手法や、政権との距離感をよく知る上原氏だからこそ書けた内容だ。若い世代にとって沖縄は初めから日の一部で、次第に独立論は薄れてきているが、25年前に出版されていたら大きな反響があっただろう。経済政策や地方自治の在り方にも検討を加えており、琉球独立学会などで現在議論されている独立論を先取りしている。ただ、一国二制度では対象が沖縄だけに限定される。日の他地域を巻き込んだ運動に結びつけるには、一国多制度を唱えた方がよかったと感じる。 (共同通信

    上原康助氏の沖縄独立論、識者はどう見たか 現実味のある提言(前泊博盛・沖国大教授) - 琉球新報デジタル
  • 【ちむどんどん第19話】お金を巡る実際の「極秘」事項とは… 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル

    銀行へ通貨交換に訪れる人々=1972年 ちむどんどん第19話では、料理大会「ヤング大会」が幕を開け、暢子(黒島結菜)アイデアの沖縄そばで、山原高校がライバル校の料理部としのぎを削ります。しかしその頃、兄・賢秀(竜星涼)が、”極秘の通貨交換”を利用するという怪しげな投資話に、母・優子(仲間由紀恵)を巻き込んでいました。 復帰前、沖縄では極秘の「通貨交換」ではなく、「通貨確認」が極秘裏に進められました。当時、ニクソンショックの影響で1ドル=360円から目減りした分、沖縄の人々が不利益を被らないよう、日政府が復帰時に補てんする方針が決まりました。過不足なく補てんするため、琉球政府は1971年10月9日、県民の現金や預貯金のドル資産を確認する「通貨確認」を実施しました。 琉球政府は極秘裏に日側との折衝を重ね、10月8日早朝に「通貨確認」の了承を得ました。同日午前、屋良主席が電撃的に記者会見を開

    【ちむどんどん第19話】お金を巡る実際の「極秘」事項とは… 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル
  • 【ちむどんどん第18話】ドルの変動相場制移行…沖縄に与えた影響は? 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル

    県民の通貨不安を報じる1971年8月22日の琉球新報 ちむどんどん第18話では、ヒロイン・比嘉暢子(黒島結菜)の兄・賢秀(竜星涼)が、怪しげな男にドル相場の変動を利用した一獲千金の話を持ち掛けられ、のめりこんでいく一幕がありました。作中では、ドルの固定レートが変動相場制度に変わり、1ドル300円前後になったことが解説されています。当時世界と沖縄ではどのようなことがあったのでしょうか。 米国時間の1971年8月15日、当時のニクソン米大統領が金とドルの交換停止を発表しました。「ニクソン・ショック」や「ドルショック」などと呼ばれるこの出来事は、1ドル=360円の固定相場が終わる契機となり、日政府も1971年8月28日に円の変動相場制に移行しました。 これは、復帰前まで「ドル」が暮らしを支えていた沖縄にとって衝撃的な出来事でした。変動相場制への移行で1ドル=360円より安いレートでドルと円が交

    【ちむどんどん第18話】ドルの変動相場制移行…沖縄に与えた影響は? 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル
  • 沖縄に日本復帰以外の選択肢はあったのか 「真の自治」求め続く模索<復帰50年夢と現実>1続き - 琉球新報デジタル

    「ある時点で沖縄はどうするか自分たちで決めないといけない」と語る比嘉幹郎さん 問い直される「自治は神話」 キャラウェイ演説「独立意志」が埋もれた理由 キャラウェイ高等弁務官の「自治神話」演説時、米国留学中だった比嘉幹郎さん(89)は、独立しなければ自治はないという発言の意味を「日復帰しても琉球が何かを決められるわけではない。だから独立した方がいいんだ、と言った」と読んだ。帰国後の1971年に琉球大教授に就くと「沖縄自治州構想」を発表した。「沖縄の将来を決定するのは究極的には沖縄住民でしかない」と訴えた。 復帰以外の選択肢を探る議論がなかったわけではない。1969年の佐藤・ニクソン会談以降、「反復帰」論も顕在化した。しかし、雪崩を打つ復帰運動の流れの中で、その主張は少数だった。 後に副知事を務めた比嘉さんは、現在の沖縄の自治について「真の地方自治は自由に政策決定できるものだが、日米両政府に

    沖縄に日本復帰以外の選択肢はあったのか 「真の自治」求め続く模索<復帰50年夢と現実>1続き - 琉球新報デジタル
  • 国連の信託統治、独立…白熱した日本復帰以外の選択肢 - 琉球新報デジタル

    サンフランシスコ講和条約交渉期の1951年ごろ、沖縄では「独立」「国連の信託統治」「日復帰」などと、地位や帰属を巡る議論が白熱した。近現代沖縄史に詳しい波平恒男琉球大名誉教授は「戦後沖縄の初期政党は広い意味での独立志向を特徴としていた」と指摘する。根底には日の軍国主義によって巻き込まれた沖縄戦の体験があった。 「うるま新報」社長兼編集局長を務めた池宮城秀意氏は51年2月2日付社説などで、琉球処分(併合)以降「沖縄人は日から植民地的取り扱いを受けてきた」とし、当面の地位として国連の信託統治を主張した。 池宮城氏は沖縄の再建は戦争に参加した諸国の責任で行うべきだとし、「遠き将来において沖縄或いは琉球が独立し得れば独立でもよし、或いは日に帰属するかアメリカに帰属するかは、その時の情勢によって全人民の意志によって決定すればよい」と論じた。 国連の信託統治は、その地域住民の自己決定権を認めて

    国連の信託統治、独立…白熱した日本復帰以外の選択肢 - 琉球新報デジタル
  • <金口木舌>なぜ教育に「愛国」か - 琉球新報デジタル

    ランドセル姿の小学生が校門であいさつをしている。「おはようございます」。ここで質問がある。発声とおじぎはどちらを先にするのが正しいか ▼28日から県内で公開される映画教育と愛国」(斉加尚代監督)の一場面にある。順序なんて考えたこともない。そう思う大人も少なからずいるだろう。小学校道徳の教科書によると、正しいのは発声が先とか ▼なぜ今時あいさつのやり方か。映画が問題提起するのには訳がある。道徳は2018年以降、評価科目の正式な教科化が進んだ。しかし前身ともいえる修身は戦後の一時、授業停止となった経緯がある ▼修身は明治時代の1880年の改正教育令で筆頭学科とされ、教育勅語と相まって人の「行動規範」として全体主義を後押しした。反省の史実ともいえる。それが装いも変えたとはいえ復活とは解せない ▼あいさつですら世界の多様さを知る時代だ。握手もあれば、ハグも合掌もある。国の再びの「規範」提示は既視

    <金口木舌>なぜ教育に「愛国」か - 琉球新報デジタル
  • 問い直される「自治は神話」 キャラウェイ演説「独立意志」が埋もれた理由<復帰50年夢と現実>1 - 琉球新報デジタル

    キャラウェイ氏の「自治は神話」発言を伝える翌日の琉球新報 1963年3月5日。那覇市内で開かれた米国留学経験者らでつくる親睦団体「金門クラブ」の例会に、沖縄統治最高責任者のキャラウェイ高等弁務官が招かれ、大きな波紋を呼ぶ「自治は神話」演説が行われた。 「自治は神話」「自治への欲求は自らの『無能力と無責任』を隠すため」。講和条約第3条下で琉球政府を「下級の行政機関」と呼び、自治は「不可能だ」と断じた。 琉球政府立法院は62年、国連の植民地解放宣言を引用し、施政権即時返還を求める決議を全会一致で可決。自由も人権も米軍の許す範囲という制約の中、自治権拡大要求の機運は高まっていた。しかし、最高権力者の一言は強烈だった。 一方、「神話」発言には次のくだりもあった。「あなたたち琉球人がもう一度独立した国民国家になりたいという自由意志を決めない限り、将来も自治はないだろう」。この言葉も報道されたが、大き

    問い直される「自治は神話」 キャラウェイ演説「独立意志」が埋もれた理由<復帰50年夢と現実>1 - 琉球新報デジタル
  • 朝ドラ「ちむどんどん」舞台は横浜市鶴見区へ 沖縄と南米が息づく街 - 琉球新報デジタル

    復帰前に仕事を求めて鶴見に渡った横浜・鶴見沖縄県人会の金城京一会長(中央)と城間正康さん(左)と仲清さん。金城会長が手にするのは、復帰前に日への渡航で必要だった当時のパスポート =1月、神奈川県横浜市鶴見区の県人会館 NHK朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」の舞台が、近く神奈川県横浜市鶴見区に移る。黒島結菜さん演じるヒロインの比嘉暢子(のぶこ)が鶴見で下宿し、東京で料理人として修業する。京浜工業地帯にある鶴見は、仕事を求めて大正末期から多くの県人が移り住んだ。近年は沖縄にルーツがある日系ブラジル人らも移住するようになり、沖縄やブラジルの材店や飲店がある一角は「沖縄タウン」「リトル沖縄」と呼ばれる。独特な文化が根付く鶴見を紹介する。 県外では鶴見だけで実施されていると言われている伝統の沖縄角力で力と技を競い合うおきつる角力大会=2018年7月、横浜市鶴見区の入船小校庭 JR鶴見駅

    朝ドラ「ちむどんどん」舞台は横浜市鶴見区へ 沖縄と南米が息づく街 - 琉球新報デジタル
  • 【ちむどんどん第20話】とても便利な「だからよー」朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル

    ヒロイン役を務める黒島結菜さん ちむどんどん第20話では、暢子(黒島結菜)のアイデア料理「やんばるナポリタン」が、料理大会「ヤング大会」で振る舞われ会場を沸かせました。 ナポリタンをべて「おいしいさー」と話しかける友人に「だからよー」と返すおばぁ。「そうなんだね」や「そうなのよ」を意味する「だからよー」は、とても便利なうちなーやまとぅぐちです。 「今日は暑いね→だからよー」、「ご飯より先におやつべたら、だめよ→だからよー」、「あなたたち付き合ってたの!?→だからよー」。などなど、同意するときをはじめ、何か説明を求められているときにも使えます。 共感しつつ、相手の考えにも想像を膨らまさせるやさしい言葉ですね。 >>【まとめ】ちむどんどんキーワード集 ▼ちむどんどんってどんな意味? ▼復帰前の沖縄、映画館と遊園地はなかった? ▼意味深な民俗学者の一言「19年の空襲で…」って? ▼「とうしん

    【ちむどんどん第20話】とても便利な「だからよー」朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル
  • 忘れない、分断の歴史と「心の絆」…屈辱の日70年、沖縄と与論 27度線で海上集会【動画あり】 - 琉球新報デジタル

    海上集会で互いに手を振り合う国頭村側からの船(奥)と与論町側からの船(手前) =28日午前11時53分、北緯27度線付近(小川昌宏撮影) 【国頭・与論】沖縄や奄美群島が日から切り離された、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効から28日で70年となった。72年の復帰まで米統治下に置かれた沖縄と土側の隔絶を象徴する北緯27度線付近で、国頭村と鹿児島県与論町は28日、沖縄の復帰を求めた海上集会を再現した。 今年は復帰50年の節目。記念行進や式典なども行い、分断の歴史を後世に語り継ぐことを確認した。海上集会には約140人が参加し、計21隻出港した。参加者は「両町村の『心の絆』を継承し、交流を深める」と宣言文を読み上げた。海上集会は1963年~69年に沖縄側と先に復帰を果たした与論町側の関係者が開催した。2012年に一度再現して今回10年ぶりに開催した。(長嶺晃太朗まとめ)

    忘れない、分断の歴史と「心の絆」…屈辱の日70年、沖縄と与論 27度線で海上集会【動画あり】 - 琉球新報デジタル
  • 奄美復帰後の沖縄「非琉球人」と扱われた男性 差別からの解放「復帰」に求め 「屈辱の日」70年・海上集会 - 琉球新報デジタル

    海上集会前、乗船前に空を見つめる青山惠昭さん=28日午前、国頭村の宜名真漁港(小川昌宏撮影) 【国頭】父親が与論、母親が国頭出身の青山惠昭さん(78)=浦添市=は琉球大学の学生だった1964、65年に海上集会に参加し、祖国復帰の民意のうねりを体感した。28日には、2012年の海上集会再現に続き、北緯27度線の風を浴びた。復帰後も続く「差別的な基地の過重負担」の解消を願った。 国頭で育った青山さん。母親が米軍施設で働いていたこともあり、事件・事故を起こした米軍関係者が基地に逃げ込めば捕まらない現実に、理不尽さを感じていた。 籍地が鹿児島県の与論のため、53年の奄美群島の復帰後、米統治の続く沖縄で「非琉球人」として扱われた。社会保障や選挙権が奪われ、在留許可証の携帯が義務づけられた。復帰運動に力を注いだ根底に、そうした被差別体験があった。72年の復帰時は「差別からの解放感」を味わったが、50

    奄美復帰後の沖縄「非琉球人」と扱われた男性 差別からの解放「復帰」に求め 「屈辱の日」70年・海上集会 - 琉球新報デジタル
  • 【ちむどんどん第2話】意味深な民俗学者の一言「19年の空襲で…」って? 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集 - 琉球新報デジタル

    10・10空襲で被害を受けた旧那覇市=1944年10月10日(沖縄県公文書館所蔵) 1944(昭和19)年、沖縄を襲った「10・10空襲」 NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」12日の放送では、ヒロインの母・比嘉優子(仲間由紀恵)が、東京から来た民俗学者青柳史彦(戸次重幸)に、実家が那覇にあったことを話す場面がありました。その後、優子は史彦に「19年の空襲で…」と言われ、静かにうなずきます。 沖縄では1944(昭和19)年10月10日、「10・10空襲」と呼ばれる、太平洋戦争中に米軍によって行われた最初の無差別攻撃がありました。「10・10空襲」は、米艦載機延べ1400機が早朝から9時間、5回にわたって奄美大島以南の南西諸島の主要な島々を爆撃しました。少なくとも軍人・軍属、住民ら668人が死亡、768人が負傷し、那覇は9割の家屋が焼失しました。 ちむどんどんの放送は月曜から土曜日の午前8時

    【ちむどんどん第2話】意味深な民俗学者の一言「19年の空襲で…」って? 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集 - 琉球新報デジタル
  • 【ちむどんどん第7話】アベベに県民も熱狂 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル

    アベベ連覇を報じる1964年10月21日の琉球新報 NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」19日放送の第7話では、ヒロイン比嘉暢子(稲垣来泉)の兄賢秀(浅川大治)が運動会の前日に、「アベベ」と名付けてかわいがる豚と戯れる場面があります。 「アベベ」の由来は、ローマ五輪と東京五輪のマラソンで史上初の2大会連続金メダルを獲得した陸上選手「アベベ・ビキラ」(エチオピア)から来ています。  アベベはローマ五輪に、裸足で出場して金メダルに輝き世界に衝撃を与えました。 東京五輪の際は琉球新報でも、共同通信の記事などを通じて、アベベの五輪代表決定や来日、独走からの金メダル獲得、さらには9月に急性盲腸炎の手術のため入院したことや東京五輪後に紛失してた指輪が無事見つかった記事など事細かに動向を報じています。当時の熱狂ぶりがうかがえます。 >>【まとめ】ちむどんどんキーワード集 ▼ちむどんどんってどんな意味?

    【ちむどんどん第7話】アベベに県民も熱狂 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル
  • 【ちむどんどん第14話】沖縄県民はハンバーガー好き? 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル

    ハンバーガー(資料写真) NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」28日放送の第14話では、ヒロイン・比嘉暢子(黒島結菜)が、友人の砂川智(前田公輝)の働く「サンセットバーガー」で、幸せそうにハンバーガーにかじりつく場面があります。 米国統治下にあった沖縄では、県民は早くからファストフードに親しみました。沖縄のファストフードチェーン店の老舗といえば「A&W」。こちらは1963年にオープン。それからケンタッキーは1972年12月に、マクドナルドは1976年2月に、ロッテリアは1984年1月に、沖縄に最初の店舗をオープンさせました。 1982年10月の琉球新報では、全国のマクドナルドで1981年の1店あたりの平均売上高が約2億円だったのに対して、沖縄は6店で合計27億円の売り上げているという記事が載っています。以後、ハンバーガーに関する記事が折りに触れて掲載されており、県民のハンバーガー好きが伝わ

    【ちむどんどん第14話】沖縄県民はハンバーガー好き? 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル
  • 【ちむどんどん第9話】日本じゃないけど「帰国」…本土行きに必要な「渡航証明書」 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル

    「琉球新報博物館蔵」の日渡航証明書 NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」21日放送の第9話で、比嘉家4きょうだいの誰かを、東京の親戚に預ける話しが出てきます。母・優子(仲間由紀恵)は結論を出せずに悩みますが、周囲の人々は「渡航証明書」の発行に時間が掛かると、せかします。 「渡航証明書」とは、「日渡航証明書」のことで、今でいうパスポートのようなものです。米国統治下の沖縄では、日に行くために米国民政府の許可が必要でした。沖縄の人は「日渡航証明書」に入国審査官から、日に着くと「日国への帰国を証する」の印鑑をもらい、また、沖縄に帰るときには「日国からの出国を証する」の印鑑をもらいました。 >>【まとめ】ちむどんどんキーワード集 ▼ちむどんどんってどんな意味? ▼復帰前の沖縄、映画館と遊園地はなかった? ▼意味深な民俗学者の一言「19年の空襲で…」って? ▼「とうしんどーい!」って何?

    【ちむどんどん第9話】日本じゃないけど「帰国」…本土行きに必要な「渡航証明書」 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル
  • 【ちむどんどん第3話】復帰前の沖縄、映画館と遊園地はなかった? 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集 - 琉球新報デジタル

    沖縄の映画界についての寄稿を掲載した1965年の琉球新報紙面 沖縄全体ではピーク時に映画館100館以上、那覇には遊園地も NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」13日の放送では、東京から沖縄のやんばるへとやってきた転校生・青柳和彦が「テレビもない、映画館と遊園地も」と愚痴る場面がありました。ヒロイン・暢子たちの住む地域には、映画館も遊園地もないようです。誤解のないよう申しますと、沖縄全体で見ると、1964年当時でも両方ありました。 遊園地は那覇市のリウボウ屋上に「リウボウスカイランド」(屋上遊園地)、映画館は1948年の戦後初の映画館・アーニーパイル国際劇場の誕生を皮切りにピーク時には、100館以上もありました。1965年1月1日琉球新報には、当時映画館を多数経営していたオリオン興業の富島喜幸常務による寄稿が載っています。寄稿によるとピークの1959年度は劇場数110館に対して、800万人を

    【ちむどんどん第3話】復帰前の沖縄、映画館と遊園地はなかった? 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集 - 琉球新報デジタル
  • 【ちむどんどん第11話】沖縄返還協定と屋良建議書 舞台は1971年へ 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル

    琉球政府が作成した返還後の沖縄の自治に対する要望「復帰措置に関する建議書」。全132ページ(5万5千字)に及びます。 NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」25日放送の第11話では、ヒロイン・比嘉暢子が高校生になり、ついに黒島結菜さんが登場します。ドラマ冒頭に、舞台は1971年に移り、同年に沖縄返還協定が結ばれて沖縄が翌1972年に日に返還されることが決まったことが触れられます。 「沖縄返還協定」は、日アメリカとの間で署名された、沖縄の施政権に関する協定で、1971年6月17日に調印されました。協定は1972年5月15日に発効され、沖縄は日に「復帰」しました。 沖縄返還協定を巡っては、調印後も異論が噴出し、「核も基地もない沖縄の完全返還を求める」などと県内各地でデモやゼネストが行われました。そのため、1971年11月17日、琉球政府の屋良朝苗主席(当時)は沖縄返還協定に県民の世論を反

    【ちむどんどん第11話】沖縄返還協定と屋良建議書 舞台は1971年へ 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】 - 琉球新報デジタル