そもそも、悠仁さまがこうした信号に興味を持つきっかけは何だったのでしょうか。宮内庁は次のように説明しています。 「悠仁親王殿下は、幼稚園のときに、信号機が電球からLEDへ変わることをお聞きになって、信号機に興味を持ち始めました。小学生になられてからも、信号機に関心を持ち続け、その種類や形のほか、青色から黄色、黄色から赤色へと電気の色が変わる時間にも目を向けられるようになりました」 また、信号灯の脇に設置されている「赤坂表町」は現在はない地名。宮内庁は「秋篠宮邸の場所にあった旧秩父宮邸(表町御殿)が当時の『赤坂表町』に面しており、その場所でこの信号機の模型を作られたことから、標識に名称を入れられた」と解説しています。 電球式からLED式信号への切り替えを知り、新しいLEDではなくむしろ電球式信号、しかも今ではほとんど姿を消してしまった昭和40年代の信号に興味を示した悠仁さま。9歳にして
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