FUJICのその後の運命 さて、7年の歳月をかけて完成したFUJICだったが、富士写真フイルムで稼働したのはわずか2年半だった。仕事を終えたFUJICは、早稲田大学に寄贈されてしまった。 ――引退はマシンが消耗したとか、もっと高機能のマシンが導入されたとかいうのが原因だったのですか? 「いや、いや。そういうことじゃなくてね。何ていいますか……会社の方針が変わった。富士写真フイルムでは、レンズの設計を直接にはやらないことになっちゃったんです。だから、もう、FUJICは、いらなくなっちゃったんです」 こう語る岡崎氏の言葉は、FUJICが、十分に実用に供することのできたマシンだったという自信と、それとはうらはらにFUJICがたどることになった運命に対する嘆息が入り交じった微妙な調子だった。 その後、岡崎氏は富士写真フイルムを退社して日本電気に転職する。日本電気ではソフトウェア開発に従事。日本電気